電撃戦の元の造り方

1939年9月、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻に対して英仏が宣戦布告した事により第二次世界大戦が始まりました。ただしドイツ軍は第一次世界大戦の敗戦によって一度、完全に武装解除されており、ナチス党が政権を取った後、わずか4年前の1935年からようやく再軍備を始めたばかりでした。よって戦争準備なんて全くできてない状況だったのです(密かに準備はしていたが完全にはほど遠かった。この再軍備の準備に協力していたのがワルワル独裁仲間で当時はまだ仲が良かったスターリン率いるソ連)。実際、ドイツ国防軍は1944年までかけて開戦準備を整える計画だったとされます。

そもそもヒトラーですら1939年のポーランド侵攻が全面戦争に至るとは思っておらず、イギリス、フランスからの宣戦布告は無いと楽観視していたのです。ところが英仏は迷わず宣戦布告を行って来たためドイツ大パニックとなります(リッペントロップ外相の進言をヒトラーが信じた結果、という面もあったらしい。通訳官の責任者だったパウル・シュミットによるとイギリスからの宣戦布告の翻訳を聞いたヒトラーはしばらく黙ったままだったが、すぐにリッペントロップを睨みつけ「さて、どうなる?」と尋ねたのだとか。そのリッペントロップは「フランスも数時間以内に最後通牒を突き付けて来ると思われます」と答えるという、間の抜けた会話がなされたそうな)。余談ですが、イギリスの宣戦布告は英連邦も巻き込みますので、これによってカナダ、オーストラリアなども参戦する事になったのでした(1941年12月の真珠湾攻撃前からオーストラリアが戦争状態にあったのはこのため)。

とにかく始まってしまったものは仕方ない、なんとかしよう、という事になるのですが、ドイツ軍にとって幸運だったことにフランス軍はとても馬鹿でした。そしてこの幸運は電撃戦終了後のフランス降伏まで続くのです。軍が馬鹿だと国が亡ぶ、といういい例でしょう。

そもそもポーランド侵攻時のドイツ軍は極めて貧弱な戦力しか持っておらず、手持ちの全戦力を投入する他に手がありませんでした。このためドイツ軍はギャンブルに出ます。すなわちフランス国境地帯の軍隊までもポーランドに送り込んでしまったのです。このためグデーリアンを始めとする多くのドイツ側の将校が多数証言しているように、もしポーランド戦中、あるいは少なくともその直後にフランス軍がドイツに侵攻していたら成す術もなく戦争は終わっていたでしょう。

ところがフランス軍は全く動かず、翌1940年4月にドイツ軍が再始動してデンマークからノルウェーにまで侵攻しても、国境を越えてドイツ本国に攻め込みませんでした。とっくの昔に宣戦布告してるのに、です。このため当然のごとく、先手はドイツが獲り、そのまま主導権も握ってしまいます。そしてこのフランスの優柔不断な行動の結果、約7カ月の準備期間がドイツ軍に与えられてしまったのです。この時間はとても重要でした。これによって軍備を整えるとの同時に、ドイツ側がマンシュタインによる強力な作戦を立案、戦争の主導権を握る事が可能になったからです(ただし庶民派ヒゲ伍長閣下はもっと早くにフランス戦を始めるつもりだったが、軍上層部の強硬な反対や天候不純、各種事故などの諸事情で1940年5月開始となった)。

ここで対フランス戦開始時のドイツ軍の指揮系統を確認して置きます。


 
非軍人である国家指導者が軍の最高指揮官を兼ねるのはナチス・ドイツでも同じでしたが、他の国に存在した国防長官、陸海軍の大臣&長官といった中間管理職の存在は無く、最高司令官のヒトラーが陸海空各軍の総司令部を直接配下に置く形になっていました(ドイツはナチスの再軍備の時から空軍が独立。これに尽力したのが謎多き階級“国家元帥”のゲーリング閣下)。

ただしヒトラーの犬として有名な軍人、カイテル上級大将が率いる国防軍最高司令部(Oberkommando der Wehrmacht/OKW)という存在があったのですが、ここは軍に対して何ら指揮権限を持たないため、大層な名前の割には何をやってたのか良く判らん部署となっています。

この点、大統領の配下にあって軍事的な助言を行い、かつ軍の最高意思決定機関を兼ねていたアメリカの統合参謀本部(JCS)等とは全く異なる存在です。実際、多くの資料を見ても会議に出席したカイテル上級大将が、ヒトラーの発言に対し「総統の考えは最高でゲス」「総統の作戦はナイスでヤンス」「軍の連中はいいから総統の言う事聞け」的な発言をしてる以外、あまり登場しませぬ。ただし独自の情報部門などを持っていたので、なんらかの仕事はやってたんだと思いますが…。とりあえずこの機関、本来なら人事や予算作成のような国防大臣管轄下の仕事をやらせるつもりだったのが、ヒトラーの気まぐれでそれも無くなり、良く判らん組織になってしまったような印象があり(1938年2月にヒトラーは国防大臣を失脚させた上でその職を廃し軍を自らの直轄下に置いた)。いずれにせよ、今回の記事ではほとんど出て来ません。

ただし余談ながら国防軍最高司令部の戦争日誌は焼かれず戦後まで残されたため、史料として貴重なものとなっているようです。私は読んだこと無いですけどね。

ガソリンスタンドでは無い、親衛隊である

もう一つ、ナチス・ドイツにおける特徴的な存在がナチス党の私設軍、親衛隊(Schutzstaffel/略称SS)でした。
元々は敵が多すぎたナチス党の党首、ヒトラーを警護する私設警備隊だった組織ですが、後にナチスが天下を獲ると、本来は国家組織である警察と軍事に関わって来るようになりました。すなわち私設警察、私設軍隊です。ナチス党が従来の国家組織に加えて、独自の警察と軍を発足させてしまった、という事です。この辺り、なにせナチスですから、国家組織側に反対者が少なくなく、その対策だったのじゃないかと思いますが詳しく調べた事が無いので、詳細は不明。

とりあえず私設警察としては悪名高き秘密警察のゲシュタポなど、私設軍としては親衛隊派遣部隊(SS-VT)が設立されました(ゲシュタポは開戦直後に親衛に取り込まれた組織)。この親衛隊派遣部隊はポーランド戦、そして電撃戦となる対フランス戦にも参加し、暴れん坊将軍ロンメルと共闘する事になります。ちなみにフランス降伏後、親衛隊派遣部隊は武装親衛隊(Waffen-SS)に名称変更されますが、事実上、同じ組織なので、当記事では単に親衛隊とのみ表記します。



欧米諸国の博物館などではナチスドイツを象徴する存在として紹介される事が多いのが親衛隊(SS)です。写真はロンドンの戦争博物館に展示されていた武装親衛隊の制服を着たマネキンの展示。襟に付いてる稲妻のような紋章はルーン文字でSSと書いたものだそうで、親衛隊の象徴でした。

余談ですが、政党の私設軍と聞くと妙な感じですが国家を認めない共産主義国家(笑)では、軍は国軍ではなく共産党の軍となっています(建前上は世界中の労働者階級のための軍)。ソ連は第二次大戦後、連邦軍に名称変更してますが、中国の場合は未だに事実上の共産党軍です。北朝鮮は良く判らんのですが、まあいいでしょう、あれは(笑)。


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