■ワシントンD.C.の基礎知識
ワシントンD.C.の象徴、なぜかエジプト風の建造物、ワシントンメモリアル。
街の中心部にある緑地帯、いわゆるモールの中心に建つ巨大なタワーなんですが、
約169mの巨大な石造の塔で、近くで見ると異様です。
なぜ石造り、なぜエジプト風、というのうはおそらく最終日の記事で
ある程度、解説する予定です。
意外に深い意味があったりするのザンス。
ちなみにエレベーターでテッペンまで昇れるのですが、
2013年現在、改修工事中で中には入れませんでした。トホホ…。
塔の周囲の足場はそのためのものです。
さて、今回の主要攻略目標は、
アメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.です。
この街は日本語でワシントン市と呼称される事が多いですが、
これまた日本語だけの呼称でして(笑)アメリカ本国では必ず
Washington
D.C.と表記され、むしろD.C.という呼び方の方が普通です。
そもそも後で説明するように、ここは「市」としての行政機関ではありません。
ちなみに、このD.C.はDistrict
of
Columbiaの略称なので、
DとCの後には、必ずピリオドが付きます。
このD.C.もコロンビア特別行政区といった日本語に訳されるようですが、
正しく翻訳するなら、コロンビア連邦管轄区といったところでしょう。
特別行政区の呼称は、それほど一般には普及して無いと思うので、
この記事では連邦管轄区の呼称を用います。
でないと、この街の意味が理解できません。
ここら辺りの名称の由来はいろいろメンドクサイのですが、
アメリカ人でも多くの人がキチンと理解してなかったりするので、
せっかくだから、説明しておきませう。
コロンビア連邦管轄区の意味を理解するには、
まずアメリカという国家の基本中の基本、
州ごとの独立性という点の理解が必要です。
各州の独立性が極めて強く、多くの法律が州ごとに異なる
アメリカでは国土は全て各州の管轄下にあり、
そられを統べる連邦政府の土地はどこにもなかったのです。
このため独立戦争後、ワシントン大統領の時代に、
ヴァージニア州とメリーランド州から現在のワシントンDCを全体を含む
1辺10マイル(16q)四方の正方形の土地が政府機関に対して分譲され、
これをどの州にも属さない、連邦政府直轄地としたのでした。
この結果、現在に至るまでワシントンD.C.は連邦政府の直轄地であり、
かつ各州の権限が及ばない地域となっています。
よって“連邦管轄区(District)”と呼ばれるわけですね。
よって第二次大戦後に至るまで市長すら居なかったのですが、
現在は選挙で選ばれる市長と13人(笑)からなる市議会が存在しています。
ただし、現在も合衆国憲法に基づき、最大の権限を持っているのは
合衆国議会で、場合によっては議会が市制に介入することは可能です。
現代のワシントンDCはこんな感じ。
ポトマック川を中心とする1辺16マイルの正方形のうち、南西部がなくなってしまっています。
理由はこの後で説明しますが、現在はそこに国防省、有名なペンタゴンがあります。
よって国防省は数ある主要な政府機関の中で唯一、
ワシントンD.C.の外にある存在となっているのです。
ちなみにCIA本部はさらに遠くにありますが、あれは政府主要機関ではありませんね(笑)。
そのペンタゴンのすぐ北西が、有名な国立墓地、戦死者を葬るアーリントン墓地です。
前ページのトップ写真はここからD.C.中心部を眺めたものです。
で、現在のワシントンD.C.はモールと呼ばれる東西に伸びるベルト状の緑地を中心に、
その右に国会議事堂が、北側にホワイトハウスが位置し、
この二つを取り囲むように、さまざまな政府機関が林立しています。
今回の主要目標、スミソニアンの博物館軍団、さらにワシントンメモリアル、リンカーンメモリアル、
といった建造物も、この地域に集中しており、
まさにワシントンD.C.の中心となるのが、このモール地区と言えます。
アメリカという国家は、全近代国家の母体という面があるのですが、
そのくせ世界でもここだけ、という民主的封建国家とでも言うような
非常に特殊な政治体制があります。
これを理解するには、日本の江戸時代がよく似ていますから、
これを参考に考えるのが手っ取り早いでしょう。
当時の各藩は一種の独立した国家であり、藩主によって統治され、
江戸幕府は各藩の政府を統括しても、各藩領内の直接の統治はしていません。
この結果、法律も税金も各藩ごとに異なりますし、
教育のシステムなども、藩の行政機関任せとなります。
この江戸時代の封建制から、天領、つまり江戸幕府の直轄地を消して、
さらに藩主を民主的な選挙で選ばせるようにして議会も設立すると、
ほとんど現在のアメリカの国家体制に近いものとなるのです。
このためアメリカの各州の行政機関が持つ権限は
日本人には理解しがたいほど強く、
税制から法律面、警察まで州ごとに完全に独立した体制を持ちます。
それどころか、州軍として、各州ごとに独立した軍まで持ってます。
さすがに州軍は戦時には大統領の指揮下に置かれますが、
平時は州知事の支配下にあり、災害や暴動鎮圧などに対して、
知事の権限によって派遣されています。
近年の大統領に州知事経験者が多いのは、
州知事の仕事がミニ大統領といった側面を持つからかもしれません。
(戦後ではレーガン、クリントン、ブッシュII号が州知事出身)
ついでにアメリカに連邦捜査局、FBI(Federal
Bureau of
Investigation)という
日本にはない警察組織があるのは、州をまたいだ大規模犯罪、
あるいは外国のスパイの活動に対して、
各州ごとの警察が対応していたのでは収集がつかなくなるからで、
州ごとの警察の手に負えない事件に限ってFBIの管轄となるわけです。
FBIがスパイ活動と密接な関係を持つのは、こういった理由によります。
もっとも、ここら辺りは初代FBI長官、アメリカの妖怪ことフーバーの
個人的な盗聴趣味も大きな影響があったのですが…。
ちなみに、なんでそんなに各州の独立性が強いのか、というと
歴史的に北米へのヨーロッパからの入植が
地域別に行なわれたのが、そもそもの源流となってます。
最初は例のボストン市、そしてずっと南のワシントンD.C.周辺、
現代のヴァージニア州海岸部から入植が始まり、
やがて、じわじわと各地に広がって行きます。
このため、各地ごとに設立された州が現地の行政機関と成り、
これらの上に立つアメリカ全体の行政機関はありませんでした。
これが独立戦争の段階まで続きます。
さらにアメリカ独立後に吸収された南部のテキサス州などに至っては、
政治的な駆引きもあったとはいえ、一時は完全に独立国家でした。
これは当初アメリカの支援によってメキシコから独立した新国家であり、
テキサス共和国(Republic
of
Texas)として数年間、存在していたのです。
ちなみに、このテキサス共和国の独立の際、最大の戦闘となったのが、
あのアラモ砦の戦いで、アメリカの英雄的冒険家、
デービー・クロケットが巻き込まれて戦死したのがここです。
(志願兵として参加となってるが本人は参戦する気はなかったように見える)
ちなみにこのアラモの戦闘の際、メキシコ大統領自ら率いるメキシコ軍は
敵は皆殺しを徹底し、捕虜まで全員殺してしまいました。
この結果、これに激怒したアメリカの支援を受けたテキサス軍主力に
メキシコ軍は急襲され、あっさり大統領が捕虜になってしまって戦争は終わるのです。
この時、アラモ砦の悲劇を忘れるな、と全軍を鼓舞したスローガンが
Remember
the
Alamo (アラモの事を思い出せ)であり、
歌にまでなって広まりました。
現代でも南部周辺ではよく聞くことができるそうです。
もうお気づきでしょうが、このアラモの事を思い出せ、
のスローガンが、第二次大戦の日本軍の奇襲に対する
リメンバー パールハーバーのスローガンの元ネタです。
もっとも、私の知る限り歌にはなってないはずですが。
(追記:パールハーバーの方も歌になってるよ、
との指摘を掲示板にていただきました。
よって、歌はある、に訂正しておきます)
アメリカの国旗、星条旗と、それをたたえる国歌があれだけ尊重されるのは、
憲法によって、さらに現実問題として、国民の掌握を宗教に頼れないからでしょう。
あれだけ独立性の強い州の寄り合い所帯の合衆国としては、
宗教に変わる何かによって国民全体を集結させる要素が必要だったわけで、
それが国旗と国家だったのでしょう。
そういったものがなければ、南北戦争後にアメリカは分裂していたかもしれません。
例えるなら、各部族の集団に過ぎないイスラム国家が成立する原動力として、
イスラム教のコーランが果たしているのと同じ働きを、
合衆国では国旗と国歌が果たしているのだと思っていいように感じます。
ちなみにアメリカ国歌はその成立背景も内容も実にユニークで、
例えば榴弾だロケット弾だといった名詞がバンバン登場する国歌は
世界広しといえど、アメリカだけではないでしょうか(笑)。
ちなみに写真の国旗が半旗なのは、今回の訪問直前、
ワシントンD.C.の海軍工廠において起きた
銃乱射事件の犠牲者を追悼するためでした。
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