■イギリスは生産してもらった

第二次世界大戦が始まったとき、イギリス軍関係者は、前大戦時の、
強烈なまでのフォードの生産能力を忘れてなかった。
開戦後、すぐさま戦時協力を依頼、
フォード側も従業員を最終的に約3倍(1万2千人を3万5千人)にまで増やし、
トラック、小型のバン、果てはフィールド キッチン(戦場の台所となる車)から
ブレンガンキャリアーまで発注し、造りも造ったり、その最終総数、実に36万台、
フォードお得意の液例V8エンジンだけで25万台(笑)。
ほぼ米本社の工場と互角な生産量を叩き出している。

特にイギリス陸軍の牽引用車などは、
その95%がフォードのダゲナム工場製だったと言われてるので、
イギリス陸軍の「脚」はフォードが支えていた、と言っていい。

トラクター、というとまあ畑を耕して、カラスが飛んできて、神様がやって来て
世界が3回ぐらい滅んだと思ったらもう日が暮れた、
といったところが普通の人のイメージだと思うが、
本来は牽引車、といったニュアンスの名称だったりする。

なので、軍用トラクターといっても、戦場で畑耕してトマトを作ったはずが、
なぜか大麻で部隊全員がラリって戦争反対というシロモノではなく、
ガントラクターなどという名前からわかるように、
野砲の牽引、不整地での資材運搬など、かなり幅広い用途に使われた。
基地内での航空機の牽引などにも用いられたらしい。
日本軍には考えられない贅沢さ(笑)。

…と、ここまで書いておいてなんだが、ダックスフォードで展示されていた
このフォード製トラクター、ウィンチ上のタンクに「フォードソン」のロゴがあり。
これ、フォードの農業機械のブランドだったりします…。



でもって、これを横目に見ながら指をくわえていたのが、イギリスの航空省だった。
当時、どう考えても生産が追いつかなくなりつつあった
イギリスの超必殺航空機用エンジンこと
ロールス ロイス謹製マーリン、これをなんとかしたい。
当然、フォードの生産能力に目をつけた。
が、フォード社側は、どうもあまり乗り気ではなく、
「だってー、工場がー、もう一杯だしー」みたいな返事をしたらしい。
(フォード本社は乗り気薄だが、フォードUKは積極的だった、という話もある)
実際、ダゲナム工場の生産能力は限界に近かったようだ。

が、自国の利益になることなら、世界中を皆殺しにしても
気にしないイギリス人、そう簡単にはあきらめず、
「ジェントルメン、あなたがたは今もトラッフォード パークに旧工場の敷地をお持ちだ」
と持ちかけ、どうも工場再建予算も一部イギリス持ち、ということにしたようで、
ついにフォードにマーリンエンジンの生産を受け入れさせることに成功する。

この帰ってきたウルトラ工場ことトラッフォード パークは
1940年5月、開戦8ヶ月目に工事を開始、
翌41年5月に1年をかけてようやく完成し、6月から生産を開始した。

で、なんのかんの言っても、やってしまえば恐ろしい実力を発揮するのが
フォードの量産システムで、いきなりイギリス航空省のアゴを外さんばかりの
生産能力を発揮してゆくことになる。

最高記録としては週400台の生産台数を達成、
平均でも200台前後のマーリンエンジンを
週単位でガンガン送り出して行ったらしい。
まあ、1週間で雷電や五式戦の全生産数分に近い数のエンジンを
組み立ててしまう、ってんだから、これはもう数の暴力だ(笑)。
しかも造られてるのは最強のマーリンなんだから、凶悪としかいいようがない…。

ちなみに、同時期のロールス ロイス各工場(最終的に3箇所)における
平均「月」産台数がだいたい400台以下とされてるから、フォードの工場は
ロールス ロイスの1カ月分を1週間で造ってしまったことになる(笑)。



とにかくイギリスはマーリンエンジンがとっても必要だった、足りなかった。
だって沢山の機体にうっかり搭載しちゃったから。




まずは口から火を吐く女、すなわち癇癪持ち姉ちゃんことスピットファイア。




次に悪い意味で嵐のような機体ことハリケーン。




「木製の奇跡」または「シロアリさんの夢の家」こと胴体木製の双発機、モスキート。





そしてイギリスの無茶苦茶ことランカスター4発爆撃機。
この機体の使われ方は、一人世界ビックリ爆撃大会野郎、という感じ。

これ一機でスピット4機分のエンジンを使い、
それが毎晩パカスカ撃墜されて行くのだから大英帝国たまらない。
フォード製のエンジンは、主にこの機体に向けられたようだ。
(工場が隣接していた、という話があるが、未確認)
さらに後、アメリカ本土製のパッカードマーリンの供給を受け、
ようやくなんとか戦争を乗り切ることになる。

フォードが凄いのか、ロールス ロイスがあまりにヘタレなのかは微妙だが、
マーリンエンジンの「育ての親」こと過給器とタービンの魔術師、
当時ロールス ロイスの社員だった"サー"スタンレー・フカーは、
「ロールス ロイス工場よりはるかに多くの製品が、
 より高品質でガンガンできあがって来るザマス!シェー!」(一部意訳)
と驚愕、後に「われわれの空軍を作ったのは、フォードの工場だった」と回想している。
逆に言うと、ロールス ロイスにとって、ベルトコンベアによる大量生産、
というのは1941年でも「驚異の魔法」だった、ということでもある。

まあ、かなりの部分で、手作業による組み立てがあったといわれるマーリンエンジンだが、
フォードにかかってしまえばそんなもん、問題ではなく、
あっという間に、流れ作業で大量生産されるエンジンへと生まれ変わってしまった。

ちなみに、アメリカ本土で生産されたパッカードマーリンは、
結構アメリカオリジナルな設計に変更が加えられており、
その内いくつかは、量産ラインに載せるため、工程削減目的の改良だったらしい。
普通に考えれば、フォードのエンジンも同じ事をやってると思うのだが、
そういった資料は見つからず、前線の現場でも
ロールス ロイス製とフォード製を区別してなかった
(パッカードのエンジンは明確に別物扱いされてる)ようなので、
フォードは、ロールス ロイスが手作業でやってた部分も、設計変更無しで
量産ラインに乗せてしまった可能性がある(なんらかの手直しはあったと思うが…)。
ちょっと信じられないが、そうだとするなら、
いやもうフォード恐るべし、としか言いようがない。

ついでに生産総数約16万台といわれるマーリン、
そのうち、約34000台がフォードUK、約55000台前後がパッカード製だから、
マーリンの半分以上はアメリカの工場製ということになる。

アメリカ本土で造られたパッカードマーリンも、カナダにあったアブロ社の工場で
イギリスの爆撃機に使われた他、最終的には
スピットファイアのMk.XVI(16)にまで搭載されてるので、
まあ、フカーの言葉を借りるなら
「イギリス空軍はアメリカの自動車屋が造った」という感じか。

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