■まあ誰でも思いつくからね

さて、そんなわけで、アポロ計画後におけるNASAの主要計画となったのが、
宇宙輸送交通網(Space Transportation System)計画でした。
(この場合のSystemは運送網の“網”にあたる用語)

名前からわかるように、都市交通のように、
手軽に、すなわち安価かつ高い頻度で宇宙に行ける
輸送機関の開発がその目的で、宇宙ステーション(計画は中止となったが)と
地上の間を、まるで都市間の航空網のようなネットワークで結ぶ構想でした。
その結果生まれたのが全ての主要機材が再利用可能な宇宙船、スペースシャトルでした。
ついでながらスペースシャトルに関わる計画全体の正式名称は
最後まで宇宙輸送交通網のままだったようです。

なので計画の大前提となる要求が、従来のロケットと違って、
頻繁に宇宙との往還ができる宇宙船、という点であり、
その結果出てきたのが、使い捨てでなく再利用可能な宇宙船、という結論でした。
使い捨てでなければ、その分価格が下がるし、
毎回、新たにロケット造らずに済むので、
次の打ち上げもすぐ準備できる、という理屈ですね。

まあ、確かに理屈はその通りなんですが、あくまで理屈(笑)。
現実にはそのためにやたら複雑な機構となってしまい、
むしろ金も時間も、ほとんど節約にならなかった、という結果になってしまいます。
それでも、巨大な輸送能力を手に入れたり、
多くの搭乗員を一気に打ち上げられるようになったりと、
プラスの面も少なくなかったんですが…。

でもって、そんな再利用可能な宇宙船、というアイデアは、
別に1969年の段階でNASAが思いついたステキ アイデアではなく、
それこそ宇宙開発の初期からあったものでした。
まあ、誰でも思いつきますからね、そんなの(笑)。

そもそもNASA設立前、NACA時代の1958年ごろから
既に宇宙まで行って帰ってくる機体、というアイデアとその実証は開始されてました。
高速&高高度の研究&記録達成のために造られた3機のX-15も、
その一連の流れの中にあったと見ていいでしょう。

この機体はロケットエンジンを搭載した実験機で、B-52爆撃機に抱えられて離陸、
上空でそこから切り離されて、極超音速と呼ばれる
マッハ4以上の速度で飛行可能な機体でした。

これによって高速時、そして高高度の飛行データを世界で初めて収集する事に成功、
後のスペースシャトルの開発に貢献する事になります。
ちなみにX-15の基本設計はNASAが行ってますが、
その運用はNASAと空軍、海軍の共同運用となってました。



人類最速の航空機として知られるアメリカ空軍の実験機、
ノースアメリカン社の開発によるX-15。
全部で3機が造られまました。
写真はスミソニアンの航空宇宙本館で展示されてる1号機。
2号機は後で見るように空軍博物館にあり、
3号機は実験飛行中の事故で失われ現存しません(パイロットも死亡)。

1959年、アポロ11号の月着陸より10年も前に初飛行したこの機体は、
後に改造されてX-15Aとなり、最速記録マッハ6(4534mph=7296.7km/h)を記録します。

さらに到達高度は95.5qと、ほぼ大気圏外直前にまで達するものでした。
このためアメリカ空軍ではX-15の高高度飛行は事実上の宇宙飛行だった、としています。

ただし両記録は有人航空機の記録としては、現在でも最高のものですが、
国際航空連盟(FAI)の公式記録ではないのに注意が要ります。
X-15は自力で離陸できず陸上機、水上機どちらの範疇にも入らなかったので、
あくまで非公式記録扱いになってるのです。

さらに無人機でなら、その最高速度記録は既に破られてる上に、
単に主翼があって大気圏内飛行が可能な航空機、という事なら、
スペースシャトルの方がはるかに高速、高高度を飛んでました。
スペースシャトルの大気圏突入直後の速度はマッハ24前後(28163.5km/h)であり、
その後も10分近くマッハ21以上(約26000km/h)、X-15の数倍の速さで
大気圏内(高度65km以上の希薄な大気の中だが)を“飛行”してるのです。

なのでX-15の記録は“有人機が水平飛行から到達した最大高度、最高速度”
といった辺りが正確な定義になりますかね。

さらにこの機体では、後のスペースシャトルにつながるような、
さまざまな新しい装備が試されていました。

まず空気の薄い高高度でも機体の制御を行うため、
RCSと呼ばれる一種のジェット噴射装置を機首と主翼端に設置し、
この噴射による反動で機体を制御しています。
この原理は後にスペースシャトルでも利用される事になります。

さらにマッハ6という凄まじい超音速の背後衝撃波に耐えるため、
(高高度なので大気密度は低いがそれでも凄まじい高圧、高温になる。
事前の計算では1300度前後に達すると見積もられたらしい)
溶解する事で熱を奪う耐熱塗料を塗ったりしてますし、
さらには使用後、パラシュートで回収して再利用できる燃料タンクも
この機体で初めて採用されています。



でもってこちらがアメリカ空軍博物館で展示されてる2号機。

まず機首先端部の横に、小さな穴が二つ開いてるのが見えるでしょうか。
これがRCSの噴射口で、機首のここからの噴射によって機体の向きを制御します。

機体から出っ張る形になるコクピットはマッハ数が上がると、
機首部の衝撃波壁の外に出てしまい超音速気流の直撃を受けたはずで、
よって、ここに衝撃波が発生、その背後熱をモロに食らう事になります。
このため耐熱ガラスを使った極めて小さな窓しかないのにも注目。
小さな機体ではないですから、この視界での着陸は無茶苦茶怖かったと思いますよ…。

ちなみにその窓に変な板がついてますが、これは窓を守るためのシャッター。
先に説明した溶解して熱を吸収する塗料対策で、
それらが解けて飛び散った後、窓に張り付いて視界を奪うのを避けるためのもの。

…いや、防ぐって、それコッチの窓の視界がゼロになる、って事では、
というとその通りで(笑)、超音速飛行に入った後はこのシャッターの無い、
反対側の右側の窓だけの視界で飛行、超音速飛行が終わるころには
そっちは塗料がべっとりで使えなくなるので、こちらのシャッターを開いて
着陸までは左の窓からの視界だけで飛行する事になります。

…ホントに無茶苦茶怖かったと思いますよ、この機体の着陸(笑)。

さらによく見ると機体には赤い三角形の射出式脱出座席在り、のマークが書かれてますね。、
X-15の脱出装置は、当時の流行だった(?)コクピットごと切り離して撃ちだすタイプでした。
よく見ると、コクピット周辺が別部位になってるのが写真でも判ると思います。
ただし、これも一定高度以下、一定速度以下でなくては利用できず、
さらには何度かあった事故では、一度もまともに作動してないようです…。

ついでに機体後部を見るとAPU排気口(EXHAUST)と大きく書かれた下に、
小さな煙突のようなものが見えてますが、これは文字通り
発電用の補助エンジン(APU/Auxiliary power Unit)のための排気口です。
現代のジェット旅客機なども尾部に積んでるAPUですが、
X-15では機体中央部にあったのです。
極超音速機の表面に、無造作に煙突が飛び出ていて驚きますが、
この高さなら、機首とコクピットで発生した衝撃波の傘の中に入るため、
ここでは超音速の気流がぶつからなかったのだと思います。

さらに手前の床に置かれてるのは
おそらく補助用に開発されてたスクラムジェットエンジンのダミー。

スクラムジェットエンジンは一種のラムジェットで、
(衝撃波背後の高温高圧空気を利用するため圧縮タービンを持たないジェットエンジン)
このダミーはそれを付けた場合の機体への影響を調べるためのものでした。
試験段階で衝撃波背後熱によってこのダミーが破損してしまったため、
実際には採用されなかったはず。



でもってこちらが補助燃料タンク。
X-15がAになって採用されたものですが、どうもこの2号機でのみ使用可能だったようです。
使用後はパラシュートで回収して再利用、というスペースシャトル式の設計になってます。

機体の左右両側に1本ずつ搭載できるのですが、恐ろしい事に(笑)左右で入れる液体が異なり、
このため当然、左右で重量が異なります。
となると、B-52から切り離された瞬間、機体に前後軸を中心にぐるっと回転する力が加わるわけで、
発進直後の操縦は、相当難しかったんじゃないでしょうか。

…ホントにこの時期のXプレーンズは無茶苦茶するなあ…。

ちなみに機体横には大きくアメリカ空軍と書かれてますが、先に述べたように、
X-15は海軍、空軍、NASAの共同運用でした。
一番上の写真を見ると判るように、垂直尾翼にはNASAの文字もあるんですが、
海軍の表記がどこにも見えませぬ…。
とりあえず海軍からもパイロットは派遣されてるので、参加はしてるはずなんですけどね。

ついでに、このX-15計画にNASAから参加していたパイロットの一人が、
ニール・アームストロング(Neil Armstrong)でした。
後にアポロ11号で人類として初めて月に降り立つことになる彼ですね。
(アームストロングは海軍のパイロットだがX-15飛行時には
宇宙飛行士に選抜され所属はNASAになっていた)

でもって、NASAが宇宙輸送交通網(Space Transportation System)計画以前に
いろいろやっていたのは、このX-15だけでは無かったりするのです。


NEXT