■ハイヤー、ハイヤー

なので、大戦前は誰も「制空権の確保」なんて目的で戦闘機を造ってませんから、
高高度戦闘能力については、さほど深く考えてませんでした。

ちなみに、作戦レベルで一定空域の優位を維持する、
という考えは古くからありましたが、近代的な「制空権」の概念とはやや異なります。
これを戦略レベル、それこそドイツ全土の空を制圧する、
というレベルの近代的な「制空権」へ進化させたのが
昼間戦略爆撃でドイツ本土に侵入していたアメリカ軍だったわけです。

が、いざ「制空権」が重要になると、高高度性能の重要さは予想以上だったのでした。

例を挙げてみましょう。
一時、ドーバー海峡の空を制したドイツの空冷Fw190Aは、
スピットファイアのMk.IX(9)(とその後のP47)の登場により、
その高々度性能が致命的に劣ってしまい、以後は戦闘機の道を捨て、
戦闘爆撃機としてその活路を見いだして行くことになります。

戦闘爆撃機としてのFw190シリーズは、
イギリス側が、対抗策として低空型スピットファイアを開発するハメになったほどなので、
必ずしも性能的に劣っていたとは言えません。
だが、それは「戦闘爆撃機」として優秀だったのであって、戦闘機、
その時期にもっとも重要だった機体からは、すでに外れています。
高度的な優位を失ったドイツ機が、以後、
ドイツ上空の制空権を維持するのは、もはや困難だったのです。



機体性能では、同時代の戦闘機を完全に凌駕していたFw190A。
特にロール性能のデータなんて、何かの計測ミスではないか、ってな位の数値を叩き出している。

だが、高高度でもエンジン出力を維持できるようにする過給器が弱く、
その一点で制空権を争う戦闘機としては使えなかった。

日本のハ45(誉)も同じ弱点を持ち続けたから、たとえ問題なく稼動しても、
疾風、紫電改で制空権取ったる、というのは米軍機相手では無理だろう。
米英は過給器の開発と、その根源である高オクタンガソリンの開発において、
枢軸国を2周分くらい周回遅れとしていた、と考えていい。




それに対抗するためのドイツからの「エレガントな解答」がジェットエンジンだった。
その高速性よりも、むしろ高高度性能の方が、
連合国の爆撃機に悩まされていたドイツにとっては、より魅力的だったはずだ。

ちなみにタービンによる「燃焼用空気の圧縮」というアイデアは、
事実上、アメリカのサンフォード・モスが作り出したものだが、
残念ながらアメリカ、ジェットエンジンでは完全に出遅れた。
モス自身がジェットエンジン(というかガスタービン)の概念をつくりながら、自分では開発に失敗、
GEに職を求めて、そのまま排気タービン開発に走ってしまったのも大きいが、
どうも基本的によく理解してなかったようにも見える(笑)。

まあ、ジェットエンジンに関しては、ドイツはその先見性をいかんなく発揮したと言えるのだ。
ちょっと、間に合わなかったんだけどね(笑)。



逆もまたしかりで、それまで細々と対地攻撃機として使われていたP51ムズタングが、
マーリン60系という、人類史上最高の高々度レシプロ水冷エンジンを手にした瞬間、
それは最強の制空戦闘機に生まれ変わってしまったのです。


よく言われるように、航空機の性能の多くはエンジンで決まるのですが、
レシプロエンジンでは、それは単純に馬力だけの問題ではなく、
いかに優れた過給器(スーパーチャージャー、ターボチャージャー)を積んでいるか、
ということも大きなポイントとなります。
海面高度で3000馬力出ても、高度6000mを越えると性能ガタ落ち、
というエンジンでは制空戦闘機は造れないのです。



1段1速と言う東洋の島国製のような過給器しか持ってないアリソンV1710シリーズを搭載してデビューしたP51ムスタング。
このため、実戦配備が始まった1942年には、これまた戦闘爆撃機しか使い道がなくなっていた。

だが2段2速過給機を積んで高高度に強かったマーリン60系エンジンが搭載されることで生まれ変わるのだ。
この機体が世界最強の制空戦闘機になるんざ、ノースアメリカン社内でも、
誰も想像していなかったはずである。

写真は、そのアリソンエンジン搭載のA型。ノーズの上にキャブレターの空気取り入れ口があるので、
以後のマーリンムスタングとの識別は簡単だ。



ただし言うまでも無く、速度と高度だけで戦闘機の優秀さが決まるわけではありません。
運動性、加速性などの要素も重要だし、戦場の条件によっては航続距離も重要です。
後ほど、それらも検討しますが、そうはいっても、やはり速度と高度は「相手より優位に立つ」という点で、
もっとも大きい要素だと思われます。

この点で、大気圧縮タービンの神様、サンフォード・モスがいたアメリカ、
流体力学使いのエンジン屋、スタンレー・フーカーのいたイギリスは実に幸運だったのです。

NEXT