■民の力で空を飛ぶ



さて、今回はボーイング航空ハンガーの入り口から見て左側、
民間機の園を一気に片付けます。

ご覧のような密度で航空機がズラリとならんでるのがこちらで、
大型機ばかりが密集してる空間となってます。

ちなみに、写真には入ってませんが、
この右側に前回紹介したC121C スーパーコニーがあり、
これだけの大型機をバンバン屋内施設に入れちゃうんですから、
アメリカってスゴイ、という感じです。



でもって、当初はこの民間機展示も、グライダーなどを別にして全て紹介、
という方針で考えていたのですが、どうも無理だと判断しました(涙)。

とりあえず、天井からのぶら下げ展示だけでも、ご覧のような状態で、
このうち何機かは、床上から見上げる形でしか撮影できません。
ロクに望遠機能がないLX-7でこれはちょっと厳しい条件で、
しかも、帰国後に何機かは撮影し忘れてるのが判明しております。

正直、民間用小型機は私もよく知らないし、ロクに写真も無い、という事で、
地上展示の機体を含め、一部の小型機は紹介を省かせてもらいます。
基本的に、有名機や珍しいものは一通り載せますが、
これといって特徴が無く、私もよう知らん、というのは全て省略しちゃいます。

この点はご容赦のほどを…。



まずはこれ。
連載1回目のオマケコーナーで既に紹介しちゃってますが、
ボーイング社の試作機367-80。
ちなみにダッシュ(Dush)80という呼び方もあるそうな。

1954年にボーイングが初飛行させた機体ですが、完全な自社開発の機体で、
当時の価格で1600万ドルというお金をかけ、展示のこの1機だけが製造されました。

1950年代のボーイングは既にジェット戦略爆撃機B-47を生産、
その後継機B-52も開発もスタートしており、
これらの技術を使って、彼らが全く参入できてなかった旅客機、
そして軍用輸送機の市場に進出しようと造られたもの。

ボーイングは、今でこそ旅客機の世界二大メーカーの一つですが
当時は軍用爆撃機の専業メーカー、といった印象の会社でした。
旅客機に関しては前回もチラッと触れたように、
ダグラスのDCシリーズの天下だったのです。
これをジェット機、という新ジャンルを引っさげて乗り込んだ
ボーイングがひっくり返してしまうんですね。

とりあえず当時の社長がイギリスのでコメット旅客機を見て、
これからジェット旅客機と輸送機の時代がくるぜ、だったら大型ジェット機の技術を
すでに完成させてる俺らが有利だぜ、と考えたのが開発のキッカケだとか。
実際、以後のジェット旅客機の標準となる主翼下のぶら下げ式エンジンとか、
後退翼とか、B-47で開発された新技術の多く使われてるのがこの機体です。

ただし、よくみると客室の窓がほとんど無く、この点は当初、軍用輸送機としての
採用を目指していたため、とも言われてますが詳細は不明。

とりあえず最終的には、軍の輸送機の受注には失敗に終わります。
が、ジェット戦闘機に対して当時の低速レシプロ給油機では不都合が多く、
このため高速の大型機、給油機に改造できる機体を空軍が探していたのでした。

そこから、この機体をジェット給油機にしよう、
という話になり、これがKC-135へと発展して行きます。
さらに、この機体を元に旅客機として開発されたのが707で、
よって、この機体はKC-135、そして707の試作機と見なされています。

ちなみに、有名なバレルロール伝説については、
先のオマケコーナーで既に説明したから、もういいですね(笑)。



そんなボーイングの苦悩の歴史、307 ストラトライナー。
戦前の1938年12月に初飛行した、旅客機ですが、この段階で与圧客室を持ち、
このため高度6090mを巡航飛行できました。

ここまで上がってしまうと、地上の天候の原因となる雲の上にでるため、
気象による影響を最低限に抑えられる機体として開発されたようです。
が、結局10機前後しか売れず、商業的にはイマイチで終わります。

当時の人気旅客機、DC-3が8万ドル前後だったのに対し、
エンジン4発に与圧客室と贅沢なつくりだったこの機体は30万ドル(笑)以上した、
とされますから、そりゃ無理だわ、という感じでしょうか。
ちなみに、その内の一機は、あの空飛ぶ変態大富豪、
ハワード・ヒューズ閣下の自家用機だったらしいです。
(彼はこの機体を採用した会社の一つ、TWAのオーナーだった)
後に5機ほどが戦争中に陸軍に徴用され、C-75の名で使われたそうな。

でもって、あれ、このエンジンナセルから出てる脚は…
と気が付いた人も多いと思いますが、これはB-17爆撃機の主翼、
尾翼周りをほぼ流用、胴体周りを作り直した機体だったりします。



後ろから見ると、このヤケに巨大なボーイング式爆撃機尾翼で、
ああ元はB-17なのね、というのがよくわかります。

この手の爆撃機からの改造は結構あって、
ボーイングは後にB-29も改造して旅客機にしてますね。
さらにコンベア社もB-36を旅客機にする計画を建ててましたが、
こちらのモデル37は実機は造られずに終わってしまいました。

さらに余談を書いておくと、そのモデル37の基になった、
B-36の輸送機型の試作機、1機だけ造られたXC-99は
現役引退後、あちこちをたらい回しにされ、
2011年ごろにアメリカ空軍博物館に持ち込まれます。
でもって、一時はレストア予定リストに載っていたのですが、
現在はこれから外されており、どうやら当面、博物館で見られる事は無さそうです。

で、この展示の機体はパン アメリカン航空で使われていた機体で、
ボーイングが自らレストアしたもの。
なのでボーイングがスミソニアンに寄贈したんだと思ったんですが、
Aviation specialties,INC. なる会社からの寄贈とされてました。



さて、お次はユンカースJu52 M3。
いわゆるユーおばさんの愛称で知られるドイツの旅客機です。
M3は3発エンジンの意味で、この前に開発された単発のJu52と区別するためのもの。

1932年に初飛行した3発エンジン機で、
当時としては記録的大ヒットとなる約4800機が製造されました。
(大戦後、フランス(約400機)とスペイン(約170機)で生産されたのを除くと約4200機)
もっとも、これだけの数となったのはアメリカのDC-3と同じく、
戦争でドイツ空軍の輸送機として採用された、という面が大きいのですが。

で、展示の機体、実は戦後のスペイン製のもので、
よって正式にはCASA 352-Lとなります。
でもってヤヤコシイ事に(笑)、これをドイツのルフトハンザ航空が買いとり、
戦前の塗装をして宣伝用に1980年代まで運用してたんだとか。
最終的に1989年、なぜかアメリカのスミソニアン協会に
西ドイツ(当時)のルフトハンザから寄贈されたとの事。

で、このCASA製のユーおばさんは、世界中で見る事ができるのですが、
実は私、オリジナルのユンカース製Ju52をまだ見た事がありません…。
(アメリカ空軍博物館、イギリスのコスフォード、そしてこれ、全てCASA製)

ちなみに、スペインはいろいろあって(笑)、
同国の航空機メーカーCASA社が戦後もドイツの航空機を造りまくってます。
このJu52 M3だけでなく、Me-109、HE-111などを生産しており、
博物館で見た機体が実はスペイン製だったりする事があります。

もっとも、CASAではダイムラーエンジンが手に入らなかったので、
よりによって(笑)イギリスのマーリンエンジン(500番台)に換装しており、
Me-109もHE-111もアゴつきの変な機体になっていて、見分けるのは簡単です。
(映画 空軍大戦略/Battle of britain に出てくる機体がそれ。
あれはスペイン空軍が新しい機体を買う予算欲しさに売り飛ばしたもの)
ただし、最近はここら辺りを成形してる機体が
あったりして油断がなりません(笑)。


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