■衝撃の事実

散々お世話になってるアメリカ海軍の
歴史資料センターの写真コレクションが、出典を明記すれば
制限なしで利用可能となってることに今更ながら気が付いた。
気が付いちゃったのだ。

夕撃旅団において主催者本人が撮影した写真以外を原則使用してないのは、
著作権の問題をあいまいにする気がないからで、
“ナイスで素敵な俺様が撮影した画像以外は使う気にならぬわ、ムハー”
といったような考えがあってではありませぬ。

よって使っていいなら、使わせてもらいましょう。
ここまで文章で説明するしかなく、無念の涙を流していた(筆者がね)
各種情報を、ここで一度、まとめて掲載してしまいます。
ああ、最初から気が付いてればなあ…

なので以下の写真は全て
Archives Branch, Naval History and Heritage Command, Washington, DC
よりの引用です。

まずはアメリカ側の空母から。

■Image credits:
Off Honolulu, Oahu, Hawaii, with Diamond Head in the background, 2 February 1933.
Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Catalog #: 80-G-416531



■CV-2 レキシントン

CV(空母)2号の名の通り、アメリカで2番目に建造された空母。
が、1号艦のUSSラングレーは練習を兼ねて空母でも造ってみようぜ、といった内容の艦だったので、
戦争で使い物になるようなシロモノではなく、事実上のアメリカ空母1号がこれでした。
写真は開戦より8年も前、ハワイに停泊中のUSSレキシントで、初期兵装状態のもの。

艦体の中央にデーンと構えた巨大な煙突が特徴で、
日米通じて最も識別が容易な空母かもしれませぬ。
ただし、姉妹艦 CV-3 サラトガも全く同じ形状なので、
この両者の区別は困難で、実際、日本海軍は1942年(昭和17年)が終わるまで混乱したままでした(笑)。

そもそも開戦直後の1942(昭和17年)1月にUSSサラトガを雷撃した戦果は
損傷ではなく撃沈だと日本海軍は考えていたわけです。
(ちなみに雷撃したのはUSSサラトガではなくUSSレキシントンだと思ってた)

じゃあ珊瑚海海戦で、さらにレキシントン型の空母を一隻沈めた後、
9月にまたも潜水艦から雷撃に成功した3隻目のレキシントン型空母はなんだったんだ…
と疑問に思った様子が全くないがの日本海軍でもありにけり。素敵。

で、もう一つのレキシントン級の特徴が閉鎖式の格納庫で、
船体が後ろから前まで、通常の戦艦のように密閉(enclose)された構造になってます。
あたりまえじゃん、と思うかもしれませんが、
これは大戦期のアメリカ空母としては異端と言っていい構造で、
次に見るUSSヨークタウンのような開放式の格納庫が普通なのです。
(日本だと大鳳がこの密閉構造を採用してる)

さらによく見ると艦橋の前と煙突の後ろに砲塔が見えてますが、
これが8インチ(20.3cm)主砲(笑)です。
2連装砲塔×4、計8門搭載してますから、ヘタな巡洋艦より重武装、
という空母でもありました。

これはUSSレキシントンが竣工した1927年(昭和2年)の段階では
まだ航空エンジンは非力で、航空機は必殺の兵器と言えるほどの武装を持ってなかったため、
最悪の場合、艦隊決戦もある、という考えに基づいてると思われます。
(第二次大戦になってからでも空母航空戦のシロウト、イギリス海軍なんかは
空母HMSグローリアスでドイツのシャルンホルストとグナイゼナウ相手に接近戦を戦い、
対空砲しかなかった結果、一方的に撃ちまくられて沈む事になる)
といっても、USSレキシントンには、まともな射撃管制装置が見当たらないので、
おそらく水平方向に直接狙って撃つ、といったレベルだったと思いますが…

ただし、日本の真珠湾攻撃によって空母の魅力に目が覚めたアメリカ海軍は、
開戦後にこれを撤去、対空砲に取り換えた状態で珊瑚会海戦には望んでます。
ついでに珊瑚海海戦の段階では、既に対空警戒レーダーが搭載されており、
あの巨大な煙突の前部に金網型のレーダーアンテナがありました。



■Image credits: Official U.S. Navy Photograph


お次は今回のアメリカ第17機動部隊(TF17)の旗艦、USSヨークタウン。
レキシントン級に次いで建造された正規空母でした。
USSヨークタウン、USSエンタープライズ、USSホーネットの3隻がヨークタウン級として建造されてます。
ここまでが開戦までに間に合った正規空母で、
この後は恐怖の17人姉妹(大戦に間に合った数)、
エセックス シスターズの登場となるわけです。

こちらも巨大な煙突が特徴ですが、艦橋と一体化してるため、
レキシントン級との見分けは簡単です。
さらに基本的に小さな艦橋があるだけの日本空母とも見間違えようがない、
と私なんかは思ってしまうのですが(笑)、錯誤の連続である戦場で
そうでもなかったのだ、というのが珊瑚海海戦で証明される事になるわけです。

ちなみにこれは1937年、竣工直後の試験航行中の写真。
飛行甲板の前後と艦橋すぐ後ろに杭に囲まれた四角い場所が見えてますが、
これが下の格納庫に艦載機を出し入れするエレベータ部。
この部分、艦載機をエレベータで運搬中には巨大な落とし穴になってしまうので、
間違って転落しないように自動的にこの杭と索がせり上がるようになってました。

日本空母だと、エレベータが稼働中はカンカン鐘の音がなって警告してたのですが、
アメリカ空母の場合はよくわかりませぬ。

そして飛行甲板の下、格納庫部分に明るく光ってる窓のような構造見えますが、
これは格納庫が吹き抜けの開放空間になっており、
このため向こう側から日差しが入って、このように見えてるもの。
(艦橋のと艦体の影の方向を見ればわかる)
レキシントン級では密閉されてた部分ですが、
このような吹き抜け構造の格納庫が当時の空母の標準的なものでした。

これによって格納庫の面積が広く取れる結果、多くの機体が積めて、
さらに整備などの作業もやりやすくなってます。
ついでに、開放空間なのでここで機体のエンジンをかけても一酸化炭素中毒の心配はなく、
整備中にエンジン テストもできる上、緊急発進の時などは
少しでも時間を減らすため、格納庫からエンジンを始動して
エレベータに乗せる、といったような事もアメリカ海軍ではしています。

ただし当然開放型の欠点もあり、まず荒天時は波が格納庫まで入ってきてしまう事。
さすがにシャッターはあったのですが、完全な密閉ができたのかは微妙だと思います。
さらに開放型の場合、爆弾や魚雷が至近距離で爆発したとき、
その破片が飛び込んで来やすく、安全とは言えない部分もありました。
それでもアメリカは次のエセックス級でも同じ開放型格納庫を採用してるので、
使い勝手はよかったのでしょう。



ちなみに日本の空母は艦橋と煙突を分離しており、
瑞鶴、翔鶴ではご覧のように艦橋の後ろで横向きに煙突を出しておりました。
このため、アメリカ空母と比べると艦橋部がかなり小型なのが日本空母の特徴です。
(ただしこれも大鳳はアメリカ式に変更されていた)
ここまで日米で形状が異なると見間違いようがないと私なんかは思ってしまうのですがねえ…

さて、写真特集の最後はこれ。


■Image credits: Official U.S. Navy Photograph


アヴェンジャー登場前のアメリカ側の雷撃機、TBD-1、デヴァステイター。
雷撃機ですから、3人乗ってるのがわかると思います。
1935年初飛行なのでMe-109世代ですが、
なんとも微妙なスタイルで車輪は半分出たままです。
主翼の凸凹はリベットではなく実際にスジが入ってます。
剛性を稼ぐための一種の波板構造でしょうかね。
全体的に、ちょっと時代遅れな機体なのは否めない気がします。

ちなみにエンジンは900馬力で、最高速度は330q/h前後だったとされますから、
この雷撃機を日本の空母機動部隊に差し向けるのはさすがに自殺行為でしょう。

それでも珊瑚海海戦とミッドウェイ海戦の時のアメリカ海軍主力雷撃機がこれでした。
これから見てゆくように、両海戦でアメリカの雷撃機がほとんど活躍してないのは、
どうも日本側の艦隊護衛のゼロ戦が強かったとか以前に、この機体があまりにショボかった、
しかも数が揃って無かった、という部分が大きいように思います…。

といった感じで、これまでの欲求不満を一気に解決したところで
本題に戻りましょうか(笑)。


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