胴体部を上からアップで。
斜め銃がちょうどこちらを向いてる角度です。

こういった斜め銃はドイツの夜間戦闘機でも使われてましたが、
あちらも1942年ごろから実験を始め、日本とほぼ同時、
1943年の5月に実験機による初撃墜を記録しています。
両者の間になんらかの情報交換があった、
という資料は見ませんから、偶然なんでしょうね。
(月光採用後、日本がドイツに教えた、というヨタ話は
時期が全く会わないので問題外)

この機体、当初は3人乗りでしたが、夜間戦闘機になってからは
操縦士と偵察員の二人乗りとなってます。
ただしレーダーが事実上使い物にならなかったこの機体では、
偵察員は主に地上からの誘導無線を担当していたはずです。

他にも夜間で迷いやすいため、短距離の迎撃機とはいえ、
航法も担当していた可能性アリ。




機首部とかエンジン正面とかの上からのアップ。

機首下面の変なフックみたいのは先に書いたようにピトー管です。
普通は主翼の端に設置するものなんですが、
月光ではアンテナポールを兼ねてここに置かれてます。

この時代の機体には長い波長に対応するためのアンテナ線が張られてました。
通常はアンテナポールがコクピットの後ろ辺りに立てられ、
そこから垂直尾翼までアンテナ線が張ってあります。

が、月光の原型となった2式陸偵には
アンテナ線が機体上面と下面の2本ありました。
理由は不明です。
その機体下面のアンテナ線は、機首下のこのピトー管から
胴体中央下に立てられたアンテナポールまで張られている、
というちょっと変わった構造になってます。

でもそれなら、これも単なるアンテナポールにして、
ピトー管は普通に主翼端につければいいよな、という気もします…
機体から大きく離れて気流の影響を受けないこの位置は、
ピトー管に理想的な配置ではありますが。

ちなみに機体上面のアンテナ線とアンテナポールは、斜め銃の射撃で
切られてしまう恐れがあったのか、月光になってから取り外されてしまってます。
それで大丈夫だったのか、という感じですが、
別の場所に付け替えられた形跡も無いので、なんとかなったんでしょう…



お次はコクピット周辺を。
中島製の機体にしてはコクピット周りの枠組みが多い感じ。

手前のエンジンカウル上のチョンマゲみたいな部分は栄エンジンの吸気口とダクト。
排気管は単純な単排気管になってますが、
初期の月光はエンジン排気管からの炎で
パイロットの目が眩惑されないよう、消炎式の排気管がついてました。
どうも後期の型はそれが無いみたいです。

月光は爆撃機が相手(つまり対面して前から撃たれる)なんですが
コクピット正面に防弾ガラスは入ってないか、
入っていても気休め程度で、
どう見てもアメリカの12.7mmを止められるものでは無さそうです。

その正面ガラスの上に付いてるのが
恐らくななめ銃の照準器だと思いますが、保証は無し。

ちなみに月光のコクピットのキャノピー(天蓋)は
横に開けて乗り込むタイプで、
こちら側に蝶番があるのが見えてますね。

この方式だと離陸準備に入って閉めてしまうと、
開けるのは面倒なので、整備員と会話するために
横の窓がスライド式に開くようになってます。
この辺りは、ドイツ機っぽい部分です。

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