■それでも夕撃旅団は進む
このエリアも水が豊富。
小川なんてレベルじゃない水量の川が流れてます。
突然ですが、空海閣下がなぜ高野山に真言密教統合幕僚本部を設置したか、
という問題を考える場合、この水の豊富さは重要なポイントなんでしょうね。
が、結局、なんで平安の昔に、こんな山奥に?という問題が残ります。
で、今回、旅行から帰って来て、地図を見て、ああ、そうかと気が付いたのでした。
この高野山は、彼が密教の奥義を授かったかつての唐の首都、
長安と同じ緯度に位置しているのです。気づいてしまえば簡単な話。
空海は、当時の真言宗の中心地、長安の都と同じ位置(緯度)を選んでます。
多分、それだけ。その位置で、比較的、暮らしやすいエリアを選んでるだけです。
大日如来を中心に置く密教系宗派は、見ようによっては太陽崇拝の宗教ですから、
その緯度、太陽の南中高度は重要だったはずで、
さらには、日本は東側、つまり長安より先に日の出を迎える場所にあります。
空海の性格からして、俺の方が上、という意味でも、
長安と同じ緯度のこの場所に、その本拠地を建てたんでしょうね。
唐の時代は、シルクロード経由で大規模に天文学が中国に流れ込んだ時期でして、
その天文観測に基づいて、本格的な暦(平安期に日本にも入った)がこの時代に造られます。
そして、中国の真言密教の始祖とされる、一行(天台宗と禅宗もかじってるが)は、
この中国暦、大衍暦(だいえんれき)を造った、まさにその人だったりするのでした。
密教というのは、天文学に密接に関連しているのです。
(ただし、空海以降は、この傾向はほぼ失われる)
暦用の天体観測を行う場合、自らの位置(緯度)を決めないとえらい事になりますから、
その方面の技術は、必然的に進歩します。
空海にとって、日本で長安と同じ緯度にある場所を探すのは、簡単な事だったでしょう。
ちなみに、高野山と長安の緯度が同じ!と気が付いて、
ヒャッホー!すげえ大発見だ!これで今年のノーベル平和賞はもらった!
と一人で大興奮したのですが、調べてみたら、有名な話らしいですね、これ…(涙)。
が、大抵は、これを不思議な一致、神秘的な一致、と説明してるようです。
そんなわけあるかい(笑)。
空海殿下は狙ってやってますよ。
ちなみに、彼の生誕の地とされる、香川県の善通寺、実はこれも
高野山と長安と同じ緯度にあります。空海三連星状態なわけです。
それを、これぞ密教ミラクル!と思ったらあまりに人が良すぎます(笑)。
これ、空海のデッチアゲでしょう。
彼は、かんがい用水、満濃池の改修工事のため、故郷の讃岐(香川)に入り、
坊さんながら、なぜか工事の指揮を執って、これを完成させています。
それが821年、高野山に真言宗の本部を築き初めて5年目の事です。
いくら故郷の窮地とはいえ、なぜ彼がそんな事をする必要があったのか。
彼の生誕地には善通寺というお寺が建っており、ここが空海誕生地だよ、とされてます。
が、私の知る限り、西暦774年というえらい昔に生まれた日本人で、
正確な生誕地まではっきりしてる人はほとんどいないはず。
これには、なんらかの“伝説化”が行われている、と考えるべきで、
それはおそらく、高野山設立後の、空海本人によってなされた、
と考えるのが自然ではないか、と。
要するに、満濃池改修で生まれ故郷に乗り込んだ空海が、ここがオレの生誕地!
と自分で決めたんじゃないですかね、という話。
天体観測によって長安、高野山と同じ緯度にある場所を見つけ
(満濃池の北、約8kmくらいの位置になる)
ここがオレの生まれた場所だよ!と宣言した、と考えるのが自然だと思います。
そもそも、なんぼ生まれ故郷とはいえ、彼が讃岐の地の満濃池の改修をやる理由が、
普通に考えた限りでは思いつかないのです。
(司馬遼太郎さんは、空海が郡司(領主)の子だったからだ、とするが…)
はい、脱線はここまで。
でもって、木が伐採されまくってるエリアをようやく抜けると、
なんとなくいい雰囲気になってまいります。
が、ここにも寄付金モノリスが(笑)。
「オレッちのナイス献金を末代まで伝えるちゃうけんのう!」
といった野心の下に立てられたものだと思うんですが、
今じゃ千円なんて、子供の小遣いみたいな金額です。
俗物根性、というのは、時間を経るにつれ、極めて恥ずかしいものになってゆく、
という非常に有意義な教訓を示してくれてますね…。
いくつか、こういう墓所も見かける。
これ、江戸期の徳川一族などの墓に見られる神式墓地じゃないかなあ。
一部にキリスト教風のお墓も見かけたので、ここ、なんでもあり、
というか、公園墓地みたいなもんなんでしょうかね、ここ。
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