コクピット周辺。左右に膨らんだマルコムフードですが、それでも後方視界は限られるので窓枠の上に付けられたバックミラーは必須の装備でした。余談ですがバックミラーは和製英語であり、英語ではリアビュー ミラー(Rear view mirror)ですから注意。

スピットのミラーは、この機体に付いてるような丸くて外付けのモノが標準のはず。が、初期のMk.I にはミラーが付いてなかったので、そこら辺りの車からパーツを分捕って来て取り付けてたり、以降もより大きな四角いものに代えてあったり、さらには外ではなくコクピット内に取り付けてるものまであり、正直、どれだけの種類があるのか、そしてどこまでが正規のものなのか、よく判らん部分があります。この辺りは謎としておきます(手抜き)。

キャノピー(天蓋)下に見えてる赤い線はコクピット上部にある緊急投棄用レバーに繋がっており、それを引くとこの線が固定棒を引き抜き簡単にキャノピーを投棄できるようになります。このため、スピットは比較的脱出が楽な機体で、コクピットに閉じ込めらえる恐怖の少ない戦闘機でした。

後ろ側の窓の中に見えてる、背もたれ板に付いてる円筒形のものは電源に繋がる変圧器。
ついでにコクピットから後部の胴体は一部のリベットの頭が剥き出し、すなわち枕頭鋲では無いのにも注目。Mk.VII(7)以降から、スピットも完全に枕頭鋲になるんですが、Mk.V(5)まではこんな状態です。この辺りが1936年初飛行の機体だなあ、という感じでしょうか。



胴体後半部。こちらはかなりの部分が枕頭鋲化されてます。同じMk.V(5)でもロンドンのRAF博物館にある機体、1942年初頭に製造されたとされる機体ではもっと剥き出しの通常リベットだらけですから、生産中に改良が進んでいたのだと思われます。Mk.V(5)は大量生産された事もあり、初期、後期、さらに熱帯型で細かい部分がいろいろ違うので注意が要る機体なのです。

胴体上にある棒はアンテナではなく、単なるアンテナ線支柱であり、そこから尾翼の上までアンテナ線が張られてるのが確認できます。すなわち、まだ無線が高周波のVHF化されてません。この時期だと既にイギリス空軍、RAFはVHF化、高周波で多くのチャンネルが詰め込める無線機を使ってたはずなんですが、アメリカ陸軍はこの点がまだ遅れており、低周波の無線のままだったのでしょう。まあ、イギリスが“植民地から来た田舎の軍隊”にイヤガラセで古い無線の機体を押し付けた可能性も否定しませんが…

胴体上部に四角い赤いシールで塞がれてる所は信号弾の発射口。意外に知られてませんが、スピットは胴体後部のここに6連装信号弾を埋め込んであり、コクピットからの操作で打ち上げる事ができました。どういった時に使うのかはよく知りませんが。ただしMk.XIV(14)にはこれが無かったので、グリフォン搭載以降のスピットには搭載されてない可能性があります。



尾翼周辺。尾輪はまだ固定式で飛行中も収容されません。尾輪の上にあるのは支柱の最大耐久重量の注意書きのようですが、詳細不明(タイヤの空気圧にしては数字が大きすぎる)。

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