■司馬家にてしばらく観光
大阪トラップな案内標識を突破してたどり着きました、記念館。
元福田家の庭の一部に建ててしまったものらしいです。
敷地内に、生前の住宅も現存していて、外から眺める事ができます。
家そのものはまあ、ちょっとデラックス、という程度ですが、
敷地は個人宅にしてはやたら広く、移転当時、昭和39年のころはまだ田園地帯で、
このアタリの土地も安かったんでしょうかね(ちなみに当時はまだ布施市だった)。
これが記念館。三日月型の変わった建物です。
中は撮影禁止なので、写真はここまで。
この中に何があるか、というと地下まで掘り下げて造られた巨大な書庫、
映像ホール、みやげ物屋、といったところ。
が、入ってすぐの場所で、大型モニター(といっても家庭用のだと思うが)にて
NHKが製作した“司馬遼太郎記念館の紹介”がエンドレス大音響で上映されており、
実はこの段階でかなりゲンナリしてしまいました(笑)。
もう少し、なんというか…ね…。よりによってNHKかよ…。ボリューム、下げようよ…。
とりあえず、ここの見所は巨大な書庫に併設されてる展示スペース。
展示スペースは小規模なものですが、来訪時は「ニューヨーク散歩」の時の
取材メモ類などが展示されてました。
司馬さん自らニューヨークの地図を描いてメモを書き込んだもの、
さらに市販の地図にもかなり書き込みをしたものが展示されていて、
ああ、やっぱり地形から入る人だったのだ、と再認識。
ちなみにカメラ代わりに即興でスケッチをしたものが数点、展示されており、
ここら辺、デジカメがあれば便利なんだよね、とかも思ったり。
映像ホールでは日露戦争の後始末、ポーツマスでの
日露代表団交渉時の記録フィルムが上映されてました。
そんなフィルムが残されてるとは全く知らなかったのでかなり驚く。
画質はかなり悪く、誰が誰だか全くわからないが、
交渉団の現地移動に自動車が使われていた事を初めて知る。
あれま。さすがアメリカ。
でもって、ここの資料館の一番奥の天井に、人型、上半身型のシミが浮き出ており、
「坂本竜馬」の肖像写真そっくりの不思議なシミ!と紹介されてましたが、
どうかなあ、私にはサザエさんか5千円札の樋口一葉にしか見えなかったぞ…。
でもって、司馬さんの生前の蔵書を集めた書架には、
予想通り、正岡子規全集、夏目漱石全集があったんですが、
意外なとこではロアルト・ダールの「少年」がありました。
ダール、読んでたのか。
個人的には「飛行士たちの話」「単独飛行」がお薦めなんですが、
こっちは読んだのかしらん。
ちょっと脱線しておきましょう。
今回、記念館を訪れるにあたって、
その運営団体である司馬遼太郎記念財団のホームページを見ていたら、
ボスの福田みどりさん(夫人)のほかに、もう一人、“福田さん”がいるのに気が付きました。
マスコミ関係の社長だ副社長だ、さらには市長だ知事だ、という理事メンバーの中にあって、
この人の肩書きは公立小学校の校長さん。ちょっと浮いてます。
この方、おそらく息子さんでしょう。
司馬遼太郎さんが亡くなった1996年の5月ごろだったか、
新聞にその遺産相続の話が載りました。
この時、その相続人にみどり婦人のほかに、長男という方が登場します。
みどり婦人との間に子供が無いことは周知の事実でしたから、
ここら辺の事情を知っていた人間は皆、驚きます。一体、誰なんだ?
と思ったら、ほぼ同時期、今は亡き「噂の真相」という雑誌が、
司馬遼太郎さんには離婚暦があり、実は子供が一人居た、とスクープ記事を載せます。
この問題に深入りする気はありませんし、
安易な憶測も避けるべきでしょうが、さまざまな状況証拠から、
お世辞にも、司馬さんは父親らしい父親ではなかった、と言えるようです。
端的に言えば、人間としての情に欠けていた、という事。
金銭的な面倒を見る以外は、事実上、ほったらかしに近い状況にされたようです。
かつて読んだ司馬さんのエッセーで、まだ作家として一本立ちする前、
有志で集まって同人集団を結成、最初の集まりがあった時の話を書いたものがありました。
その時の参加者の一人が、ずっと自分の子供と、奥さんの話ばかりしており、
司馬さんと他の出席者がこれに憤慨した、という内容で、
読み終えて、個人的には違和感を覚えたものです。
私なんかは、文学だなんだと真顔で議論する連中より、
子供の自慢話をする人の方が、よっぽど好きです(笑)。
私は、司馬遼太郎さんの知性と知識に全面的な敬意を抱いてますが、
だからといって、その人間性まで全面肯定する気はありません。
逆に言えば、家庭的、社会的には問題のある人物であろうとも、
その知性と知識はホンモノであるなら、それでいいだろう、という事でもあります。
立派な作家さんなら、人間的にも立派だろう、というのは
読者の勝手な妄想であって、それを裏切られたからといって、憤慨するのは間違いでしょう。
あいつはプロ野球選手としては一流だが、足がくさい、と言われても、
それがなんで問題なんですか?という話。
人間的な欠点で誰かを批判するのはあり、ですが、
それをもってして、作家としての評価までやるのは間違いです。
もう少し脱線すると(笑)、私の好きなもう一人の作家、
夏目漱石も、家庭人としては最低の部類に入る男で、
子供たちに、果たしてまともな愛情を持っていたのかすら疑問な部分があります。
が、ここで注意したいのは、漱石の“人間失格”説の大半をバラ撒いたのは、
漱石の次男で、文筆活動もしていた夏目伸六だ、とういう点。
この人はこの人で、まあ、ちょっとアレな人だったります。
人間的にも、文才も明らかに2流半、という男でしたから、
まあ、そこら辺をさっ引いて見る必要があるわけで。
はい、脱線はここまで。
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