■フィゼラーFi156 シュトルヒ

Fieseler Fi156 Storch

 

第二次大戦時、ドイツ空軍が運用した小型な連絡、偵察などの多用途機です。

このFi156は短距離連絡用としては非常に優れた機体だったようで、
開戦前の1937年に生産が開始され、大戦中から戦後にかけて
少なくとも3000機以上が作られたとみられています。

大戦中の1943年中にフィゼラー社の工場は
Me-109などの戦闘機のライセンス生産に切り替えられてしまうのですが、
シュトルヒの生産ラインはチェコスロバキアに移され、その生産は続いてます。
その後、フランスやルーマニアでも生産は行われたようです。
よほど優秀な機体だったのでしょう。
ちなみに戦中にドイツの管理下で生産されたのは2600機前後とみられています。
(RAF博物館は2549機と細かい数字まであげていたが、
これがどこまで信用できる数字なのかはよくわからず)

さらには、独ソ開戦前、まだ表向きはラブラブだった
ソ連に対し、うっかり(笑)数機を供与してしまったため、
こりゃいいや、と現地でコピー機がガンガン生産されてます。

さらに戦後も、生産設備を引き継いだ
フランスやチェコスロバキアで、1960年代まで、
派生型が生産され続ける、という息の長い機体でした。
戦後型はフランス軍(陸軍?)でも使われています。
それら全部を合わせると、最終的な生産数はそれなりのものになるはずです。

逆にいうと、現在、世界中の博物館で見られるのは、
この戦後型がかなりの数に上りますが、
とりあえず、今回は大戦時の生産型を中心に紹介します。

ついでに21世紀に入っても航空ショーでよく飛んでますが、
それらの機体の多くが戦後生産型ですね。



シュトルヒという名前はドイツ語でコウノトリのことらしいです。
地上状態ではわかりませんが、飛行中は主脚の緩衝部が
ビヨーンと伸びきってしまうため、その姿が、
コウノトリに似てる、とのことでこの名がついたようです。

その伸びた状態が、こんな感じですね。
私はコウノトリが飛んでるのを見たことがないので
なんとも言えませんが、似てるんでしょう、多分…
正面から見ると、コウノトリというより、
もっと昆虫的な印象を受けますけどね。

ちなみに小型機ながら45pという
巨大な緩衝装置が脚部には入っており、
これによって不整地への離着陸性能を上げていたようです。

ちなみに空中で脚が伸びてしまうのは、これのためです。



前線連絡機という分類は、日本人の感覚ではつかみにくい機体ですが
数百qの広い地域で一気に巨大な軍団が進撃した
ヨーロッパ戦線では必須の機種でした。
各師団の指揮官が作戦会議で集まったり、
命令書を受け取るだけでも一苦労ですから、
その移動、連絡の手段として活躍することになります。

さらに軍集団レベルになると数万から数十万という兵員ですから、
広大な範囲に展開する事になります。
このため司令官が自らの軍集団の現状を把握するのに、
空から視察する、というのは有効な手段だったようです。
あ、あの野郎、まだこんなとこウロウロしてるのか、みたいに。

ちなみに、こんな低速機で敵の支配地上空を飛んだら、
速攻で叩き落とされますから、
偵察、といってもむしろ友軍の把握が主だったりします。

これは湾岸戦争の時も同様で、アメリカ軍の司令官が
自軍の展開状況把握のため、ヘリで上空から見てまわったりしてますね。

このシュトルヒは御覧のように巨大な主翼で、
50m以下の滑走路で離着陸ができたとされますから、
ちょっとした小学校の校庭くらいの空き地があれば、
前線基地からでも、その運用が可能でした。

時速50qと、極めて低速で飛ぶことが可能で、
当然、これは対気速度ですから、向かい風なら、
さらに低い速度で離陸してしまえたようです。

強い向かい風の中、後ろ向きに進みながら着陸した、
という伝説があるほか(笑)、
風向きによっては、空中でホバリングのような飛行すら
可能だったと言われています。

その代わり、速度はせいぜい180q/hと自動車よりは速い、
というレベルでしかなく、
航続距離も380q前後で目的地で給油できないと、
帰ってこれるか微妙かも、という機体でもありました。

さらに230馬力前後のエンジンでは
パイロットを含め最大でも3人乗りが限界だったため、
師団の司令官と参謀長といった
ホントに最低限の人員しか運べなかったようです。

それでも現場指揮官の足として、ヨーロッパ戦線はもちろん、
アフリカのロンメル軍団などでも活躍をした機体で、
第二次大戦のドイツを代表する機体だ、
という点は間違いないでしょう。

ちなみに、前線指揮官は当然、陸軍軍人であり、
その利用者も陸軍となります。
が、例の衝撃の白いデブ、国家元帥ことゲーリング閣下が
牛耳るドイツ空軍が、空飛ぶものはすべて俺のもの、
という理屈で陸軍による運用を認めなかったため、
常に空軍のパイロットと整備員が
陸軍の部隊に随伴していたようです。

その上、白デブは、これを使って
空軍の発言権を高めようと考えていました。
この結果、対フランス&低地諸国の電撃戦の時、
約100機近いFi156で400人の空挺部隊をピストン輸送して、
アルデンヌ侵攻のA軍集団の奇襲作戦に参加しています。
これはそこそこの成功を収めたものの、
それによって生じたベルギー軍の混乱に
暴れん坊将軍グデーリアンの軍団が巻き込まれる、
という副作用が起きたりもしています…。

さらに1943年9月にイタリアの政変によって逮捕されてしまった
ムッソリーニの救助作戦でも、この機体が活躍してます。
(作戦はイタリア降伏後だが、逮捕は降伏前に起きていた)
グランサッソの山荘に幽閉されていたムッソリーニを
救出した後、山の上からシュトルヒで脱出させたのです。

ただし3人乗りですから(笑)、グライダーで降下作戦に参加した
他のドイツの空挺隊員たちは、
徒歩とロープウェイで地道に下山したそうですが…。

意外な記録としては、アメリカ&イギリス相手の西部戦線で
最後の空中戦(笑)を行ったのもこの機体でした。
アメリカの同じような連絡機、L-4と遭遇した際、
L-4側のパイロットと観測員が45口径の拳銃でシュトルヒを撃ちまくって来たそうで、
最終的に強制着陸に追い込まれたシュトルヒのパイロットは捕虜になったそうな…。
さらに、終戦間際にベルリンから脱出した要人なども、
この機体を利用してますね。
なので、まさに戦争の最初から最後まで活躍した機体なのでした。

ついでに、イギリスのダメ将軍、モントゴメリーが北アフリカで
鹵獲したこの機体を利用していた、とされますが、
自伝などにそういった記述はなく、写真なども残ってないようです。
ただし、鹵獲した100機を超えるシュトルヒの多くを
イギリス軍が現場で運用していたのは事実で、
おそらく使用していたかも、という感じでしょうか。


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