■グッドモーニング アレクサンドリア

さて、5日目の今日は夕撃旅団前線基地がある
アレクサンドリア市周辺の散策からスタートします。

ワシントンD.C.南西に位置するこの街に、
単にホテルが安かったという理由で前線本部を設置したのですが、
実はここも観光地でもあるらしい、とホテルでもらったガイドで知る。

先にも書いたように、独立以前からあった街で、
今でも古い建物がいくつも残り、アメリカ東海岸地区では、
歴史ある街として、そこそこ有名なのだとか。

後で見るように、ワシントン(人間の方)が何度も訪問していたり、
例の南北戦争の南軍司令官、リー将軍の育った家が
未だに残ってたりと(ただし内部見学不可)、
それなりに見所はありそうです。

で、土曜日には中心部にある市役所前に市が立つ、
とホテルでもらったガイドに書かれてるのを発見。
前線基地は市の中心部からやや北なのですが、
それでも1.2q前後、十分歩いて行ける距離であり、
せっかくだから行って見るかと。

その後はワシントンにもある海軍工廠、
そしてアメリカ史博物館へと向いますので、
最初にざっとその位置関係を。

例によって現地の地図で見てみます。
これの天地で約11q前後と思ってください。
こうして見ると旅団前線本部からワシントンD.C.中心部まで
結構距離がありそうですが、東京で言ったら上野〜品川、
中野〜秋葉原、大阪で言ったら天王寺〜新大阪くらいのもので、
日本人の感覚なら、完全に都心部の地域です。



中央を流れるポトマック川を挟んで左がヴァージニア州、右がワシントンD.C.ですが、
スミソニアン博物館軍団やホワイトハウスなどがあるD.C中心部は右上部分にあり、
本日二番目の目標、海軍工廠はその右奥、D.C.南岸の川沿いにあります。

そこから西に移動した先に既に見た、アーリントン墓地とペンタゴンがあり、
その南がレーガン空港、そこから少し南にあるのがアレクサンドリア市です。
まあせいぜい数qの距離なんですが、この間にあるのが、
前回見た私以外の人たちが人生を謳歌していた地区となります。
.チキショーメ。
そこからさらに西に行くと、ダレス空港&ウドヴァー・ハジーセンターですが、
これは当然、歩いて行けるような距離ではありませぬ。

で、その南にあるのが、夕撃旅団前線本部のあるアレクサンドリア市。
人工15万前後の街ですが、先にも書いたように
アメリカ東海岸でも歴史ある街の一つで、
独立から100年近く前の1669年に入植が始まっています。
そのためか全体が落ち着いた印象の気品ある街並みで、
おそらく元々、裕福な階層が住んでいたのだと思われます。
その結果、この一帯は、かつてアメリカの心臓部における、
フリーメイソンの総本山でもありました(笑)。
(あれはエリート階級の一種の互助会だ)

さらに南北戦争以前は、
東海岸を代表する奴隷市場の街だったという歴史も持ってるようです。
一度連邦政府に寄付されたこの一帯が、
後にヴァージニア州に再度編入されたのは、
奴隷制に否定的な連邦政府直轄のワシントンD.C.を
アレクサンドリア市の住民が嫌ったからだと言われています。

ちなみに、以前にも書いたようにヴァージニア州は南軍でしたから、
北軍の首都、ワシントンD.C.はまさに目の前で、
本来なら大激戦があってもよさそうな地域なのに、
この一帯に南北戦争時代の古戦場はありません。
ここら辺りも理解に苦しむところで、当時の戦争のやり方は
現在とはだいぶ異なってたんでしょうね。

ただし、戦後間もない1873年(明治5年)2月にポトマック川から
アレクサンドリアを見た、あの岩倉使節団は
この河岸に大掛かりな砲台基地(台場)があるのに
驚いてますから(米欧回覧実記 原本では陰暦1月の記述)、
それなりに緊張した地域ではあったのでしょう。

とりあえず日本で言うと、関東なら鎌倉周辺、
関西なら芦屋周辺がやや近いイメージの街ですが、
両者を3倍くらいセンス良くした街、というくらいの気品があるのがこの一帯。
日本の高級住宅街がこれに匹敵するには
あと50年はかかるだろうな、というのが正直な感想でした。



というわけで、毎日西に向っていた朝の出撃ですが、
本日は南に向います。
アメリカ5日目にして、初めてやや雲の多い天気となりました。
結局、この日は最後まで天候が安定せずに終わります。

ホテルの前を南北に走るのがN.Washingon street で、
これを南下するとそのままアレクサンドリアの中心部。
よってホテルを出たら、そのまま南下をすればオッケーザマス。

ちなみにこのN.はイニシャルではなく、北ワシントン通りのNで、
アレクサンドリア中心部を東西に走るキング通り(King st.)を境に、
同じワシントン通りでも、北ならN.、南ならS.がアタマに付きます。 

アレクサンドリア市では東西の通りも南北の通りも
全て名称はストリートでアヴェニューはないんですが、
その代わり名前のアタマにN&Sが付いてる通りは南北に走る道路だ、
といった区別がつくようになってるようです。

欧米系の人が道を聞くとき、通りの名を知りたがるのは、
こういった文化的背景があるからで、
日本じゃ役に立たないよ、というのを
東京で道を教えるときは、あらかじめ説明する必要がありにけり(笑)。
ちなみにアジアでも香港、上海といった欧米系の連中が造った街は
この文化が生きていて、通りの名前は比較的キチンと整備されています。

で、実はこの通りの向こう側にリー将軍の育った家があるんですが、
この日は気が付かず素通りしてしまい、
最終日に再戦となります。



途中で見かけたお店。
総合金融機関、銀行の一種であるウェルス・ファーゴの店ですが、
とてもじゃないが、私なんかが通帳持って入ってゆけるような
雰囲気ではありませんでした…。

まあ、資産運用を含めた、お金持ち相手の商売なんでしょうね。



でもってそのN.ワシントン通りの途中にあるのがこれ。
クライスト チャーチ(Chrsit church)、キリスト教会という
仏教お寺的な名前の教会です。
ただし、これは裏側からの撮影ですが(笑)…。

1773年、アメリカ独立直前に完成した教会で、これもボストンの時に説明した
NHL(National Historic Landmark)、国家歴史構造物の認定を受けてるそうな。
近所に住んでた若い頃のリー将軍、さらには初代大統領ワシントンが
何度か訪問してる教会なんだとか。

で、さらに大戦中の1942年、アメリカを訪問したイギリス首相チャーチルが
ルーズベルトに連れられて、ここまで礼拝に来たことがあったらしく、
この辺りでは最も歴史と格式がある教会となってるみたいですね。

ただし建物も敷地も、極めて質素なもので、
実は最初公園だと思って迷い込んでしまったのでした。



でもって、その庭にポツポツと何かが置かれてる。
最初、アメリカ人が好きな彫像系の庭の置物かと思ったんですが、
よく見ると、これが全部お墓でした。

庭というよりは本来墓地なんでしょうね。
ここら辺り、日本のお寺なら、さっさと古いのを片付けて、
新たな墓地分譲を始めてしまうところでしょうに(笑)。


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