大作戦の大渋滞

この電撃戦初期のA軍集団の交通渋滞は冗談抜きで作戦そのものを失敗に追い込みかねない深刻な問題でした。おそらくベルギー軍よりも脅威としてはより高度だったと言っていいでしょう。


■Photo:Federal Archives 


ドイツ軍は決して機械化が進んだ先進的な軍隊では無かったので(そもそも軍備再開から5年しか経っていない)、食料や弾薬を運ぶ輜重兵部隊などでは馬車が普通、さらには砲兵が野砲を牽引するにもまだ馬が使われるのが珍しくありませんでした。これと歩兵が道を塞いでしまうとその進行速度は絶望的に遅くなり、せっかくの機械化部隊の意味が無くなります。

この渋滞の最大要因は近代戦、とくに機甲師団を中心とする大部隊によるまともな作戦経験がドイツ軍には無かった事(この時代、この経験があったのはノモンハンに勝ったソ連軍だけだろう)、ヨーロッパ本土もまだ本格的な自動車化社会ではなく、十分な道路が無かった事、それに加えてA軍集団の突入したベルギー南部は丘陵地帯で軍隊の大部隊が進撃できる道路が少なかった事、その数少ない道路をベルギーが巧みに封鎖してしまった事などが原因でした。さらに後で見るように作戦初日、10日の夜にフランス第2軍の大規模部隊がベルギーに入ったという情報があり、これとの戦闘を避けるために、さらに使える道路が減ってしまった事が事態を悪化させました(ただし誤報で本来、迂回の必要は無かった)。

それらに加えて電撃戦時にはまだドイツ軍の指揮官の多くが機械化部隊、機甲師団の破壊力をよく理解してなかったため、簡単には道を譲らなかったのも一因になったと思われます。ただしドイツ軍はプロイセン軍時代からの伝統というか参謀本部の方針として、現場の指揮官への大幅な権限移譲を認めていました。このため、いちいち司令部に連絡して判断を仰がず、現場ごとに話し合いで(というような穏やかなものでは無かったらしいが)渋滞の原因を徐々に解消して行き、最終的にフランスに雪崩れ込む13日の段階までに状況は一定レベルまで改善されます。これも集団のOODAループ、分散処理のOODAループの一種と言えるでしょう。

ちなみに後にノルマンディー上陸後の連合軍も、殺到する兵力の交通整理には悩まされる事になります。連合軍のノルマンディー上陸戦はドイツが4年前に経験し、学習したことを改めて連合軍に強いた、という面が少なからずあるのです。

連合軍側の対応

とにかく開戦初日から発生したA軍集団の渋滞は極めて深刻でした。
先頭を進むベルギー国内に入ったグデーリアン軍団からルクセンブルを突破しドイツ国内に至るまで軽く150qを超える規模だったのです。それも複数の道路で同時に身動きが取れなくなっていたので、総距離では数百km規模の大渋滞だったと思われます。これはドイツ軍にとって極めて危険な状態であり、ここに空襲を受けたら成す術もなく壊滅に追い込まれていたでしょう。この点でも、先に見たフランス空軍は何やってたのだ問題が出て来るわけです。ただし支援に来ていたイギリス空軍は早くも開戦直後にこの大渋滞を発見していました。 この点はほとんど知られて無いので、ちょっと触れて置きましょう。

連合軍の装備、大空編で参照した論考、The Royal Air Force in the Battle of France/Harry A. N. Raffal 2021 によると、フランスに派遣されいてたイギリス空軍は10日朝の段階でアルデンヌ地区にドイツ軍が密集しているのを発見していました。ただしこの段階ではグデーリアン率いる第19装甲軍団もまだアルデンヌ地区には達してませんから、実際はベルギー国境周辺からルクセンブルク一帯の事だと思われます。

このため10日の正午、すなわちグデーリアン軍団がベルギー国境に到達した段階で最初の攻撃が開始されました。ただし32機のフェアリー バトル爆撃機によるこの攻撃は、ドイツ軍の対空砲火によって8割近い大損失(正確な数字は不明だが恐らく27機が撃墜または戦闘不能の損傷となった)を受け完全な失敗に終わります(88o Flakは正しく対空砲として使われても大活躍だった事になる)。さらに午後15時30分に同規模の第二派攻撃が行われますが、今度は戦闘機の護衛が無かった所にBf109の迎撃を受け10機が撃墜されて(損耗率31.25%)失敗に終わったようです(恐らく目標に到達できていない)。

以後、偵察機も次々に撃墜されまくり、情報不足とあまりに大きな損失によって11日以降は積極的な攻撃が行われなかったとされます。さらにイギリス軍司令部がアルデンヌ方面への本格的な航空攻撃の提案を行ったものの、フランス軍司令部が拒否、このため最後まで効果的な航空攻撃は行われず、運命の13日、セダン戦を向かえる事になったようです。



この時代のイギリス空軍はほぼ実戦経験が無く、航空優勢の確保、制空権を取る、という発想が全くありませんでした。このため、護衛の戦闘機無しでドイツ側が航空優勢を支配する地域に爆撃機や偵察機をガンガンに送り込み、膨大な損失を受ける事になったのです。写真の見るからに鈍足、低高度しか飛べなそうな機体、ウェストランド ライサンダーも偵察機として投入され、当然のように撃墜されまくりました。ちなみにこの機体は直協機(Cooperation aircraft)、歩兵と協力する様々な任務に投入される機体でもあったので、軽爆撃としても使えました。このため、その任務にも投入され、これまた悲惨な結果に終わっています。

これらの経験からイギリス空軍は敵の航空優勢下ではあらゆる機体に敵戦闘機を振り切る高速性が必須と学習し、敵地に乗り込む偵察機には高速戦闘機スピットファイアを改造した機体を、さらに地上攻撃には戦闘機としてはイマイチだったけど一定の高速が出た機体、ハリケーンやタイフーンを投入して行く事になるのです。この点は米軍も同じですね。

といった感じで、とにかく大混乱だったのが開戦初日のドイツ軍でした。これが徐々に秩序を持った戦闘に移行して行くのが11日から12日にかけてで、そこから電撃戦が生れ、フランスを一気に突き抜ける事になるのです。

といった感じで、今回はここまで。


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