■主翼なんて飾りです

主翼付きのスペースシャトルを我々は見慣れてしまってるため、
宇宙船に主翼があってもあまり違和感を感じませんが、
大気圏突入後のわずかな時間しか必要でない主翼は、本来はあっても邪魔なだけです。
(1gでも軽くしたい宇宙船に、いらん重量が増える事になる)。
よって当初、NASAは主翼のない宇宙船を考えて居ました。

それが浮揚式胴体機(Lifting body)と呼ばれる一連の機体で、
1950年代末〜60年代にかけてNASAと空軍が
それぞれ実験機を制作して研究するほど注目されていた技術です。

恥ずかしながら私にはその飛行原理がイマイチよくわからんのですが、
単純に言ってしまえば、名前そのまま、胴体で揚力を稼いで飛ぶぜ、という機体でした。

そもそもは1950年代後半、アメリカが熱心に核弾道ミサイルを開発していた時、
偶然発見された謎の現象がその始まりとなってます。
それは一度宇宙空間に飛び出させたミサイルの核弾頭が、
大気圏突入後、なぜか目標に向かう弾道からズレてしまう、という現象でした。

ちなみにこの点はソ連も苦労しており、連中が世界初の人工衛星を打ち上げたのは、
その方がずっと技術的にはレベルが低く、それでいて技術力を誇示できたからです。
スプトーニクの段階で、ソ連は大気圏外まで核弾頭を放り出す技術を
すでに完成させてましたが、それを大気圏に突入させ、
さらに命中させる、なんてのは夢のまた夢でした。
なので、アメリカ側が抱いた恐怖、明日にでもソ連がアメリカに
核弾道ミサイルを撃ち込んでくるのでは、という心配は、
半分以上、杞憂だったわけです。

で、その対策を依頼されたNASAの前身であるNACAは、
様々な実験をした結果、細長い滑らかな円錐型の弾頭部が高速で斜めに大気圏に突入すると、
その形状が揚力を生んでしまう事を発見します。

この結果、大気圏突入後、放物線を描いて落下するはずの弾頭部に
余計な力が発生して弾道がずれてしまい、目標に当たらなくなってたのです。
このため、揚力が発生しない、丸みを帯びた短い円錐型の核弾頭部が採用され、
命中率の問題は解決される事になりました。



アポロ計画のカプセルはそれまでのものと違って、
やや丸みを帯びた、緩やかな円錐形になってます。
これは3人乗りになって床面積が広がったためだろう、と思ってたんですが、
ひょっとして、鋭い円錐形だと揚力が生じてしまい、
突入時の軌道がずれてしまうから?
でもそれなら、ほぼ同時進行のジェミニ計画の段階で同じようなデザインになってたはず。

……うーむ、とりあえず、ここら辺りは謎としておきます。

でもって、この発見から、じゃあ逆に細長い円錐形の物体は
主翼なしで揚力が得られて飛べるんじゃないの?という事になったのが1957年ごろの話でした。

この理論が注目されたのは、従来の宇宙船カプセルに飛行能力を与えて、
より安全で、回収も容易な地上への着陸が可能になるのでは?
と考えられたからで、そこから再利用可能な大気圏突入カプセル、という考えが出てきます。

じゃあ実験機を造ってその性能を確かめてみよう、となり、
NASAが1963年に最初の実験機、M2-F1を制作、これは無動力のグライダーでしたが、
無事、その飛行に成功、次は動力飛行機を造って実験だ、となるのでした。

ちなみにこのM2-F1は世界初の音速飛行男、チャック・イェーガーが飛ばしたこともあるようです。



でもって、その結果造られたのがノースロップ謹製、H-10とM2-F2でした。
どちらもロケットエンジン搭載の、動力付き浮揚式胴体機(Lifting body)です。

写真はスミソニアンの航空宇宙本館に展示されてるM2-F3で、
これは事故を起こしたM2-F2を修理する際に、さらに改造して造られた機体です。
円錐を半分にしたような胴体となっており、これで揚力が稼げるらしいのですが、
どういった原理によるのかは、私にはよくわかりませぬ。
実際に飛んでる以上、そうなんだろうな、という事にしておきます(手抜き)。

1966年にM2-F2は初飛行してるんですが、あくまで高速時に浮いてる事ができる、
という程度の揚力なため、自力での離陸はできず、
これまたB-52にぶら下げられて離陸、上空で切り離されて飛行してました。
ちなみにFM-F2はまだ無道力の滑空試験中に大破してしまったため、
動力飛行は、このM2-F3に改造された後、初めて行われました。

同時に造られていたL-10と合わせ、超音速飛行にも成功しています。




でもって、こちらが空軍が別途開発していた浮揚式胴体機(Lifting body)X-24A。
ちなみにこちらはマーチン・マリエッタ社製です。
写真は実機が造られる前に試作された実物大模型(mock-up)で
空軍博物館で展示されてるもの。

ただし浮揚式胴体機(Lifting body)の理論はNASAが開発したもので、
なんら技術的な蓄積がない空軍は、
この機体の開発にあたり、NASAから多くの支援を受けてます。

だったらNASAの機体に共同参加すればいいだけじゃん、というか
そもそも何で空軍が宇宙船位にしか使い道がない浮揚式胴体機(Lifting body)を
独自に開発してるのか、どうもよくわかりません。
実際、この機体の実験飛行はNASAと共同で行ってますしね。

まあ、この時代の空軍は軽く狂ってましたから、なんかその辺りの影響なんでしょうが…



てもって、X-24Aはその試験飛行終了後、次に計画されていた大気圏突入機、
すなわちスペースシャトルのデザイン研究用の機体に改造されてしまい、
その名もX-24Bとなりました。
…名前、ほとんど変わってないじゃん、という割には本人は完全に別機となってます。

このあたりは、予算不足のため、全く新しい機体が造れなかった、という事情があり、
この機体は一連の浮揚式胴体機(Lifting body)とは全く別の設計思想で設計されてます。
機体下面なんかは完全に平らで、浮揚式胴体機(Lifting body)の設計とは似ても似つかないものですし、
逆に言うなら浮揚式胴体機(Lifting body)は
宇宙船の大気圏内飛行用としても使い物にならなかった、という事でしょうか。

ちなみにこの機体はNASAと空軍の共同開発、共同運用になっており、
恐らくスペースシャトル開発のためのデータがいろいろ取られたと思われます。
が、基本的にはあまり似てないスタイルで、どの程度影響を与えたのかよく判りませぬ。

といった感じで、様々な先行する実験機があり、その中から
最終的にスペースシャトルのデザインが生まれてくるわけですが、
その迷走はもう少し続くのです。

が、とりあえず今回はここまで。


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