■人生はアクロバット

さて、最後は曲芸飛行用のアクロバット機を見ておきます。
入り口にあったピッツ スペシャルもそうですが、
アメリカ、この手の機体はいろいろあるのでした。



まずは1936年に1機たけ造られたグラマン G-22 ガルフホークII。
猫大好きグラマン社ですが、次に好きなのが湾(Gulf)でして、
後のガルフ ストリームの先代ガルフがこの機体。

ただし、これを発注したパイロット、退役海軍将校だったアル・ウィリアムスが
ガルフ石油の航空部門責任者だったため、この名がついたようです。

でもってパッと見て気が付いた人も多いと思いますが、
アクロバット機といっても、事実上は当時の海軍戦闘機、
グラマンのF3Fからの改造で、武装を外した他は、ほとんどそのままらしいとの事。

が、良く見るとエンジンカウルにシリンダーヘッド避けのイボがあったり、
垂直尾翼下がすっきりしていたりで、どうもこれ、
その前の機体、F2Fからの改造の可能性もあります。
(F3Fも初期型にはカウルにイボがあるが)
だとすると、F2Fの現存機は1機もありませんので、
極めて貴重な機体となるわけですが…。

でもって、この機体は1930年代にアメリカ中を回って、
ウィリアムスが現役時代にやっていた急降下爆撃のデモ飛行を行なってたそうな。
で、突然今気が付いたのですが、ひょっとして、ウーデットが
1933年のナショナル エア レース会場で見た
“ホーク戦闘機”による急降下爆撃演技って、
海兵隊のホーク戦闘機ではなく、この機体だった可能性があるのかしらん?



こちらはモノクープ(monocoupe)110 スペシャル リトル ブッチ。
上翼で客室式の操縦席と来ると、なんだか遊覧飛行の機体に見えてしまいますが、
これも立派なアクロバット機だったりします。

ちなみにリトル ブッチはちびっ子ブルドッグといった意味だそうで、
見た目がブルドッグぽい、という理由の命名だとか。

1941年、アメリカ参戦直前に造られた機体で
エドモンソンというパイロットによりアメリカ中を巡業して回った、っという事ですが、
飛んだ直後に戦争ですから、商売になったんでしょうか…。

とりあえず戦後に始まったアクロバット飛行の大会、
国際アクロバティック飛行選手権(International Aerobatic Championship)で
1948年に優勝してるとのことでした。

1946、47年の選手権にも参加してるのですが、
その時は次に紹介する機体に敗れてるのでした。



最後はドイツ製、ビュッカー(bucker) BU133C ユングマイスター。

1935年に初飛行した機体ですが、
そもそもはドイツ空軍のための一人乗り練習機だったようです。
実際、ドイツ空軍だけでなく、スイス、スペインといった国々が採用、
単独飛行の習熟訓練に使ったとされます。

が、あまりに運動性が良かったため、
各国でアクロバット用の機体としても使われ、1930年代後半からは
アメリカでも飛んでいたそうな。
この機体もアメリカで国際アクロバティック飛行選手に参加し、
1946年、1947年に優勝しています。

その後も長く飛んでいたようですが1971年に墜落事故を起こし、
パイロットは死亡したものの、機体は修復されて
1973年にスミソニアンに寄贈されたのだとか。

スミソニアンのコレクション機の中で、明確に死亡事故の確認ができるのは
おそらくこの機体くらいだと思われ、
そういった意味では珍しいかもしれません。

はい、といった感じで、予想外の分量になってしまった今回の記事はここまで。
オマケ編もちょっと休ませてください…。

次回は、いよいよ戦後ジェット機編です。


BACK