■錯誤の進行表

お次は各部隊の索敵機の行動を時間ごとに比較してみます。
ただし、とりあえず主要な目的にからまなかったデボイネからの索敵はここでは省いてます。
時間は全て現地時間です。

ちなみに現地時間の換算はややこしくて、
日本の前線基地、ラバウルからソロモンの西のはずれ、ブーゲンビル島までは
ZONE-10で日本との時差は1時間(+1時間)なんですが、
それより東はZONE-11なので+2時間の時差になります。

さらにアメリカ軍の現地時間も面倒で、
どうもニューカレドニアを起点にしていたらしく実は-11.5時間で記載されてます。
つまり、日本の戦闘詳報に対しては+2時間で現地時間、
アメリカの行動報告書では-0.5時間で現地時間になるのです。
…なんで私は、こんなメンドクサイ仕事を、自ら進んでやってるんでしょうね…。


●珊瑚海海戦 一回戦 7日午前中 各部隊索敵機の行動

 

 MO機動部隊

TF-17 

MO主隊 

ラバウル基地 

6時

索敵機 6;15発進(12機)

索敵機 6:19発進(10機)

索敵機 6:00ごろ発進(4機)

索敵機 6:30発進 

 7時

 
7:30 翔鶴索敵機
南側の海域で敵空母艦隊発見を打電

7:55 翔鶴索敵機から
続報入る 空母×1、巡洋艦×1、
駆逐艦×3の艦隊 北上中

7:35 ヨークタウン索敵機より
巡洋艦×2発見の報告入る
(別行動中の古鷹、衣笠か?)

以後、複数の
敵航空機発見の報告入る
おそらくMO主隊の索敵機か

 

 7:50 索敵機発進後、
本隊合流のため西に向かっていた
重巡 衣笠がTF17の索敵機と接触
こちらも発見されたと判断し
MO主体司令部に打電。

 

 8時


8:10 7:30の報告を受け、
五航戦 攻撃部隊発艦終了


8:30 翔鶴索敵機
先の空母機動部隊より
25海里(46.5q)の地点に
輸送船発見の打電入る
(ネオショーとシムスだ)


MO機動部隊は特に気にせず 

8:30 MO主隊より敵艦載機の
接触を受けつつありとの報受ける

8:50 MO主隊より、
デボイネより258qで
敵空母を発見した、との報が入る
MO機動部隊司令部、混乱


8:15ヨークタウン索敵機より
 敵空母×2、巡洋艦×4
の艦隊を発見の報告入る
(MO主隊か水上機部隊の援護隊?)

8:55〜9:40
8;15の報告を受け、
レキシントンより
攻撃部隊発艦
 


8:00〜30 本隊もTF17の索敵機に
接触され始める 
敵空母近しと判断した
MO主隊司令部より祥鳳に
敵空母攻撃命令が出る

8;30 遠く南東のMO機動部隊より
敵空母発見、攻撃するとの報あり
MO主隊、これを聞いて
既に勝ったと大喜び

8:38 その直後、古鷹より出た
索敵機がデボイネの南東258qに
敵空母機動部隊発見を打電。
これがホンモノだった

さらに8:40 今度は衣笠の
索敵機から敵空母機動部隊発見
の報が入る。
両者の航法誤差により報告位置は
75q近くずれていたが
MO主隊司令部はこれを
同一の空母機動部隊であると
正しく判断した


この段階では、MO主隊司令部は、
MO機動部隊が攻撃に向かってる
敵艦隊を、自分たちも同時に
発見したのだと思い込んでいた

9時

9:30 攻撃隊より敵部隊発見、
敵航空機部隊発見の報あり
ただし誤報の疑いが濃厚

以後、報告が途絶える

 


9:44〜10:13 
続いてヨークタウンより
全攻撃部隊発艦


9:00 策敵機発進のため
別行動中だった
古鷹、衣笠、本隊に帰還合流

9:30ごろ 
MO機動部隊からの打電により、
連中の攻撃している敵艦隊の位置が
古鷹、衣笠機の報告と全く
異なる位置なのが判明する

すなわち彼らの発見した
空母機動部隊はなんら攻撃を受けずに
MO主隊に接近すると推測された

それどころかMO主隊は
その空母部隊の必殺の間合いに
すでにあったのだ

MO主隊司令部に戦慄が走る事になる


9:15 衣笠機8:40の報告を受け、
一式陸攻12機が発進
(雷撃装備)

9:25 陸攻の索敵機が
戦艦と巡洋艦からなる
6隻のアメリカ艦隊を発見報告
(戦艦は重巡の見間違いで
これは別行動のTG17.3)

9:30ごろ 明確な記録はないが、
攻撃目標を陸攻が発見した
TG17.3に変更したらしい

9:45 ラエの残存ゼロ戦と
合流していた地上基地ゼロ戦
12機がラエ基地より出撃
(デボイネの南に向かってる
TG17.3なら十分攻撃圏内)

10時

10:25 攻撃部隊より空母の位置を
教えろとMO機動部隊に入電
司令部もどうも変だと
思い始めたらしい

10:46 翔鶴索敵機より、
さっきのは空母じゃなくて
輸送艦の誤りだったヨ、
僕はもうお家に帰るね、
との打電入る

大チョンボ判明、
MO機動部隊、騒然となる(涙)

10:53 攻撃部隊より油槽船のほか
(ネオショーである)
敵は見えず、との打電入る
そりゃそうだ


10:26 陸軍索敵機より
別位置で空母×1
そのほかの戦闘艦×16からなる
部隊発見の報告入る
(祥鳳とMO主隊である)

10:30 8:15分に空母発見を打電した
索敵機ヨークタウンに帰艦
その口頭報告により空母(CV)×2は
駆逐艦(DD)×2の
誤りだったと
判明

原因は艦種記号表の読み間違いであり
(CVとDDは並んで表記されてたらしい)
実は空母は居なかっと判明
TF17、騒然となる(涙)

ただし、先の陸軍機からの報告もあり
攻撃は続行された
攻撃隊は陸軍機から
報告があった海域に向かう

このため、結果的には
アメリカ海軍の報告書にあるように
幸運な間違い(fortunate mistake)
となる


10:00 MO機動部隊に対し敵は二隊に
分かれてるようだ、と通報
 さらに護衛していたポートモレスビー
攻略部隊に対し、
北西への退避を命令
(実際は自主的に退避し始めてた)

10:08 衣笠の索敵機から
敵空母から艦載機発艦中の報あり
(ヨークタウンだろう)

10:20ごろ?
上の報告を受け、祥鳳に攻撃隊の
発進を命じるが上空護衛機の
燃料補給のタイミングと重なり
小型空母では着艦で手一杯となり
攻撃隊の発艦は全くできず

ここら辺りの混乱の戦訓が
ミッドウェイで活かされた形跡なし

ほぼ同時刻にアメリカ空母は
2隻との報が入り、
この時初めてアメリカ側の
空母戦力が判明した

10:30 古鷹、衣笠の
索敵機と交代するため
青葉、加古より水上機発進

正確な時間は不明ながら
ラバウルから飛び立った陸攻と
ラエからのゼロ戦が合流
ロッセル島西のTG17.3に向かう

11時


11:00ごろ?
攻撃部隊に帰還命令が出される
雷撃隊はそのまま戻るも、
艦爆部隊はネオショーとシムス
を爆撃、シムス撃沈、
ネオショーを大破させる

12:00ごろ シムス沈没


11:00 攻撃部隊が空母(祥鳳)を含む
日本艦隊の発見に成功、攻撃に移る
(祥鳳の戦闘詳報によると
10:50分ごろ敵機発見)

11:35ごろ 祥鳳沈没

10:50 祥鳳、敵部隊の接近を発見
11:02 MO主隊 対空戦闘開始

以後、祥鳳が集中攻撃を受ける

11:35ごろ 祥鳳沈没
 

11:00 一式陸攻第二波
ラバウルより出撃
(爆弾装備/爆装)

11:30 索敵の陸攻、
燃料切れにより接触を中断、
帰還に入る

といった感じが珊瑚海海戦の第一回戦、7日午前中の戦いの経過です。
両軍の主力である空母機動部隊が、それぞれ独自の行動を取りながら、
ほぼ同時に敵を誤認し、ほぼ同時に誤認した相手を沈めてしまった、
という人類の戦史でも極めて珍しい錯誤の連鎖があったわけです。

ついでに午前中で終わらなかったラバウルの陸攻による
TG17.3への攻撃は索敵機が攻撃隊到着前に現場を離れてしまったため、
なかなか敵が見つけられず、攻撃開始は午後になってしまいます。

ちなみにTG17.3は先に述べたように巡洋艦と駆逐艦からなる艦隊で、
こちらはTF44の指揮官でもあったオーストラリア人のクレース(Crace)が指揮を執ってました。
(アメリカ側の資料だとイギリス人と書かれてる事が多いが、オーストラリアは既に独立国だ)

最初は戦闘機部隊がTG17.3を発見、その攻撃後、
2時30分ごろから陸攻の雷撃が行われました。
その後、こちらはすぐ現場に来れた爆装の陸攻が
2時45分ごろから水平爆撃を行ってます。

日本側の記録によると
●撃沈 カリフォルニア級戦艦×1 重巡×1
●大破 ウォースパイト級戦艦×1

と盛大なものでしたが、実際の戦果は0で、
撃沈はもちろん、大破、中波すらありませんでした。
そもそもウォースパイト級戦艦てなんだ。
クィーン エリザべス級のHMSウォースパイトという事?

さらに大型の陸攻で低空で至近距離まで突入する雷撃は
対空砲火の的になりやすく、その損害は深刻でした。
12機の雷撃陸攻の内、4機が撃墜され(日本海軍に言わせると‘自爆’)、
3機が大破で利用不可となったため、実に出撃の50%を超える
7機が失われた事になります。

USSレキシントンによるラバウル強襲失敗の時もそうでしたが、
どうも雷撃陸攻の損失はあまりに大きく、
その割に戦果はあまりに少ない、人命軽視の戦術でしょう、これ。

ちなみにその後から攻撃に加わった水平爆撃部隊は
損失ゼロ、3機被弾のみでした。
どっちも戦果はゼロなんですから、雷撃隊の皆さんは
日本海軍の無策に対して、無念だったと思います。

ただし、この攻撃に驚いたTG17.3指揮官のクレースは
戦闘機の援護を要請したのですが、これを拒否され、
その結果、ジョマード水道南側での待ち伏せを放棄して
オーストラリアに帰ってしまいました。
一定の効果はあった、と言えるかもしれません。


NEXT