■第三章 全天候型戦闘機の迷走


■戦闘機氷河期の始まりへの助走

第二次大戦後、ついに独立を果たしたアメリカ空軍は戦略爆撃機と核兵器によって直接敵国家の破壊を行う戦略空軍化を推し進めました。その結果、第二次大戦後は戦闘機や対地攻撃機といった機体はどんどん存在価値が薄くなって行きます。
戦争が始まったら敵の軍隊なんか無視して相手国家の心臓部を直接叩いちゃうわけですから通常兵器なんて使ってるヒマが無い、と考えられたのです。
よって空軍にとって戦略爆撃、そして核兵器による攻撃に関係ない兵器はほぼ、その存在意義がなくなってしまったのでした。

「戦闘機は乗るには面白いな。でも空軍の仕事は爆撃機がやるもんだ」
というのは戦略航空司令部、SACのボスであり、後に空軍参謀総長にまで出世するカーチス・ルメイの言葉です。
そしてアメリカ空軍はまさにそういった状況になってゆきます。その結果、通常戦闘機などの開発を事実上放棄してしまい、ベトナムでは主力戦闘機どころか主力攻撃機まで海軍の機体を使うという屈辱を味わい、それでも貧弱な北ベトナム空軍を完全に圧倒することができませんでした。

なので最初は、この辺りの事情、すなわち1950年代後半から70年代初頭まで、アメリカ空軍が完全に死んでいた時代にどんな戦闘機を造っていたのか、を見て行きましょう。

■ジェット戦闘機の登場

戦後の戦闘機が迎えた大きな変化、それがジェット機時代の始まりであり、アメリカも既に第二次大戦中から、イギリスやドイツのように戦闘機のジェットエンジン化を進めていました。
大戦中から終戦後数年以内に初飛行、配備が始まった機体、つまりルメイがSAC司令官として戦略爆撃による強烈な影響力を空軍全体に及ぼすようになる前に開発と配備を終えていた機体をジェット第一世代として、まずそこから見て行きましょう。

この時期の戦闘機は、基本的に大戦中の戦訓がそれなりに活かされてますから、純粋に戦闘機であり航空優勢を確保するのを目的に造られています。すなわち敵戦闘機を駆逐して航空優勢を確保せよ、制空権を取ってこい、という機体です。
戦闘機でも核爆弾を積め、とにかく爆撃せよ、といった発想はまだ無いのです。ただしその目標がキチンと達成されていたかは別問題、という機体も多いのですが…。



まずはベルP-59。

アメリカが最初に開発したジェット戦闘機です。一応、正式採用されてるのですが、あまりに問題が多すぎて本格的な生産はキャンセルされてしまった失敗作。約60機だけ生産されて終わります。事実上、無かったものと考えていいでしょう。



ロッキードP-80。
ただし空軍独立後は戦闘機ナンバーはFにとなったので以後はF-80に。

1944年1月8日に初飛行した“事実上”のアメリカ初のジェット戦闘機。ちなみにこの初飛行は日本の紫電改の初飛行一週間後でした。そりゃ日本は戦争に勝てないわけだ、という感じですね…。

このF-80は1950年に起きる朝鮮戦争で実戦デビューすることになるわけですが、その時期には完全に時代遅れとなっており、ミグ相手に戦うのは無理と判断されて対地攻撃に投入されてます。登場から6年で時代遅れなのかという感じですが、当時の機体の進化のスピードは現在とは比べ物にならないため、ある程度は仕方のないところではあったのです。

でもって現地を視察で訪れた設計者のケリー・ジョンソンは、爆弾積んだその姿を見て泣きたくなったとか。
当然、そういった任務には全く向いてないため、いろんな意味でイマイチな結果に終わります。ただし、この機体を元に作られたジェット練習機、1948年初飛行のT-33は世界中で使用される傑作ジェット練習機となり、日本の航空自衛隊では1999年まで飛んでいました。



その次に登場したのが大戦中にP47サンダーボルトを造ってたリパブリック社のジェット戦闘機、F-84サンダージェット。

ほぼ失敗作、の一言で終わらせて問題ないです(笑)。
戦後の1946年2月に初飛行してるんですが配備開始後もトラブル続きで使い物にならず実用化のメドがたったのが実に1949年でした。
その後、朝鮮戦争に投入されたものの、既に完全に時代遅れになっており先に見たF-80と同じく主に対地攻撃に投入されます。ミグ15と出会ったら、とてもじゃないがまともな勝負にならない、というレベルの性能だったのです。

いろんな意味で凡庸な機体ですが、その割には異常にバリエーションが多く、最終的にはF型という後退翼にしたタイプも存在します。ただし、この後退翼型は試作段階ではYF-96という新しい型番がつけられていたので、事実上の新型機、本来は別の機体と考えるべき機体でした。これはまた後で登場します。



ノースアメリカン社によるジェット戦闘機F-86セイバー。

大戦後からベトナム戦争に至るまでの間、アメリカが運用した唯一のまともな戦闘機と言っていい機体でしょう。後に日本の航空自衛隊でも運用されてました。

当時の空軍ジェット戦闘機の開発としては最後発だったのが幸いして、終戦後に敗戦国ドイツからもたらされた高速飛行向けの主翼、すなわち後退翼を利用することに成功、かなりの成功を収める事になりました。
(後に説明するが後退翼は本来、音速手前の速度域の高速化を狙う主翼。このF-86はまだ音速機ではない)

朝鮮戦争でもミグ15相手に優勢を維持できた、といっていい戦果を上げており、戦争全期間を通じアメリカが航空優勢を失わなかったのは、この機体の存在によるところが大きいでしょう。
ただしこの機体を最後に、アメリカ空軍から“まともな”航空優勢戦闘機が消えてしまう事になります。以後は核爆弾が積めるような戦闘爆撃機か、敵の核爆撃機を迎撃する全天候型迎撃機が主力となってしまい、戦闘機相手の空中戦を勝つ、という設計思想の機体は消えてしまうのです。
そして約30年近く後にF-15が登場するまで、アメリカ空軍には航空優勢を確保できる戦闘機が全く存在しないという異常な時代が始まる事になるのでした。

ちなみにそのライバル機、ミグ15をアメリカ空軍は朝鮮戦争中に手に入れており、試験の結果その飛行性能が予想以上に優秀である事が明らかになっていました。速度はF86とほぼ互角ながら、運動性、上昇力という空中戦で重要な能力は、ミグ15がF86を上回っている事が明らかになりアメリカ空軍関係者を驚かせます。

じゃあ、なんで勝てたのだ?という疑問が当然出てくるわけですが、多くの関係者達はパイロットの練度、技量、そして兵器システムの優劣で説明しました。これらがソ連はお粗末なんだ、だから、アメリカの戦闘機は今後も大丈夫、と。
この点、兵装ではF86はすでに射撃照準用レーダーを搭載、極めて正確に目標との距離を測る事ができたため、ミグ15に比べ射撃精度は格段に優れていたのは事実でしたから、この仮説は説得力を持ちました。
この結果、優秀な兵装や電子装置があれば、まず負けることは無い、と考えられるようになって行きます。ところが実際はそれだけでは空戦には勝てないことがベトナムの空で明らかになり、その結果としてアメリカ空軍は極めて高価な代償を払う事になるのです。

ちなみに朝鮮の空でF-86が優位を取れた理由は厳密には未だに謎なのですが、後に登場するこの連載の主人公、ジョン ボイドは視界の良さの違いを理由の一つに上げてます。
そこから彼のOODAループへと繋がって行くのですが、この辺りはまた後で。



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