■愛知M6A1 晴嵐
Aichi M6A1
Seiran
伊-400型潜水艦、というのをかつて日本海軍は建造しちゃった。
3機の航空機を搭載し、敵の近所まで出かけていって、この機体で攻撃したれ、
というコンセプトで造られた潜水艦らしいのだが、徹頭徹尾、どうしてそれが可能だと思ったのか、理解できない(笑)。
イチイチ説明することはしないが、何の役にも立たないし、実際立っていない。
これを本格的に量産する気だった、というのは、うーん、何なんでしょうね。
そんな不思議コンセプトの不思議潜水艦戦用の艦載機(?)として造られたのがこの晴嵐。
英語で言うとClear
Sky
Stormだ(ホントにスミソニアンの説明にはこう書いてある)。
てっきり天気雨の親玉、キツネの嫁入りのLサイズ、すなわちお稲荷さんの嫁入り、しかも再婚!
みたいなもんかと思ったら、山岳気象の名で、晴天時にガスった状態などを指すらしい。
…そんな気象用語、初めて聞いた。

■スミソニアン航空宇宙博物館 ウドバー ハジー別館にて撮影
これも世界で唯一の現存機。28号機でこれが最後の生産機、
とされるから、晴嵐(とその派生型)は全部で28機しか造られていない(異説あり)。
すなわち晴嵐28号で夜のハイウエイにガオー。
現物はえらく巨大で、私がこれまで見てきて日本の単発機の中では最もデカイ(ジェット機除く)。
よくこんなデカイものを潜水艦に積んだもんだ、と思ったら、
主翼も尾翼も折りたためるらしい。え?主翼下にバッチリ付いてるフロートは?
と思ったら、取り外して収納したらしい。なんだそりゃ(笑)。
発進時は艦外に出して、クレーンでつるして装着するんだろうか。
(艦内で取り付けるスペースがあるなら、そもそも外す必要はない)
…ノンキだねえ…。
で、この晴嵐も伊400号型も、実戦には参加しそこねたが、実際の出撃は伊400型2隻で一組となっていた。
搭載機は両者あわせても6機のみ。
で、世界中の神様がある日突然、日本の味方になって、この6機全機が奇跡のように作戦空域に展開できたとしよう。
一般的に流布しているデータによれば、晴嵐に搭載できる爆弾は800kgが1発(魚雷も可)。
これをわー!と抱えて飛んでいって敵さんにぶつけてくるわけだ。
でもって、戦艦に積まれていた41cm砲の主砲弾が約1トンと言われている。
まあ、大雑把にいってこれと同じような大きさの爆弾、と考えた場合、
「伊400号と愉快な仲間たち」の攻撃能力は41cm砲6発分ということになる。
これは例えば、戦艦 長門に詰まれた全8門の主砲によるたった1回の一斉射撃より、
その攻撃力は完全に劣るのである。
1年以上もかけて建造した潜水艦に150名の乗組員を載せて(×2)、
えっほえっほと何週間もかけてアメリカ近海まで出かけていっても、
イヤガラセの域を出ない攻撃力しか、そもそも持っていないのである。
その任務の危険性はきわめて高いことを考えると、あまりにハイリスク、ローリターンだろう。
戦争を大局的に見た場合、大きな要因の一つにコストがある。
終戦直前に出撃までこぎ付けた伊400型の二番艦、401号を見てみよう。
43年4月起工で44年3月進水(1年)、45年1月(起工から1年9ヶ月)にようやく実戦部隊配備となっている。
で、実はサンフランシスコ旅行記に出てきたアメリカの潜水艦、パンパニト(PAMPANITO
(SS-383))が、
ほぼ同じタイミング、43年の3月に起工されていたりする。
こちらは同年7月には進水(4ヶ月)、11月(起工から8ヶ月)には実戦配備についていた。
同時にスタートした伊401は進水すらまだである。
でもって、パンパニトは伊401がようやく完成した後、なんとか出動まで漕ぎ着けた45年の7月までに、
すでに日本艦6隻以上(駆逐艦、海防艦を含む)を撃沈してしまっていた。
いわずもがな、だが同型艦もバンバン造られ、多かれ少なかれ、それらも同様の活躍をしている。
(まあ大鳳とか信濃とかを沈めてるわけで)
日本海軍の対潜能力の悲しさを考慮する必要があるとはいえ(涙)、ただ普通に魚雷を積んで、
普通に敵艦を襲ってる方が、はるかに有用だったのである。飛行機なんていらん(笑)。
さて。
1年9ヶ月もかかってようやく実戦に投入された伊401は結局、作戦中に終戦を迎え、何もできないまま帰国する。
途中、アッタマに来てヤケっぱちとばかりに
晴嵐をカタパルトから打ち出して海に沈めてしまったくらいが実績と言えば実績なのだ。
まあ、日本国民として言えることはただ一つ「金返せ」ですね。

ちょっとだけ近づく。
この機体、工場で完成状態のまま置いておかれたものを接収したようです。
ただし記録では福山基地(広島?)から赤塚大尉(
Lt. Kazuo Akatsuka
)がこれに
乗って横須賀まで運搬した、というか降伏のために飛んできた、みたいな事が書いてあります。
…まあ、詳細は不明ってことで。
が、カリフォルニアのアラメダ海軍基地に持ち込まれた後、テストもされた様子がないまま、
かなり長い間放って置かれ、さらに1962年にもういらない、とスミソニアンに寄付された後も、
「倉庫、もう一杯だから」という理由で(涙)長期の間、雨ざらしだったようです。
なので、オリジナルのコンディションは微妙、といったところ。
97年ころから、数年にわたってレストアされ、2000年に完成後、ここに展示されているのですが。
かなり会心のレストアだったようで、スミソニアンのホームページは、
この機体のレストアに関する記事が、いくつかあります。
それによると、この機体外板に「村」の字と芸者の似顔絵の落書きが見つかったそうな。
現物はスミソニアンのホームページで見れます(ポールガーバー倉庫の方のページ)。
それ以外にもいくつかの落書きが見つかってるそうで(笑)、
スミソニアンは「学徒動員の子供の仕業?」と推測してますが、どうでしょね。
ちなみに、本機のレストアには日本の方もかなり関わっているようです。
せっかくだから、レストアに関するコメントを一部紹介すると、
「大戦末期の日本機は、えらくまあいい加減な造り」だったそうで、
オリジナル状態からそうだったと見られるさまざまな製造上の不具合が見つかってます。
燃料タンク内に品質検査の紙が置き去りになってたりと、
そのまま飛んだらえらいことに、というものも多いそうです。
晴嵐、万が一実戦に間に合ったりしちゃったら、相当悲惨な事になってたでしょう…。
ついでに「少なくともこの機体には」フロートの切り離し装置は付いてませんでした。
一度つけたまま飛んでしまうと、パイロットの意思でこれを投棄する、
というのはできない設計になっているそうです。

フローと部アップ。かなりでかい。
フロート上の赤い線は、多分、ここより前に行くと、プロペラが廻っていて危険でヤンス、の意味。
NEXT