正面上方向から。
戦闘機の最大胴体幅はほぼエンジンの大きさによって決まるので、
それさえなければ、胴体はこれだけ細く絞りこめるわけです。
これでコクピットと燃料ダンクと武装さえなければ理想の戦闘機が造れます(笑)。

コクピットの後ろに2本飛び出してるのが、いわゆる斜め銃で、
斜め上に向けて設置された20mm機関砲ですね。
実は中心線上ではなく、機体右側にズレて搭載されてるのに注意。
なぜかは知りませぬ。

ちなみに上だけでなく、斜め下にも20mm機関砲が2門、
搭載されていたのですが、こちらはあまり使い道がなかったようで
後に重量軽減のためにほとんどの機体で取り外されてしまってます。
ついでに下向きの機関砲は普通に機体中止線の辺りに置かれてました。



やや横向きの上側から。
コクピット後ろの斜め銃が機体の右側にあるのがわかります。

元々状態がよかったのでしょうが、非常にきれいな機体で、
これだけ表面の凸凹が目立たない日本機も珍しいです。
磯野、否、中島の技術力でしょうか。

エンジンナセルが主翼上面にはそれほど食い込んでないのも注意。
日本機がお手本にしたドイツの双発機にはない特徴で、
むしろフランスの双発戦闘機、ポテーズ(Potez)630に近い印象があります。

日本機としては珍しく、ドイツではなくフランスの機体を参考にした、
と言えるのかもしれません。



もうちょっと前方向から。
機首下に飛び出したフックのようなものは速度や高度を計測するピトー管。

しかしキレイな表面処理で、これは層流翼です、
とか言われても納得しちゃうかも。

そういえば、この機体もエンジンカウルは黒ですね。
海軍で栄エンジン系の機体はカウルが黒なんでしょうか



反対側から。

機首の先から出てる触覚のようなものはレーダーアンテナですが、
事実上全く役に立たず、現場ではアンテナだけ残して
レーダー本体は全て降ろしてしまっていたようです。

レーダー無しで夜戦が戦えるのか、
といえば無茶言うな、というところでしょう。
凶悪な地上火災の灯りを機体が反射してしまい、
飛行中のB-29がことごとく見えた、という東京や大阪の
大規模夜間爆撃を別にすれば、打つ手はなかったはずです。

実際、日本軍の対B-29戦果はお粗末という他ありません。
戦後アメリカがまとめた
戦略爆撃調査書(United States Strategic Bombing Survey Reports)
において対日本戦のB-29の損失率は
対ドイツ戦の時のB-17やB-24の1/3以下だったと指摘されてますが、
私が調べた限りではもっとヒドイ数字のはずです。

第二次大戦時のB-29の損失数は資料によって多少バラつきがありますが、
総数で損失数400機台なのは全ての資料で共通しており、
とりあえず戦後アメリカ陸軍が公表した第20空軍損失報告書
(Airplane Losses on Combat Missions Twentieth Air Force)
によると414機となっています。

これは事故によって失われた機体も含んでおり、
純粋に戦闘による損失とされてるのは、わずか147機しかありません。
つまりB-29の損失の半分以上は、
実は日本軍は何もしてない事故損失なのです…。

さらにそのうち、戦闘機による撃墜とアメリカ軍が判断してるのは
わずかに74機、対空砲か戦闘機か判断できない、
とされてる損失19機を足しても93機にしかなりません。

そして大戦を通じてB-29の延べ出撃数は総数で約33400機前後。
戦闘機が落としたと考えられる最大数が93機としても
飛来したB-29の0.28%にしか撃墜できなかったという事です。
つまり、もし100機の大編隊が飛んできたとしても、
防空戦闘機は1機も落とせなかったのがむしろ普通だ、という事になります。
この数字を見る限り戦闘機部隊は
事実上、無かったに等しいと言わざるを得ません。

これは明らかにレーダー網を始めとする
対空システムを計画的に構築しなかった軍上層部の責任でしょう。
開戦直前にアメリカの戦略爆撃計画は
現地の新聞にすっぱ抜かれていたのですから、
知らなかったとは言わせませぬ。
(ドイツでは空軍関係者が膨大な数字の爆撃機の生産を信じず、
あまりに楽観的だったと戦後にシュペーアが指摘しているが、
それでもあれだけの対空防衛網を構築してしまった)

ただし日本もレーダー基地の建設はやってはいました。
代表的なものは中国方面からの飛来に備えた済州島と
太平洋側からの飛来に備えた八丈島西岸のレーダー基地でしょう。

が、これらのの精度は低く、
1944年11月のB-29による初の本土爆撃では
先行して飛来した偵察機を八条島のレーダーは完全に見逃してますし、
3月10日の東京大空襲の時も、あれだけの機数を、ほとんど捕らえ損ねています。
(この日は強風でアンテナが揺れ、探知が困難だったらしい)

ちなみに八丈島は全島が防空要塞と化していた日本では珍しい基地で、
このため、終戦までレーダー基地は健在でしたが、
残念ながら、十分な任務を果たしたとは言いがたいでしょう。
(アメリカ側も捕虜収容所があると考えてたらしく攻撃を禁じていたフシがある)

また、鹿児島の笠ノ原基地に進出した三五二空のパイロットの方の回想によると、
九州地区のレーダーは近距離でしか探知ができず、
このため高速で接近してくるB-29を迎撃に出撃しても、
追いつけない、高度を上げてる間に逃げられてしまう、
という事がたびたびあったようです。

現場で命を賭けてB-29に立ち向かった戦闘機パイロットたちの無念、
地上からこれらを見上げていた日本国民の無念を考えると、
なんともやりきれない気分になります。

ちなみに戦闘機以外、対空砲による撃墜を含めても、
総出撃数に対する損失率は約1.24%、
つまり100機出撃するごとに1機の損失がせいぜい、という事です。
統計的には誤差の範囲といったレベルの数字となってます。

ついでにドイツの対空網の戦果はどうだったのかも見ておきましょう。
これも戦後にアメリカ陸軍が発表したヨーロッパ戦線の作戦における航空機戦闘損失
(Airplane Losses on Combat Missions in European Theater of Operations)
による数字だとB-17とB-24の重爆撃機に限っても
総損失が5548機、まさに桁違いで、対日本戦のB-29の13.4倍となってます。

特に半分以上が事故機だった対日戦と違って、
対ドイツ戦における事故損失は657機だけで全体の12%前後に過ぎません。
つまりドイツは自らの戦闘力で多大な損失をアメリカ重爆撃機に与えてます。
さらに戦闘で失われた機体だけなら4891機で、こちらは実に33.3倍です…。

この数字、双発爆撃機、そしてイギリスの夜間爆撃機の損失は別ですから、
ドイツがどれだけの爆撃機を叩き落としたかを考えると、
背筋が寒くなるものがあります。
爆撃機乗りにとって、対日戦線はあこがれのリゾート地だった、
というのはあながち誇張ではないでしょう。

ついでに対ドイツ戦の中で戦闘機による損失、と判断されてるものは2452機で、
これまた約26.4倍と凄まじいまでの差が付いてしまってます。

ドイツの場合、日本より長い期間、倍近いの2年半近く爆撃にさらされた、
という面もありますが、13倍以上、最大33倍もの差が付いてしまっては、
これは言い訳の余地無く対空防衛網の質の差です。
レーダー、航空無線、そして強力な火器の開発、
といったドイツの努力の結果がこの数字なのです。

結局、日本軍はB-29に対して、無力に近かったと言わざるを得ません。

月光と言う戦闘機は、そんな防空網の一端を担っていた機体、
という事ですから、その性能云々を考えるまでもない、という事でもあります。
よって、この記事ではその点は考えません(笑)


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