ラインハルト軍団の気の毒

前回は対フランス&低地諸国戦、すなわち電撃戦初日における主力部隊、グデーリアン率いる第19装甲軍団の動きを見ました。開戦初日の昼までにはルクセンブルク国内を横断、ベルギー国境を越て攻め込んだわけです。ただしそこで予想外の反撃を受けた事、ベルギー側の道路封鎖工作が効果的だった事で進撃速度は落ちてしまいます。とりあえず一定の成功を収めたのは事実ですが、想定よりも時間が掛かってしまいつつあったわけです(その原因の一つが優秀過ぎるガルスキー中佐なのがアレだが)。再度地図で確認するとこんな感じですね。それでもベルギー国内にクサビを打ち込み、翌11日からは再度進撃を開始しましたから、少なくとも停滞はせずに進撃しています。

 

対してそれとは比べ物にならないほど大幅に予定が狂ってしまったのが、クライスト装甲集団に属する第二の主力打撃部隊、ラインハルト率いる第41装甲軍団でした。今回はこの第41装甲軍団に代表される電撃戦開始直後の大混乱、すなわち進撃路の大渋滞を中心に見て行きましょう。

電撃戦は最終的に味方の後方部隊をぶっちぎりの置き去りにして疾走する、それどころか撤退中のフランス軍すら途中で追い抜き四馬身差で圧勝的な無茶苦茶な展開になって行くのですが(フランス軍が泣きながら後方に撤退してみたら先にドイツ軍が街に到着してた)、最初の二日間、10日と11日に関して言えば未だそのような展開になっていませんでした。そこから一気にギアを上げてアクセル踏んでブレーキパッドに油を差して突き進む事になるのですが、その前の電撃戦がどんなものだったかを今回は見て置く、という感じですね。ドイツ軍機甲部隊も最初から電撃のごとく敵を撃ち破ったワケでは無いのです。

まずはクライスト装甲集団の構成を再確認。



グデーリアン率いる第19装甲軍団に次ぐ強力な打撃力を持っていたのがラインハルト率いる第41装甲軍団でした。

強力な打撃部隊であるのと同時に、この部隊はグデーリアン軍団の北を進撃、連合軍主力が南下して来た場合、その防壁となる役割を担っていました。よって、本来なら同時にベルギー領内に突入する必要があったのですが、進軍の遅れからこれに失敗してしまいます。どれくらい遅れていたかと言うと、開戦初日の5月10日、さらにはその翌日の11日の二日間、ドイツ国内を出る事すら出来ずに終わっているのです…。

11日夜までにグデーリアン軍団はベルギー国内をほぼ横断してしまっていますから、その間、北側はガラ空きの状態でした。実際は丘陵地帯なので連合軍の主力側もそう簡単には南下できなかったのですが、それでもかなりの危険を犯したと見ていいでしょう。なんでそんな事になったのか、をまずは見て行きます。

ドイツのA軍集団、特にルクセンブルグ国境を越て進撃する部隊は大きく三つの集団に別れ、第一集団から順次、国境を越えて進撃する段取りとしていました。全軍が一斉に進撃するにはあまりに利用できる道路が少なかったからです。その第一集団は当然、グデーリアンの第19装甲軍団であり、ラインハルトの第41装甲軍団は第二、さらには第三集団にされていました。この段階でルクセンブルグ国内でグデーリアン軍団に追いつき、同時のベルギー領内に入る、という計画はかなり無理があるのが判ります。中でも第41装甲軍団の主力部隊の一つ、第8装甲師団はドン尻の第三集団に入れられるという悲惨な状況でした。

これはA軍集団の司令部がこの戦争における機甲部隊の重要性をよく理解できていなかった事、それに加えて各軍から独立して動くクライスト装甲集団を他の軍司令官が良く思っていなかったのが原因でした。彼らはかろうじてグデーリアン軍団に最優先で進撃する権利を与えたものの、それ以外の部隊にまでこれを認める気はさらさら無かったのです。

このためラインハルト軍団は、第二集団以降の大混乱、我先にとドイツ国内から国境線に向かう部隊の大渋滞に巻き込まれてしまう事になります。当然、歩兵部隊は機甲師団より遥かに脚が遅いですから、これに前を抑えられてしまったらその進撃速度は一気に低下し、せっかくの機械化部隊の意味が失われしまいます。これはドイツ軍にとっても大損失ですが、この段階では未だ機甲師団の破壊力に懐疑的な軍指導部の人間が多かったため、歩兵部隊は道を譲ろうとしなかったのです。さらにラインハルト軍団は指定された道路を進行していたはずなのに、次々と他の部隊の割り込みを受け混乱に拍車がかかる事になります。

この点、国境線から130q近い距離に主力部隊が置かれてしまったのも不幸でした。さらに主力の機甲師団二つは100q近い距離を置いて分散配置されてしまいます。これは戦車などの車両を展開させるため、他の部隊より広い土地が必要だった結果らしいのですが、この距離を移動する中で殺到するドイツ軍の大混乱に巻き込まれ、まともな連携も取れないまま開戦から二日間、ルクセンブルグ国境を超える事すらできずに終わるのです。

まずは開戦前のクライスト装甲集団の配置を確認して置きましょう。



グデーリアンの第19装甲軍団は国境から最大約70qの距離にまで展開した状態で開戦を向かえたのですが優先的にルクセンブルグ国境を超える第一集団とされていたので、開戦と同時にルクセンブルクに雪崩れ込む事ができました。ところが、本来ならこれと並走して北を進むべきラインハルト率いる第41装甲軍団にはこの優先権が与えられず、グデーリアン軍団に続く第二集団、第8装甲師団に至っては第三集団として国境に向かうように命じられいました。

ちなみに主力の二個装甲師団の内、第8装甲師団は比較的国境に近いイーダー・オーバーシュタインに置かれて居たのですが、なぜかグデーリアン軍団に続くことを許されませんでした。それどころか第6装甲師団、第2自動車化歩兵師団が含まれる第二集団と同時に進む事すら禁じられ、その後の第三集団として国境を目指すように命じられるのです。愚策という他ないですが、当時のドイツ軍はまだ機甲部隊の持つ破壊力に懐疑的だったので、こういった状況になってしまったのだと思われます。

この第8装甲師団だけが他の二個師団から100q近く離れた位置に置かれていたのも、両者の連絡、連携を難しくします。これは戦車などの車両を維持する広い土地が必要だったから、という面もあったようですが、それにしてもちょっと無配慮でしょう。この点、グデーリアン軍団はより近距離に展開しており、開戦と同時に連携して動くには好都合でした。それでもちょっと離れた位置に居た第10師団は、ほぼ独立して動く事になるのですが。

ちなみに開戦初日の10日に動き出せたラインハルト軍団はまだマシな方で、クライスト装甲集団の最後の部隊、機械化歩兵部隊であるヴィータースハイム率いる第14自動車化歩兵軍団は、この日、その駐屯していた一帯から一歩も動けずに終わってます…。


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