地上の高さで正面から見る。

この角度からゼロ戦、隼(はやぶさ)、疾風(はやて)、五式戦を見分けられる人って、
地球上に何人居るんでしょうね(笑)…。

で、これが味方の機種がわからない、くらいなら問題ないのですが、
敵か味方かもわからない、となると問題なので、大戦中の日本機では、
胴体横の主翼の前縁をオレンジ色に塗ってるわけです。
その中によく見ると手裏剣のようなマークが書き込まれてますが、
ここには12.7mm機関砲が入ってます。

で、先に書いたようにこの機体は戦後のテストで派手に胴体着陸をやってしまったため、
機首仮面にある四角い箱、オイルクーラーはオリジナルではなく、
四式戦 疾風のものとなってます。
プロペラは双発の百式司偵で使っていたものを流用したとの事ですが、
全く違う規格だとさすがに取り付ける事もできないでしょうから、
それほど長さ的には変わってないんでしょうかね。

内側の車輪カバーは地上駐機状態でも完全には下に下りないのにも注意。
で、あのフタをぶら下げてるロッドを、主脚の収納時には車輪が押す形になり、
無動力ながら、自動的に閉じるようになってます。
日本機では比較的よく見る仕掛けですね。
もっとも、時速600km/h出ない機体に、そこまでする必要あるのか、と言う気もしますが…。
50ccのスクーターにエアロパーツ付けてるような感じがしますけども。

さて、この機体はその後、1946年の夏に英国本土に博物館展示用の戦利品として、
船で運搬されて現在に至る、とされています。
ついでにロンドンの帝国戦争博物館にあるコクピットだけのゼロ戦、
コスフォードのRAF博物館にある百式司偵なども、
この時、イギリスに運び込まれたもののようです。

余談ながら、テスト全期間、さらにイギリス本土に運び込まれてからも、
この機体はOSCAR、すなわち一式戦 隼(はやぶさ)として扱われており、
誰も疑問に思わなかったとか(笑)。
まさか1945年にもなって、この程度の性能の新型機が地球上に存在するとは
イギリス人、夢にも思わなかったのでしょう…。

ちなみにこの勘違い、少なくとも1960年代まで続いてました。
1960年に倉庫から引っ張り出して、再組み立てを行った際に間違いに気が付くのですが、
今度はTOJO、すなわち二式戦 鍾馗として登録されていたようです(笑)…。
どうも、五式戦と言う存在そのものを知らなかったようですね。

なので、もしイギリスが行ったテストデータで、妙な数字の一式戦 隼のものがあったら、
それは五式戦のものだろうな、という事になります。




ここからは、キッチリ真横、真正面ではなく、少しずつ、角度をずらした写真を連続して載せます。
何の意味があるのか、と聞かれれば、私にもわかりません、と答えましょう(笑)。

まずは右側面を少しずつ前方に歩いて見ますよ。



もう少し前から。
こうして見ると1945年に初飛行した機体のシルエットじゃないよなあ、
というのが感じられてちょっと甘酸っぱい気持ちに(涙)。
まあ、中身はほとんど三式戦なんですが、三式戦も太平洋戦争が始まった直後に
初飛行した機体ですから、第二次大戦に参戦した機体の中では最新型に入るんですよね…。

ちなみに、五式戦の初飛行はアメリカ海軍のファイナルアンサー、F8Fよりもずっと後で、
つまり、F8Fより新型機、という事になるわけです。
もちろん、一連のジェット戦闘機、Me-262、ミーティア、P-80よりも新しい機体ですよ、フフフ…。



微妙にさらに前から。
手前の主翼の後縁に何か赤い札のようなモノがついてますが、
あれはエルロン(補助翼)が下がってしまわないよう、固定するためのもの。

最後は、斜め前から。


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