■混沌の王
暮れなずむ大阪の空の下、こんな通りに入り込む。
うわー、京都の祇園か先斗町みたいだよ!
と思ったのは最初の一瞬のみ。あ、ここはヤバイ、と即座に感じる。
となると、大阪市内にこんな街は二つしかない。
松島遊郭と、飛田遊郭。
でもって、帰宅後に確認したら、こちらは飛田の方でした。
細かい説明はしませんが、少なくとも青少年が入っていいエリアではありません。
さすがに写真を撮るのは憚られたので、入り口付近から見たこの一枚のみですが、
一応、ほぼ端から端まで(というか東側の入り口から入ってしまった)歩いてます。
ただし、帰宅後確認したら、南北二本の通りがあったようで、
私が通過したのは、おそらく北側でしょう。
一言で言って、ここはホンマに21世紀やろか、という世界。
憶測でウカツなことは書くべきではないので、詳細はノーコメントとしますが、
ちょっと唖然とするような光景が展開しておりました。
なるほど、地図に出てない街なわけだ。
ちなみに、この記事を読んでおおよその場所の見当がつく人は、
グーグルマップの航空写真でこのエリアを見てみましょう。
あきらかに周囲と構造の異なる家々がまさにピンポイントで密集してます。
まさかこんな構造の家が21世紀に残ってるとはなあ…。
ちなみに航空写真で確認してみる限り、
周囲にもいくつか似たような構造の家が点在しますが、
これが現役なのか、かつての跡地なのかは未確認。
細かい説明はしません(笑)。
とりとめのない話を少ししましょう。
ここは大正に入って人工的に造られた遊郭で、江戸期の吉原のようなものです。
でもって、大阪は新世界周辺の状況、というのを今回初めて知ったのですが、
驚くほど東京の浅草周辺に似ていて…というか全く同じ構造を
南北ひっくり返しただけ、という点に気付いて、正直驚いてます。
偶然なのか、両者、何か共通の土台を元に街づくりをやったのか。
まず、新世界、浅草ともに大正期に一気に開けた繁華街である、という点。
浅草は東京下町江戸っ子でえ、という顔をしてますが、
あの街が東京都市部に組み込まれるのは明治末期からで、
例えば、あれほどの遊び好きの正岡子規が鶯谷に住みながら、
浅草にはほとんど出かけていません。
隅田川沿い(いわるゆる墨東)の遊郭帰りのところを
漱石にとっつかまって、向島周辺を散策したりしてますが(笑)、
ほとんど浅草までは行ってないはず。
そもそも浅草寺から北の隅田川沿いは関東大震災前くらいまで、
伯爵、子爵、皇族の皆様の別宅が建ち並ぶ、チョー高級郊外型別荘地でした。
…現在の荒川区東部、南千住南部、いわゆる山谷地区の状況を知ってると、
なかなか想像のできない世界ですが。
でもって、その新しい歓楽街、浅草の北(別荘地は東に近い方角)には何があったか。
明治維新後も遊郭であり続けた吉原、
そして戦後はドヤ街となった山谷(サンヤ)の町ですね。
この二つは西が吉原、東が山谷で、大通りを一本挟んで隣接しています。
なので、あしたのジョーの漫画で、主人公のジョーが方向音痴だったりしたら
なみだ橋を渡ってドヤ街に来るはずが、隣の吉原に行ってしまっていたかもしれず、
そうなったあかつきには、どう考えても全く違う漫画になったでしょう。
それはそれで読みたかった気もしますが(笑)。
ちなみに、原作の梶原一騎さんは、その近所の出身。
話を戻します(笑)。
大阪に目を移しましょう。
まずは大阪の南端、これまた何も無い地域だったのが、
大正期以降、人工的に一気に大繁華街となったのが新天地。
そしてそれに隣接して、こちらでは南側になるのですが、
ドヤ街である釜ヶ崎、そしてその東に遊郭である飛田がある。
ついでに言うと、上に上げた地名は現在全て廃止されてしまい、
地図でいくら探しても、東京にも大阪にも、そんな街を見つける事ができません。
(ちなみにもうヒトツの東京の巨大遊郭、洲崎の地名も既に無い。東陽町になった)
偶然かなあ、とも思いますが、そうでもないのでは、と思う理由がもうヒトツ。
花園、という地名の存在です。
この後、西にぬけて、南海本線で難波に戻るのですが、
そこで、この地に花園という町名があることを知り驚きます。
“この手の街”で、花園の名を正式町名にしてる場所があったことを初めて知りました。
最初に断っておくと、理由は知りません。
が、遊郭のそばには、なぜか花園、という場所が多く存在します。
まずは吉原。
この南側のエリアは花園、とうい名を持ち、花園通りは現存していたはず。
ただし、正式な町名、地名となったことはありません。
もうヒトツは新宿。
宿場町、というのはそのまま江戸末期から明治期にかけて遊郭になったところが多いのですが、
新宿もそのヒトツで、戦後に至るまで、一大遊郭街でした。
(余談ながら新宿区の歴史資料館はこの辺りの説明でえらく苦労しており、泣けます(笑))
でもって、その新宿にあるのが花園神社。
この神社の歴史は古いんですが、花園の名をつけたのは江戸期以降のはず。
といった感じですが、結論は?と聞かれても、
特にない話だったりするのでした(笑)。
ついでに言うと、この手の遊郭だと首都圏の場合、
東京ではなく、横浜周辺が本場でした。
黄金町周辺がもっとケバケバしい世界で、
これまた日本とは思えないエリアだったのですが、
2005年前後に一斉摘発を行われて、現状、壊滅してます。
さらに余談ながら、東京で怖い街ってのはほとんどありませんが、
20年くらい前の横浜の黄金町はヤバイってのはこういう場所か、という地域でした。
私も夜に行ったことはありません。
最近は健全化が進んでるようですが。
ああ、もうヒトツ。
ちょんの間、という言葉があります。
これを一瞬の間、と説明する人が多いですが、違うでしょう。
ほぼ間違いなく、差別用語ですから、ご注意あれ。
少なくとも21世紀になって使う言葉ではありません。
そこから少し裏通りに入ってみる。
あ、井戸ですね。東京でも、実はちょと裏通りに入ると、結構残ってます。
アーケード街もほぼ尽きたようなので、撤収に入ります。
とりあえず西に向かえば南海本線にぶつかるはずなので、そちらに向かう。
でもって、再び出会うスーパー玉出。
その横から、再びアーケードが!
でもって、これがまた、全開バリバリでドヤ街だなあ、という雰囲気。
でもって、入った瞬間、あ、じゃりん子チエの世界だ、と思う。
でもって、帰宅後、確認してみたら、
やはりこの周辺が漫画のモデルになってる、と確認。
ああ、ついにやってきたぜ、じゃりんこチエの世界。
NEXT