■日本側空母の動きとか

では、珊瑚海海戦まで日本側の空母は何をしていたのか、
これも表にしてみました。
が、日本側の場合、1942年1月末までは五航戦と一航戦がセットで、
その後からは今度は二航戦と一航戦がセットで運用されることになって、
明確に二つの時期に区切ることができるため、表もその2種類で作っておきましょう。
最初は一航戦&五航戦ペアの1942年1月、ラバウル空襲まで。

■真珠湾攻撃から1942年(昭和17年)1月末まで

 

一航戦

五航戦

二航戦

 

赤城

加賀

翔鶴

瑞鶴

蒼龍

飛龍

1941.12.08

真珠湾攻撃 

12.20-23

トラック経由で日本へ

ウェーク 島空襲

1942.01.20

ラバウル 空襲   

パラオ 諸島停泊中

1.21

ガビエン 空襲   

ラエ&マダン 空襲   

アンボン 空襲   

2月

 -

訓練のため帰国 

パラオ 諸島停泊中




世界で初めて、と言っていい空母の集中運用を行った日本海軍ですが、
以降は1942年4月のインド洋作戦まで、基本的には航戦単位(2隻組)での運用となり、
その集中運用をあっさり捨ててます。
初期の1942年1月のラバウル周辺空襲までは、一航戦と五航戦でコンビを組んで作戦にあたり、
二航戦が遊軍的な存在となっていました。
それでもアメリカから見れば、だいぶ贅沢な空母運用となってます。

ただし、これは狙ってやったものではなく、真珠湾攻撃が終わった直後、
南洋攻略を担当していた第四艦隊がウェーク島でいきなり負け戦をやってしまい、
その支援を要請された結果、二航戦が分離されたため、
以後、全艦がそろわないまま作戦が展開されて行きます。

真珠湾後、艦隊は直接日本へ向かわず、一度トラック泊地((現チューク諸島))に向かったのですが、
そこで上のウェーク作戦援護の要請を受けました。
が、全艦で出撃するほどの作戦ではなく、
かつ、機体とパイロットの補充も望まれたため、
二航戦の蒼龍と飛龍だけを分離、ウェーク島の第二次攻略作戦に向かわせるのです。
残りは日本に帰ってしまいました。
以後しばらく、二航戦は他とは分離された作戦行動を取る事になります。

ちなみに先に見たように、この時、
アメリカ側も全空母をウェーク島に向かわせていたのですが、
二航戦の方が早く海域に到着(約2日ほど)し、島の空襲に成功してます。

このためアメリカ側は日本の空母機動部隊の接近に気がついて、
その主力がまだ付近居る可能性を恐れ、
最もウェーク島に接近していたUSSサラトガを、23日に島の約680km東から反転させてしまいました。
他の二隻はもう少し遠い距離から、同じように反転したようです。
なので、もし日本側の第二次攻撃のタイミングが2日ほど遅れていたら、
両海軍の空母が初めて対決することになったのは、
ウェーク島海域だった可能性は低くないでしょう。

この時、アメリカ側は空襲によって日本の機動部隊の存在に気がついてましたが、
日本側は最後までアメリカ空母の動きに気がつかず、
依然としてアメリカ空母機動部隊の所在は不明だと思ってます。

その後、一航戦と五航戦は先に日本に戻ってから再出撃、日本が進出を目論んでいた
ビスマルク諸島とニューギニア島方面の攻撃に向けられました。
そこでラバウル周辺の空襲を行うのですが、
参加者の回想を見ると、ほとんど敵の航空機はなく、やる事はあまりなかったとされます。
上の表では1月20日がラバウル空襲、21日は一航戦と五航戦が
分かれて別々の地域を空襲してますが、
両者とも航空作戦としては近所と言ってよく、同じ戦域で作戦中だったと思ってください。

ここら辺りの位置関係を地図で確認しておくと、
トラック諸島から約1300kmまっすぐ南に向かうとラバウルで、
日本側としてはこの地域を抑えないと艦隊泊地のトラック諸島が脅威にさらされる可能性がある、
というのが見て取れると思います。
なので、ここの空襲とそれに続く占領までは、無理のない展開ではあったと言えますね。



間もなく分離された二航戦も、もう少し西のパラオに進出するんですが、
なんだか聞いたこともないような地域の空襲に投入されていたりして、
どうも日本側は空母の運用に迷ってる感じも見受けられます。

が、そこら辺りは1942年2月、アメリカが強気に転じた結果、変化し始めます。
アメリカ側の表を再掲載しますので、2月にUSSヨークタウンとUSSエンタープライズが
トラック諸島の東、マーシャル・ギルバート諸島の空襲に参加してたのを見てくださいませ。

USSサラトガ

USSレキシントン

USSヨークタウン

USSエンタープライズ

1941.12.08

ウェーク 島 へ 航空機 輸送

ミッドエウィへ 航空機輸送

まだ 大西洋

ウェーク 島から帰還中

12.20-23

ウェーク 島 救援 へ

パナマ 辺 り

ウェーク 島 救援 へ

1942.01

潜水艦攻撃で損傷

ジョンソン島周辺警戒 

サモア 輸送 援護

1942.02

修理 中

 ニューギニア沖海戦

 マーシャル・ギルバート諸島 空襲

1942.02

修理 中

-- 

-- 

ウェーク 島空襲

1942.03

修理 中

ラエ&サラモア 空襲

 南鳥島空襲

1942.04

修理 中

航空機輸送

珊瑚海警戒

東京空襲護衛


表には日付が入ってませんが2月1日のことで、これがアメリカ側の空母による最初の空襲でした。
日本側としては、ウェーク島ではその存在に最後まで気がつきませんでしたから、
ここで初めてアメリカ空母機動部隊の所在地が判明した事になります。

このため、トラック泊地に居た五航戦の翔鶴、瑞鶴にその捕捉殲滅任務が与えられ、
この2隻だけが出撃することになります。
…アメリカ空母部隊最初の殲滅のチャンスなのに全力ではないんですよ。

結局、五航戦も1日前後だけ東に向かっただけで索敵をあきらめており、
どうもホントに敵空母の殲滅をヤル気があったのか、という感じがあります。

結局、この後は五航戦が西のパラオに入って蒼龍、飛龍の二航戦と交代、
さらに翔鶴、瑞鶴の二艦はまだ訓練不足、という事で(前年の夏に翔鶴、秋に瑞鶴が就役したばかり)
本国に一度帰って訓練を行うことになります。

では、入れ替わった二航戦と組んで一航戦は何をしていたのか。

 

一航戦 

二航戦

五航戦

 

赤城

加賀

蒼龍  

飛龍 

翔鶴 

瑞鶴 

1942.2.19

ダーウィン 空襲   

帰国し訓練中

1942.2.26-3.05

ジャワ島攻略援護

帰国し訓練中


日本の機動部隊の2月から3月上旬の活動はこんな感じです。
ダーウィンはオーストラリア北部の街で
(日本軍は海軍も陸軍もポート・ダーウィンと呼んでるが、それは街に面した入り江の名前で間違い)
ジャワ島はインドネシア南部の島ですね。
それぞれの位置を確認するために、再度地図を載せておきます。



まあ、何らかの戦略的な考えがあったんだろうなあ、
と思いますが、なんで貴重な空母戦力で、
そんな場所の空襲をやらねばならないのか、どうもよくわかりませぬ。
ついでに、ダーウィン空襲以降は、一航戦と二航戦の空母艦隊は、
より西側のインドネシアのセレベス島に停泊地を移し、4月のインド洋作戦もここから出撃してます。

そして、活動を始めたアメリカ側の空母戦力は、日本の空母機動部隊が西に移動した隙を突き、
今度は2月20日に日本の庭と言っていいラバウル近海にUSSレキシントンが進出、
例の奇襲攻撃を目論見たわけです。
この時、日本の空母主力部隊はダーウィン近海にあり、五航戦はまだ日本ですから、
みすみす、これを見逃すことになります。

ついでに、このUSSレキシントンの行動、そしてドゥーリトルの東京空襲の時のアメリカ空母機動部隊の動き、
どう見ても日本側空母機動部隊の行動がアメリカに筒抜けだ、と考えるべきで、
この段階で暗号が破られてる、と思わなかったんでしょうかね、日本海軍の皆さん。

で次の山場は、またアメリカ側が用意してました。

USSサラトガ

USSレキシントン

USSヨークタウン

USSエンタープライズ

1941.12.08

ウェーク 島へ航空機輸送

ミッドエウィへ 航空機輸送

まだ 大西洋

ウェーク 島から帰還中

12.20-23

ウェーク島 救援へ

パナマ 辺 り

ウェーク島救援へ

1942.01

潜水艦攻撃で損傷

ジョンソン 島周辺警戒

サモア 輸送援護

1942.02

修理中

 ニューギニア沖海戦

 マーシャル・ギルバート諸島 空襲

1942.02

修理中

-- 

-- 

ウェーク島空襲

1942.03

修理中

ラエ&サラモア 空襲

 南鳥島 空襲

1942.04

修理中

航空機輸送

珊瑚海警戒

東京空襲護衛


まずは表の右、USSエンタープライズによるウェーク島と南鳥島(Marcus Island)の連続空襲で、
ウェークの敵討ち、とでもいうべき空襲が2月24日、
その後、本来の予定には無かった小笠原諸島の南東の島、
南鳥島を3月4日に空襲してます。
ドゥーリトルの東京空襲を別にすると、この南鳥島攻撃は最も本土に近い場所ですが、
極めて小さい島で戦略的な価値も低いですから、
ほとんど嫌がらせみたいな攻撃だったと思われます。

でもって五航戦の翔鶴、瑞鶴がインド洋作戦のため、
その翌日の5日に呉を出向し、セレベス島に向かってました。
(日付は門司親徳さんの回想による。岩本徹三さんは7日としてるが、
どうも岩本さんのこの前後の記録は二日ずつ日付がずれてる疑いがある)

それがフィリピン沖で3月8日ごろになってから、
敵機動部隊を追いかけろ、という指令を受け、小笠原近海へ急行したとの事。
恐らく南鳥島襲撃を受けての事だと思うんですが、
なんで3日以上たってから…という感じがします。
当然、次の東京空襲護衛の任務が控えてるUSSエンタープライズは
とっくに真珠湾に向かってたはずなんですが。
ここら辺り、日本側も混乱してるな、という感じがしますね。

そして最後は、表にある3月10日のUSSレキシントン&USSヨークタンによる
ラエ&サラモア空襲です。
例の南洋攻略担当の日本の第四艦隊が、
ニューギニア島の北側のこの街に上陸した直後を狙い、
島の反対側、南側から発進して、これを空襲したのです。

この結果、第四艦隊の上陸部隊は大損害を受け、次に予定していた島の南側の要衝、
ポートモレスビー攻略のMO作戦を延期し、さらに連合艦隊に空母の護衛を要請、
これによって五航戦の翔鶴、瑞鶴がこのMO作戦に参加することになります。
その結果、珊瑚海海戦が起きることになるわけです。

ちなみに、この空襲の時も、機動部隊主力はジャワ島の攻略作戦に参加した直後で
はるか西の海域に居て役に立たずでした(一日前の9日にセレベスの泊地に帰ってた)。

が、これらによって、太平洋の西側でアメリカ空母機動部隊が
活発な活動に入ったのは疑いない、という事が確認できたわけです。

そこに座礁事故の修理で佐世保に向かっていた加賀を除く
全空母が、出撃可能な状態で、セレベス島に集結しつつあったわけです。
これは、アメリカ空母艦隊殲滅のチャンス、と私などは思ってしまいますが、
連合艦隊司令部は、せっかく集結した空母を全て、
予定通り、何するんだかよくわからんインド洋作戦に、気持ちよく送り出してしまいます。

…まあ、とりあえず、このインド洋作戦までが、
珊瑚海海戦の前段階なので、ようやく前フリは終了ですね。
いよいよ次回から、珊瑚海海戦に入ります。




…多分。


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