■航空コーナーの本気

さて、では航空機展示コーナーの続きです。
とりあえず、ビルの中とは思えんというレベルの実機展示の数々を見て行きますよ。



なんだか世の中なめてるような印象のスタイルのこのジェット機が、
イギリス初のジェット機、グロスター・ホイットル(Gloster-Whittle)E.28/39。
2機造られてるんですが、現存してるのはこの1号機だけのはず。

ちなみに初飛行は1941年5月15日。
日本が戦争を始めちゃう半年以上前に、イギリスではジェット機が飛んでたわけで…。
ドイツに至っては、1939年の8月にHe178が初飛行してるんですから、やってられませんね(笑)。
さらにちなみに、この1号機に積まれてたのはW1エンジンで、
この旅行記で二度ほど登場したW2/700は2号機に積まれたエンジンでした。

E.28/39 てのはどういう名前だ、という感じですが、
これは要求仕様書のナンバーそのまんまです。

イギリスの場合、最初に必ず航空省(Air Ministry)から
要求仕様書(List of Air Ministry specifications)が発行され、
それに応じて航空機の設計開発が行われるのですが、
その要求仕様書のナンバーをそのまま使ってしまったもの。
この場合、28番目の実験機(Experimental)でE28、
その仕様書は19“39”年に発行されたのでE28/39となっています。

基本的に全ての航空機どころかエンジンまで固有名詞を持たせる
イギリスにしてはめずらしく、この機体は最後まで名前がありませんでした。
が、さすがに気の毒と思ったのか、
後にグロスター パイオニアという名が非公式に贈られたようです。

ただ、とにかく初飛行に成功して、ジェット機の実用化のメドを立てた機体、
というレベルを出るものではなく、当時のジェットエンジンの非力さもあり、
最高時速はせいぜい600km/h前後にとどまりました。
このため、この後に登場する、イギリス最初のジェット戦闘機、ミーティアは、
双発、エンジンを2発にして開発される事になるのです。



ここにもあったドイツのロケット戦闘機、Me163のB1。

これも大戦末期に登場したドイツの秘密兵器ですから人気があったようで、
かなりの数が戦勝国に渡り、今でもアチコチの博物館で見る事ができる機体となってます。

こうして見ると、着陸用の胴体下のソリ、結構凝った造りになってますね。



これもドイツの人気アイテム、V1飛行爆弾。
えらく盛大にカットモデルにされてました。
機首先端部が空っぽに見えますが、あそこにはコスフォードで説明したプロペラ式の距離計と
姿勢制御用の電動ジャイロ(コマ)、さらに方向維持用の磁気コンパスがはいっており、
それらに関するケーブル類がいろいろ繋がってる部分です。

その隣、真ん中に棒が一本入ってる、やや広い空間が弾頭部でして、
本来ならここに炸薬が約850kgほど入ってます。
前にも書きましたが、これってV2ロケットの炸薬量(約980kg)とそれほど変わりませんから、
見かけのサイズの割りに、両者の破壊力には大きな差がありません。

まあ、コンクリートで防御された要塞に撃ち込むとかいう話になれば、
大気圏の外から落ちてくるV2の方がはるかに貫通力があり強力なんですが、
そんなピンポイントな照準ができるはずもなく(笑)、
都市攻撃、敵エリア内の物資補給拠点などの攻撃、という
当時の使われ方からすると、破壊力はほとんど一緒、と考えていいと思います。

ただし、ジェット機のミーティアどころかレシプロ機のテンペストなどにも
かなりの数が撃墜されてしまったV1に比べ(さらに高射砲でも落せた)、
当時の人間の想像を絶する速度で落下してくるV2ロケットは
全く迎撃が不可能だ、という点ではるかに脅威となるのですが。



ホーカー ハリケーン(Hawker Hurricane)Mk.I(マーク ワン)のC型、シリアルL.1592機。

この機体は1938年に製造された極初期型で、ダンケルク撤退戦に参加。
その後、1940年8月、バトル オブ ブリテンでMe109の攻撃を受け損傷、
さらに着陸に失敗してクラッシュしてしまった、というものらしいです。
とりあえず修理はされたものの、そのまま保管に回され
例の第二次大戦を象徴する機体コレクションの中の一機として、
保存が決定、1962年からここに展示されてるようです。

でもって、この機体はちょっと珍しい現存機だったりもします。



わかりますかね。
これ、主翼(外翼部分)が羽布貼りです。

何度見てもスピットファイアと同世代とは思えないこのハリケーンですが、
その設計の古さの象徴として、胴体後部が鋼管羽布貼り、というのがあります。

でもって、Mk.Iの初期生産型は、それに加えて主翼の外側、
機銃や主脚が収容された部分より外側も鋼管&羽布貼りだったのでした。

ここら辺、ハリケーンの設計者のシドニー・カムが芸術的なまでにヘタレだったのか、
スピットの設計者、ミッチャルの才能がずば抜けていたのか、わかりませんが
同じ国の同世代機でこここまで差がつくのも珍しいですね…。

この点、前にも書いたように、布貼りと言われると軽い感じがしますが、
じっさいは骨組みがジュラルミンでなく鉄製の鋼管ですから、
むしろ重くなる場合が多く、さらに外皮はただの布で機体強度に
なんら貢献しない構造となってますから、メリットは何もありません。

さすがに、この羽布貼りの主翼は1940年の3月頃に生産終了となり、
それ以後、すでに生産された機体も順次主翼の付け替えを行いました。

なので、現存機でこのタイプの主翼を持つのは珍しく、
私は初めて見ました。

1940年8月の段階では、まだ全機の主翼交換が終わっておらず、
その段階で事故を起してしてしまったので、
そのままで残っていた、という事なんでしょうかね。


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