■1942年前半までの空母の戦い

お次は1942年5月の世界初の空母決戦、珊瑚海決戦まで、
日米両軍の空母は、どこで何をしてたのか、を下の表で見ておきましょう。

まずはアメリカ側。
この時期だとUSSホーネットはまだ慣熟訓練中、
USSワスプは大西洋から動く予定はありませんでした。
よって、アメリカ海軍が投入できる全空母は以下の4隻のみです。

左が日付で、その日に各艦が何をしていたか一覧です。
灰色の枠は作戦参加不可能な状態を、
肌色の部分は複数の空母が同じ任務に付いていた事を示します。
とりあえず、1月に潜水艦の雷撃を受けて速攻で戦線離脱するUSSサラトガ、
開戦時には大西洋側に居り、開戦した1941年12月の作戦には間に合わなかった
、USSヨークタウンに注目しておいてください。
ドゥーリトルの爆撃が終わってUSSホーネットが真珠湾に来るまで、
アメリカの稼動空母は常に3隻以下だったのです。
(しかも直後の珊瑚海海戦でUSSレキシントンが沈没、また3隻状態に…)

余談ですが、1942年1月12日のUSSサラトガの損傷の時、
攻撃した日本側の伊六潜水艦は同じような艦影(姉妹艦)のUSSレキシントンと誤認、
さらに沈没と申告していたため、以後しばらく、
日本がアメリカの空母戦力を推測するのに誤った根拠を与えたようです。

USSサラトガ

USSレキシントン

USSヨークタウン

USSエンタープライズ

1941.12.08

ウェーク 島へ航空機輸送 

ミッドエウィへ航空機輸送 

まだ大西洋 

ウェーク島から帰還中 

12.20-23

ウェーク島救援 へ

パナマ辺り

ウェーク 島救援 へ

1942.01

 潜水艦攻撃で損傷 

ジョンソン島周辺警戒 

サモア輸送援護 

1942.02

 修理中 

 ニューギニア沖海戦

 マーシャル・ギルバート諸島空襲 

1942.02

 修理中 

-- 

-- 

ウェーク島空襲 

1942.03

 修理中 

ラエ&サラモア空襲 

南鳥島空襲

1942.04

 修理中 

 航空機輸送

 珊瑚海警戒

 東京空襲護衛



さて、少し詳しく見ておくと一番上、12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃の時の3隻が、
全て例の北の大三角形基地の航空戦力補充に投入されてるのに注目してください。
アメリカは、空母を基地の航空戦力補充に積極的に使ってたのですが、
これが幸いして、真珠湾開戦の時、難を逃れてるのですね。
(日本では後に翔鶴、瑞鶴がラバウルへの機体輸送に何度か投入されてる)
同時に、ウェーク、ミッドウェイ共に、まだまだ初期戦力配備中だった、というのがわかります。

そして北の大三角では、もっとも西側にあったウェーク島の重要性はアメリカもわかってましたから、
開戦直後、日本軍がここを襲うと、アメリカはその救援のため、
一時的ながら全空母戦力を結集させることになるのです。
実際は、各艦がバラバラに出動してる上に救援が間に合わないのですが、
それでもアメリカが手持ちの全空母を一点に全部つぎ込んだのは、
ミッドウェイ以前だとこの戦いのみです。
(先に書いたように珊瑚海では後続の2隻は海戦に間に合わなかった)

それ以外の場合、常に2隻一組か、1隻の単独行動になってるのに注意しておいてください。
特に空母の単独運用は、日本側には見られない戦術となってます。



せっかく作った地図なので、再利用。
例の北の大三角こと北太平洋防衛基地、ミッドウェイとウェーク島基地の航空兵力を
アメリカ側が増強してる最中に日本は真珠湾攻撃を行った事になるわけです。

このうち、USSエンタープライズがウェーク島に運んだ12機のF4F-3は
開戦直後の奇襲爆撃によって稼動機が4機まで減りながら、
日本の駆逐艦を撃沈(小型爆弾が艦上の爆雷か魚雷を誘爆させた)、
さらに機銃掃射によって上陸艦隊に打撃を与え、
日本軍の第一次攻略作戦を挫折させる原動力となります。
さらにワイルドキャットとしては、初めてのゼロ戦相手に空中戦を行っており、
なかなかすさまじい活躍してますね。

ちなみに、開戦直後、11日に行われたウェーク島の第一次攻略は、
この戦争における日本軍最初のつまづきと言ってよく、
僅か500人の守備隊と4機の戦闘機しかない島の攻略に失敗、
いきなり駆逐艦を2隻撃沈され(上で書いたほか地上砲台の攻撃による)、
あわてて逃げ出すことになってます。
当時の仕官の回想を読むと、この敗北は日本の海軍に結構なショックを与えたようです。

この結果、たった4機の戦闘機に軽巡洋艦3隻(夕張、天竜、龍田)を含めた艦隊がエライ目にあった、
という事で、連合艦隊に空母の支援要請が出され、この結果二航戦、
すなわち蒼龍と飛龍の二隻の空母が第二次攻撃では派遣されることになります。
この点は、また後で少し見ておきましょう。

で、本来ならさらにUSSサラトガの運搬する機体(ただしF2Aだったが)が搬送される予定だったのですが、
(この仕入れ(?)のため、USSサラトガも開戦時に本土のカリフォルニア サンディエゴ付近に居た)
第二次攻撃における日本側の占領がわずかに早かったため、その到着前に決着はついてしまいました。
なので、これらの機体はその後、ミッドウェイ基地に送られ、
後にミッドウェイ海戦で日本の空母機動部隊と戦うことになります。

ただし、一度は海兵隊によって日本側の攻撃が退けられた事もあり、
一時的ながらアメリカ側はウェーク島の戦力増強と救援を真剣に考え始めました。
一度は真珠湾に入ってしまった、配備予定の戦闘機を積んだUSSサラトガを
あらためて現地に送り込むことにしたほか、
別の任務についていたUSSエンタープライズとUSSレキシントンもその援護のため、
現地に向けて急行させています。
結局、12月23日までには日本の占領がなされてしまい、
全艦途中で引き返すことになるのですが…。
この時は、日本側も二航戦が出てきてたわけで、展開によっては
太平洋戦争最初の空母決戦は、ここで発生していた可能性もあったのです。

さて、再度表を見ておきましょう。

USSサラトガ

USSレキシントン

USSヨークタウン

USSエンタープライズ

1941.12.08

ウェーク 島へ航空機輸送 

ミッドエウィへ航空機輸送 

まだ大西洋 

ウェーク 島から帰還中 

12.20-23

ウェーク 島救援へ

パナマ辺り

ウェーク島救援へ

1942.01

 潜水艦攻撃で損傷 

ジョンソン島周辺警戒 

サモア輸送援護 

1942.02

 修理中 

 ニューギニア沖海戦

 マーシャル・ギルバート諸島空襲 

1942.02

 修理中 

-- 

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ウェーク島空襲 

1942.03

 修理中 

ラエ&サラモア空襲 

 南鳥島空襲 

1942.04

 修理中 

 航空機輸送

 珊瑚海警戒

 東京空襲護衛


そのウェーク島が陥落した後、USSエンタープライズと、到着したばかりのUSSヨークタウンに
今度は南のサモアへの兵力輸送の援護任務が与えられており、
アメリカがこれらの拠点に対する兵力増強に努めてるのが見て取れます。

その下、1942年1月のUSSレキシントンによるニューギニア沖海戦と言うのは、
直前に日本が占領し、基地を構築しつつあったラバウルに対して
USSレキシントンが奇襲を目論んで日本基地に接近するものの、
哨戒機に発見されてしまって、思わぬ形で始まった戦いです。

これはラバウル基地北、そしてトラック諸島南東部と、
南洋の日本の心臓部とも言える、かなり危ない地域に乗り込んで来ての作戦なのですが、
後で見るように、肝心の日本の空母主力は、はるかオーストラリアのダーウィン近海に居り、
なんの役にも立たずに終わります…

なので日本側は、これを攻撃するため護衛無しの一式陸攻を
地上基地から17機送り出すのですが、
内15機を損失するという大損害を受けてしまいます。
一方、アメリカ側も奇襲に失敗した上に、基地航空部隊を敵に回す不利を考え、
そのまま引き返してししまい、戦いは終わりとなりました。

ちなみにシカゴ空港に名を残す海軍パイロット、オヘアが
日本の一式陸攻5機を一度に撃墜し、一日でエースパイロットになってしまったのがこの戦いでした。
ちなみにアメリカ側ではブーゲンビル沖の戦闘(Action off Bougainville) と呼んでます。

この頃から、単なる防御任務から、徐々に攻撃的な任務にも
アメリカ空母は派遣されるようになるのですが、
その最大のものが次の3月に行われた
ラエ&サモア空襲で、これが間接的に珊瑚海海戦に繋がって行きます。
これは例の大統領による反抗開始の許可がでた直後の行動でした。

この戦いは、日本がソロモン攻略の足がかりにするため、
ニューギニア島北側のラエとサラモアを占領した直後、そこを空襲したものです。
この時、輸送艦を沈めたりして日本側に大打撃を与えた結果、
またも機動部隊の応援が要請され、これに応える形で
翔鶴、瑞鶴が次のMO作戦に派遣され、その結果、珊瑚海海戦が発生する事になります。

こうして見ると、数が少ないためか、この時期のアメリカ空母は分散運用が多く、
さらに2月以前はアメリカ側も守勢が強かったのに、
2月1日のマーシャル・ギルバート諸島空襲以降は、
結構強気な攻勢に出てる、という感じでしょうか。

この点を日本側から見ると、最初の2ヶ月は相手に戦意がなく、
決戦に持ち込みようが無いのですが、
それ以降は、アメリカの空母機動部隊も、やったるわ、という意思を持ち始めてます。
実際、この後の珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦ともに、
日本の挑戦をアメリカが受けて立つ形で発生したものです。

つまり、まだまだ空母戦力で優位に立っていた日本が、
アメリカ側の空母を殲滅するチャンスはあった、という事です。
では、その間に日本側の空母はどこで何をしてたのか。


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