■野生猫は飼いならされて
とりあえず、2番ターミナルの中で1番ターミナルこちら、
の案内を見つけては追いかけて進む。
しばらく行くと、あ、見えました。
一番奥にF4Fしかありえん、というビア樽のようなシルエット。
空港の展示としては、世界一マニアックなものじゃないでしょうかね、これ。
ちなみに正式な機体の所有者は
フロリダの海軍航空博物館で、そこからの貸し出しとなってるようです。
なんでF4Fというと、この空港の名前、オヘア空港というのは
第二次大戦時の海軍パイロット、
エドワード“ブッチ”オヘア(Edward
O'Hare)から
取られており、彼の愛機を再現して展示してるわけです。
オヘアは海軍最初のエースパイロット(5機以上撃墜)であり、
同時に最初の名誉勲章(Medal
of
honor)を授章した海軍パイロットでもありました。
後にF6Fに乗り換えてから撃墜されてしまい、戦死するのですが、
戦後になってから、その彼を記念して名付けられたのがこの空港なのでした。
オヘアがかつてシカゴに住んでいたからこの名が付けられたのですが、
実は彼は、セント・ルイス市の生まれだったりします(笑)…。
1942年2月20日に起きたのがニューギニア沖海戦でした。
(アメリカ側の呼称でBombing
of
Rabaul)
これはパプアニューギニアのニューブリテン島にあるラバウルに
日本軍が進出、現地の飛行場を占領してしまったため、
アメリカ側がそれへの奇襲攻撃を目論んで、
空母USSレキシントンを中心とする機動部隊を出撃させたものでした。
が、レキシントンはあっさり日本側の哨戒機に発見されてしまい、
ラバウルから発進した日本の一式陸攻の空襲を受ける事になります。
ところが、今度は日本側がこれに護衛戦闘機をつけることができず、
この結果、レキシントン搭載の戦闘機、F4Fの迎撃で、
出撃17機のうち15機を喪失という、壊滅的な被害を受ける事になるのです。
(損失15機のうち数機(2機?)は基地まで戻っての不時着大破)
アメリカ側の損害は1機か2機のF4Fのみで、
戦果だけならアメリカの圧勝に終わった戦いでした。
でもって、この戦いで5機の一式陸攻を撃墜し、
たった一度の出撃で、いきなりエースパイロットに
なってしまったのがこのオヘアなのです。
ただし、実際には3機を撃墜しただけで、
残り2機は損傷のみだったようですが、彼の撃墜申請は受理され、
見事にエースパイロット認定となったわけです。
ちなみに結局、空母レキシントンを中心とした
機動部隊も、それ以上の深入りはしませんでした。
奇襲は不可能となった以上、ラバウル攻撃をあきらめて
離脱してしまったため、戦略的には両者痛み分けという感じで終わったのが
この航空攻撃による海戦となります。
ここ、窓際なので微妙に逆光になるんですよね。
で、逆光を避けられる位置から撮影しようとするとこうなる。
うーむ、この取ってつけたような木の配置。
何の意味があるんでしょう、これ。
機体を見づらくする以外に何の効果もないような。
せっかくの貴重な機体なんですから、もう少しなんとかなりませんか…。
ちなみに、この機体は先に書いたように五大湖で運用されていた
訓練用空母ウルヴァリンで訓練中にミシガン湖に墜落して失われたもの。
(厳密には不時着らしい)
それを1990年ごろに引き上げてレストアした機体なので、
当時のオリジナルの状態を維持してるとは言いかねますが、
かなり丁寧にレストアされており、資料性は高いものです。
で、そのレストアの際、機体の装備と塗装をオヘアがエースパイロットになった
1942年2月ごろのものにして、彼の機体を再現、ここに展示してるんですね。
現地の解説板などにはレプリカと書かれてますが、
これはオヘアの機体の復元機、という意味で、機体そのものは
間違いなくホンモノのF4Fです。
ちなみに訓練パイロットばかりだったため、着艦に失敗したりして
ミシガン湖に沈んだF4Fは結構な数があったらしく、
この機体以外にも、何機か引き上げられてるようです。
比較的低温で、淡水のため、意外に状態はいいものが多いようですね。
てな感じで、見学は終了、搭乗口に向いましょうか。
ここから3番ターミナルまでの移動なので、例の空港内交通機関を使おうか、
と思ったんですが、その乗り場が見つからず、結局歩く事に。
途中で見かけたハーレー・ダビッドソンのお店。
ホントに何でもあるな、ここ。
しかし、空港にハーレーですか、と思ったら、
革ジャンとか、ライダージャケットとかのお店でした。
まあ、いずれにせよ、空港で買うものでしょうかね、それ…。
その横には実車の展示もあり。
これを見て、やっぱり飛行機やめてバイクで行こう、とか思う人は…
いないか、さすがに。
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