この銅製らしき灯篭も重文。実は江戸期では無く鎌倉時代の物だとか。

化け灯篭の名があり、夜中に灯篭の火を人玉と勘違いした侍が刀で切りつけた傷が無数に残る…との事ですが、間違えるか、それ?単に日頃の上司の不満とかをぶつけていただけでは?

とりあえず、ここは鎌倉時代から、一帯の武将の信仰を集めていたのは確かなのでしょうね。ちなみに平家物語で那須与一が扇子を撃ち抜く時、知ってる限りの効き目がありそうな神さんに願掛けするのですが、「日光権現、宇都宮」と述べており、二荒山神社を日光と宇都宮でキチンと分けています(日光権現は男体山を中心とする山岳信仰)。ついでに家康が死後、明神ではなく権現にされたのはやはり天海の日光地区贔屓の結果のような気がしますね。



そこから奥に入る通路が。行って見ませう。



あ、これが大国主命の社か…とおもったら、大黒天じゃん、これ。江戸期には発音が似ている七福神の大黒天と大国主命が混同されていた、という話を見たことがありますが、ここかなり歴史のある立派な神社なのにねえ…



南北朝時代の物とされる太刀が展示されてました。ただ、下にある解説は「福を呼ぶ・幸運を呼ぶ!」開運大太刀とされており、この人達は何を言ってるんだろうと思う。



その前から見た本殿。やはり立派です。まあこの一帯の造成で徳川家は早くもその財政を傾けた、という話もありますしね。

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