■善光寺以外の長野



でもって先に書いたように善光寺本殿内は撮影禁止ですから、
お話は内陣参拝後に飛びます。

とりあえず一度宿に戻ることになり、仲見世を通って宿坊へ。
相変わらず、結構な人出です。

余談ですがこういった寺社の前にある商店街を仲見世と呼びますが、
本来は境内の店ですから、江戸期の地図とかだと中店といった字になってたりします。
これがいつから仲見世という字になったのか、どんな意味があるのか…
調べるのは面倒なので、この話はここまで。



宿に戻って、両親はもうノンビリしたい、貴様は好きにしろ、
という事になったので、早速、長野の街へ出撃ザマス。
長野訪問は三度目ですが、実は街中はほとんど歩いたことが無い。
ちょっと、ウロウロしてみましょう。



先にも書いたように善光寺周辺には善光寺の末寺(本山に付属する小さな寺)がいくも並んでいて、
ちょっと独特な雰囲気を持っています。

料理の味付けなんかもそうですが、どうも長野は関西、特に京都の文化圏にある気がしますね。
平安期からこの辺りには中央の人間が入り込んでいたはずなんで、
やはり東京の影響より、京都方面からの文化的影響が強い気がします。
すなわち、上品です(笑)。

もっとも信州でも、小諸、佐久平といった南東部に行くとまた違ってきますが。



それらのお寺でも、あちこちでご開帳が行われてましたが、
こちらは如来様がご本尊らしい。
となると浄土宗側のお寺でしょうか。
善光寺はもともとカオスのような宗教の渦の中にあった不思議な施設なんですが、
現在は基本的に浄土宗と天台宗の共同管理な運営となってます。



仁王門を出てしばらく歩くと、善光寺境内の外に出ます。

善光寺は長野市内中心部の北西の高台に位置するため、
下に見おろす街に向かう、といった感じになり、
天気のいい初夏の日に歩くには、とても気分がいいです。

これは、京都や大阪、東京の新橋のように、明治の鉄道は欧米型、
すなわち市内の真ん中ではなく、郊外に駅を造るスタイルだったため、
長野駅も当時の街外れに造られて、
その後、駅周辺に現在の市街が形成されたからじゃないか、という気がします。

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