■主翼はいろいろ考えられていた

さて、そんな感じで1940年5月ごろからいよいよ本格的な設計がスタートしたムスタングですが、
その設計の中で、もっとも特徴的であり、新世代の戦闘機だなと感じさせたのが、
主翼とラジエター&オイルクーラーの配置でした。
今回は、まず主翼について見て置きましょう。

ちなみに今回の記事を完全に理解していただくには、ある程度流体力学の知識が必要でして、
できればこの記事、流体力学の基礎知識を読んでおいていただけると幸いです。
まあ、知らなきゃ知らないで、雰囲気でもある程度判るようには書きますが…



まず、ムスタングの主翼は典型的なテーパー翼(Taper/先細り)です。
なので胴体横の根元が一番幅広で、翼端に向けて絞り込まれています。
これは主に取り付け強度の問題ですが、
(テコの原理で支点から遠くで力を掛けるほど強力になるゆえ
派手にロールする機体は胴体から遠い場所の揚力と重量を軽くせねばならぬ)
翼端部にむけて絞り込むことで、僅かながら誘導抵抗への対策にもなってるはずです。
まあ、この程度の絞り込みでは、あまり効果もないでしょうが…。

ちなみに主桁(主翼を支える支柱)は前後に二本で、
その間に機関銃の本体(銃身部以外)を収めて(ただし当初は7.7o×2だった)、
さらに翼内タンクも置く積りでしたから、十分な間隔を開けて二本の主桁が主翼を貫通してます。

ちなみに空力担当のエド ホーキー(Ed Horkey)の話によると、
最初はスピットファイアのような翼を予定してのを、シュムードがもっとあっさりしたものでいい、
と判断したので、こういった形になったのだとか。
となると当初は楕円翼を検討したものの、おそらく生産性を考えて
結局、通常のテーパー翼を採用したのだと思われます。
軽量(ムスタングはやや重いが…)、高速の戦闘機における楕円欲のメリットは空力的なものでは無く、
その中央部の大面積部に多くの武装が積める、という点でしょうから、
おそらくシュムードは通常の主翼でも十分な搭載空間を確保できる、と判断したのでしょう。

ちなみに矢印の先、胴体前部への主翼接続部はわずかに前に出っ張てるのが判るでしょうか。
これはD型だけの特徴で、B型以前はもっと小さくほとんど目立ちませんし、
軽量型ムスタングのH型では消えてしまいます。
この部分はムスタングの最大の謎の一つで、なぜD型だけこうしたのか、
ハッキリした情報がどうもありませぬ。

よく見かけるのが車輪の収容部、という説明ですが、
B/C型でも全く同じ車輪で同じ主翼構造なのでそれは無いでしょう。
(おそらくA型でも同じだと思うが断言できるほどの資料が無い)
ついでに左翼の付け根にはガンカメラが入ってますが、これもB/C型から積まれてるので、
そのため、とは考えられませぬ。
ちなみに後にシュムードが関わることになる(直接設計はやってないが)
F-5&T-33でもこの主翼付け根の出っ張りはあり(後のLERXの元祖である)、
そこには油圧装置が入ってるんですが、確認できる範囲でムスタングの図面を見ても、
そういった装置を入れた様子はありませぬ。

可能性として高いのはD型で主翼内機銃が増え、弾薬と併せると結構な重量増になったため、
そのための補強じゃないか、と思うんですが、これも断言できません。
それでも他に理由が思いつかないので、その辺りが正解だと思いますが…。

ついでに余談ですが、上の写真で主翼下に吊るされたアメリカ陸軍の増槽、
増加燃料タンクが理想的な流線形になってるのに注目。
エンジンもパイロットも無いのだから、当然、その形状は最も抵抗が少ない流線形に出来ます。
当たり前なんですが、さあ、当時の日本機の増槽の写真を探して見てみて、絶望しましょうか(笑)。
…泣けるぜ、コンチキショウ。

 
■Photo US Air force/ US Air force museum


ちなみにムスタングは意外に武装の変遷が大きな機体です。
このため、主翼内の武装も次々と変更が加わってます。
前にも書きましたが、ほとんど知られてないものの(笑)、当初のイギリス向けのムスタング I では
主翼内の機関銃はいかにもイギリス機な感じで7.7o×4(片側2門ずつ)でした。
ただし途中で12.7oが1門追加され、片側7.7.mm×2 + 12.7mm×1となります。
写真はアメリカ陸軍に引き渡された初期型Mk.I、すなわちXP-51の2号機なので武装は外されてますが、
それでも塞がれてる二つの主翼の機銃穴の間に、追加された一門分の穴が見えるかと。
ちなみに装備は胴体側から12.7o、7.7o、7.7o、だったようです。
ちなみにムスタング I とアメリカの攻撃機型A-36のみ機首下にも12.7o×2の武装があります。

これが武装強化型のムスタング I A (アメリカ陸軍の無印P-51)では
なんと主翼内に20o×4になってしまいます。
これはどうやって搭載してたのか全くの謎で、
その内部構造の写真も図も私は見たことがありません。
残ってる写真を見る限り、盛大に前方に機関砲の銃身が飛び出してるので、
かなり無理をしての搭載だったとは思われますが…。

ムスタングは現存機も多いし、資料もいくらでも残ってるし…とか簡単に思われがちですが、
それはC/D型以降の話で、A型以前はかなり謎だらけの機体だったりします。
実際、そこら辺りをキチンと説明した本やサイトなんて、見た事ないでしょ?
英語圏と日本語圏を通じて、これだけキチンと説明してるのはこのサイトくらいなもんです(自慢)。

ついでにムスタングの主翼では着陸灯も大きく変遷しており、
写真のようにイギリス時代は両翼の前縁部に着陸灯が埋め込まれてます。

これがアメリカ空軍に採用されたP-51A型以降だと左翼だけになり、
最終的にD型では左翼の車輪収納部に収められて、着陸時に飛び出してくるようになります。



ムスタングでおなじみの主脚収容部から飛び出してくる着陸灯ですが、
これはD型以降の構造で、それ以前の型では全て着陸灯は主翼に埋め込まれておりました。



その後のアメリカ軍によるパッカードマーリン搭載のB/C型では主翼内武装は
12.7o×4門(片側2門ずつ)となり、D型以降はこれが6門(片側3門ずつ)に強化されてます。
写真のB型では離陸時にホコリが機銃内部に入り込んで故障の原因にならないよう、
(当時の滑走路は未舗装が普通でプロペラ後流ですざまじいホコリが立つのだ)
シールされてしまってるので判りにくいですが、片側2門の12.7oの銃口がかろうじて確認できるかと。

スピットファイアなどもそうではあるんですが、これだけの武装の変遷に耐えた、
というのがムスタングの“優れた戦闘機”としての一面で在り、特に7.7o×2しか積んでなかった
主翼に20o×2、あるいは12.7o×3まで積んでしまった辺り、当初の基礎設計が
よほどしっかりしていたのだろうな、と思わされるところです。
(ただし当初のイギリス側の設計要望に20o×2を積みたい、という話があったので
最初からある程度余裕を持って設計していた可能性は高いが)


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