12日の戦い

今回は開戦三日目、5月12日の状況を見て行きましょう。先に見たように先頭を切って進撃していた第1装甲師団が11日の夜から12日の午前中にかけてブイヨン周辺で停滞してしまったため、進撃速度は大きく落ち、この日は最後まで大規模な戦闘もありませんでした。それでもグデーリアン軍団こと第19装甲軍団は全てフランス国境を突破するなど、戦況としては大きな動きはあったので、先に12日夜までの状況地図でその辺りを確認してしまいましょう。

ちなみに今更ながらグデーリアン軍団が目指していた作戦中最大の難関、セダンとそこを流れるマース川の名称と発音について少し確認して置きます。まず地名というか街の名前であるSedan(フランスの自治組織単位コミュヌ/Communeに当たるので市とか集落とかどうでも訳せる)。近年の日本語地図ではスダン、スドン等とも記されますが、発音的にはセドゥンというのが一番近いかと思います。が、何せ晋仏戦争のモルトケ&ナポレオンIII世の昔から、さらに第一次世界大戦、第二次世界大戦と毎度おなじみな戦場の街として、日本語ではほぼセダンが定着してしまったので、この記事では「セダン」とします。

そして「マース川」。こちらはフランス語だと間違いなくムーズ川なんですが、オランダ語のマース川の方が英語圏などを中心に一般的で、筆者は長年マース川と呼んでいたので、この記事でもオランダ語呼称を使わせてもらいます。本来ならフランス語読みでやるべきだとは思うんですが。参考までにそもそも両者は綴りが異なり、フランス語だとMeuse、オランダ語だとMaasとなります。ついでにドイツ語系の記録ではMaasとされる事が多く、恐らく彼らもマース川と呼んでいた可能性が高いかと。



12日夜までの間のドイツ軍の状況はこんな感じになっておりました。グデーリアン軍団の三師団は全てフランス国境を突破済み、「13日までにセダン」という約束を死守すべく、この日の夜までにはその近郊に到着しています。この時、先頭を行く第1装甲師団は二手に分かれて進撃していたのですが西側の経路を取った集団は夕刻までにセダン中心部に突入、マース川渡河地点付近まで到達していました。

それに続いていたのが東側の経路を進んだ残りの第1装甲師団で、さらに最も東からセダンを目指した第10装甲師団が続きました(ただし12日夜の間に第10師団が追い抜いてしまう)。ちなみにこれまで分散進撃して来た第10装甲師団はこの日、ベルギー領内キュニョン近郊で合流、ようやくまとまった師団として行動を開始していました。この第10師団は国境超えの時、フランス軍陣地と戦闘になっていますが、これはあっさり突破してしまったようです。余談ながら第1装甲師団がブイヨンで脚止めを食らってしまったため、その時間を利用してグデーリアンは直ぐ南に居た第10装甲師団の視察に向かい、この戦闘を目撃しています。彼によると高速で小気味よい進撃であり、見ていて気分が良かった、との事です。

対して10日の午後以降、大きな戦闘に巻き込まれていなかったハズの第2装甲師団の進撃はやや遅れてました。それでも数時間といった話なんですが、ほぼ全員一緒にセダンでムース川を渡河と考えていたグデーリアンに取ってはやや気になるものでした。実際、この師団は13日の一斉渡河開始に遅れてしまい、予想外の苦戦を強いられる事になります。

そしてもう一つの注目点は、その他のクライスト装甲集団の進撃がこの日からいきなり超加速する点です。
グデーリアン軍団と並ぶもう一つの主力部隊、ラインハルト軍団こと第41装甲軍団は前日までルクセンブルグ辺りで渋滞の中にあったのですが、この日の早い時間にようやくベルギー国境を突破していました。すると軍団の先頭を走る第6装甲師団は恐るべき高速進撃でベルギー国内を横断、なんと夜までにはグデーリアン軍団の三個師団に追いついてしまうのです。この結果、ようやくその北側を守る壁が出来た、という事になります。さらに第2自動車化歩兵師団も夜までにはヌシャトー付近に到達、これまでの遅れを一気に取り返してしまいます。ただしもう一つの装甲師団、第8装甲師団は第三集団に入れられてしまった事もあり、未だドイツからルクセンブルグ国境を越えられずに居たようですが…。

さらにクライスト装甲集団の第三の軍団、 みんな忘れがちな第14自動車化歩兵軍団に属する第29自動車化歩兵師団も一気にベルギー国内に侵入、間もなくグデーリアン軍団に追いつける、という位置にまで進出していたのです。初日は基地から全く動けず終わった部隊とは思えぬ快進撃と言えます。このように条件さえ整えば一日数十kmを軽く進撃してしまうのが機械化部隊の強みなのです。かつては鉄道以外では不可能だった進撃でした。

この快進撃は先頭を行くグデーリアン軍団がフランス国境付近まで進んで道が開いた、というのと同時に、そのグデーリアン軍団が敵も道路上の障害物も全て片づけて進撃してくれたので、後続はただその後を追いかければいいだけだった、というのが大きいでしょう。ベルギー軍に関しては自主的に撤退してしまったのですが、フランス第2軍を蹴散らして、国境付近まで追い立てていたのは間違いなくグデーリアン軍団だったのです。

■フランス側の対応

そしてこの日、グデーリアン軍団がフランス国境を突破した段階で、さすがにフランス軍もその存在に気がつきました。前日の11日の夜間頃からアルデンヌ方面に強力な部隊が移動中という情報が空軍の偵察部隊などから入りつつあったのです。実際、フランス空軍はこの日から散発的ながら攻撃を開始しています。ですが開戦直後のイギリス空軍の警告を無視したフランス軍司令部の無関心は依然として続いており、重要な情報のほとんどを無視するか握りつぶすかで深く検討する事もなく終わります。ちなみに12日の朝の段階でさすがに怪しいと思ったフランス第9軍司令部は偵察機を飛ばし、無数の対空砲火を受けて命からがら帰還したパイロットから、恐るべき大軍がアルデンヌを進撃中、との報告を受けていました。ですが理由は不明ながらこの情報を信用不十分であるとして握りつぶしてしまうのです(このため後に第9軍司令部はグデーリアンの回し物として非難される事になる)。

そもそも前回見たように11日の段階で第2軍に属する第5軽騎兵師団が事実上殲滅されてしまったのですが、その第2軍もドイツ軍の強大な部隊がここに居ると上層部に報告した形跡がありませぬ。



再度位置関係を確認。クライスト装甲集団を真正面から受け止めたのがフランス第2軍、その北側に居たのが第9軍でした。それ以外の部隊は全て北部平原方面に投入されていたので、この二つの軍が気がつかなければ、誰にも判るわけが無かったのです。そして驚くべきことに、この二つの軍の司令部は12日の夜に至るまで、ドイツ側の兵力に危機感を抱いた形跡がありません。電撃戦の成功においてフランス軍最高司令官、ガムラン将軍の油断が大きかったのは事実ですが、その下の各司令部もまた、完全に油断したというか何の役にも立たなかった、という面があったのです。この辺りは正直、理解に苦しむとしか言いようがなく、ドイツ軍の主力は北部平原にあり、という先入観から最後まで離れられずに終わります。やはり軍が馬鹿だと国が亡ぶんですよ、ホントに。


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