■魚雷と睡眠



さて、この入口から降りてきて最初に入った部屋が前部の魚雷室。
ここからドカンと魚雷を撃ち出すわけです。
前部、というからには当然、後部もあり、そちらはまた後ほど。

こうして見ると潜水艦内も意外に広いじゃん、と思ってしまいますが、
こんなのはここだけで、しかもこんだけ広ければベッドも置けるよね…
とばかりにここは魚雷発射室兼水兵の寝室となっていたりするのです。
ちなみに、階段の正面、天井のように見えてるのは前回、
入口から見たベッドでして、ここで寝ろってのは事実上の罰ゲームでは… 

ついでに先に見たような魚雷搬出口のデカイドアは、
水中では強い水圧がかかって脱出できなくなるので、
この上に脱出用ハッチ(魚雷用機械室の入口も兼ねる)が
あるはずなんですが、どうも見当たりません。

天井のベッドで隠れてるのか、グッピー改造で取り外されちゃったのか。



そこから奥を見るとこんな感じ。こちらが艦首方向になります。
左右の壁には上からベッド、魚雷棚、ベッド、魚雷棚の順に並んで居り、
その奥に見えてるのが魚雷発射装置。

ここの解説板で、魚雷と一緒に寝るのは平気なの?という質問があり、
信管をつけてない魚雷は爆発しないから、怖くないよ、と書かれてました。
いや、そうかもしれませんが、何か根本的な感覚がずれてるような…。



こちらが魚雷置き場。左右に2列設けられてますね。
よく見ると底には滑車があり、このまま発射管へ魚雷を送り込める構造になってます。

ちなみに戦艦の主砲などと違って別に魚雷室があるわけではなく、
ここに置かれているのが航海中に使える全ての魚雷となります。
ざっと見た感じでは前部には片側4〜6発×2段×左右2列で、
12〜16発前後しか積めないように見えます。
実際、バラオ級の場合、改修前のデータでは前後の魚雷室を合わせても
最大24発までしか搭載できず、このため、魚雷は貴重品でした。

ドイツのUボートなどが浮上して貨物船の砲撃を行なってるのは、
魚雷の節約、という面もあったのです。

ただし、アメリカ海軍の場合、通常動力型と電動モータ型があり、
やや小型な電動モーターのなら、もう少し積めたかも。



前部の発射管は3門×左右2列で計6門。
金色の圧力鍋のフタみたいなのが発射管の扉です。
この詰め込みまくったゴチャっとした感じが、いかにも潜水艦ですね。

発射の場合、最初に魚雷の設定、速度や舵の向きを調整しておき、
その後、ここに装填、扉を閉めてから海水で管内を満たし、
水圧で撃ちだす事になります。
魚雷自体にも推力はあるわけですが、
基本的には水圧で押し出してやるみたいですね。
その後、海水を抜いてから、次の装填が行なわれます。

ただし、微妙に謎なのが一番下の発射管で、
ここに装填するための魚雷棚が見当たりません。
手前に見えてる2段分しか魚雷棚と装転用のレールが見えず、
下にあるこの発射管にどうやって装填していたのか、ちょっと謎です。

この床下、見えない位置にもう一段、魚雷棚があったのか、
それとも手で運んでいたのか…。

ここでちょっと脱線。
第二次時大戦時の潜水艦の意外な一面に触れておきましょう。
この兵器、実は空母キラーなのです。

例えば日本海軍が沈めたアメリカの正規空母は
輸送空母になってたUSSラングレーを別にすれば4隻のみ。
その半分、2隻を沈めたのは潜水艦の攻撃です

まず1942(昭和17)年6月のミッドウェイ海戦で撃沈されたUSSヨークタウンは
唯一生き残っていた日本の空母 飛龍からの空襲で
その機動力を失ったものの、沈没には至ってませんでした。
このため火災の鎮火後、復旧は可能と判断され
駆逐艦での曳航準備に入っていたのです。
ここに攻撃を仕掛けたのが潜水艦の伊168で、
この雷撃によってUSSヨークタウンはようやく沈没します。

さらに同年の9月、今度は空母USS ワスプが
伊19潜水艦からの雷撃で撃沈されてしまいます。
これは完全に伊19だけの単独撃沈でした。
たった1隻の潜水艦が、当時、アメリカ太平洋艦隊に4隻しかなかった
可動空母の一つを、あっさり沈めてしまったのです。

で、アメリカ側の潜水艦の場合、その空母撃沈率は、
さらに凄まじく、開戦直前に就役した日本の大型空母 翔鶴、
さらに戦中に完成した貴重な2隻の大型空母、
信濃、大鳳の計3隻をあっさり沈めてしまったのも、アメリカ潜水艦による攻撃でした。
(翔鶴を沈めたのはUSSカバラ、信濃はUSSアーチャーフィッシュ、大鳳はUSSアルバコア)

中型空母以下になると、さらに悲惨で、戦中に完成した
雲竜、神鷹も潜水艦による撃沈。
客船改装空母の大鷹型に至っては、大鷹、雲鷹、沖鷹の3隻全部が
潜水艦による撃沈だったりします。

ついでに、イギリスの空母も結構やられてまして、
HMSハーミスとHMSイーグルが、ドイツのUボートによる撃沈です。

空母にとって潜水艦は意外な天敵なんですね。

ただし、アメリカの場合、緒戦でやられた後は対策を徹底、
1943年(昭和18年)以降は正規空母はもちろん、
軽空母にすら近づけない、という状況になってしまいます。
このため、アメリカ空母にとって潜水艦が天敵だったのは、
開戦から1年前後のみ、となっているのはさすがでしょう。

この点、日本は最後まで潜水艦にやられまくりで、
まあ、戦争に向いてない海軍というのも、世の中にはあるのでしょうね…。



その発射管の奥にあるおそらく発射装置らしきもの。
ただし潜水艦の魚雷の撃ち方はよくわからんので、詳細不明。

せっかくなので、もう少し脱線すると(笑)
撃沈だけが重要な戦果ではありません。

例えば1942年(昭和17年)1月、
開戦直後と言っていいタイミングで空母USSサラトガを
4ヶ月を超える長期修復に追い込んだのも伊6潜水艦による雷撃でした。

最終的にサラトガはミッドウェイ海戦終了後まで復帰できず、
この結果、アメリカの空母機動部隊は、
1942年前半に発生したサンゴ海海戦、ミッドウェイ海戦という
二つの空母決戦にUSSサラトガ抜きで戦う事態に追い込まれます。

このように撃沈に至らなくても、重大な時期に敵艦を戦力として働けなくしてしまう、
というのも重要な仕事で、この伊6潜水艦の攻撃は、
撃沈に匹敵するくらいの活躍だったと見ていいと思います。

実は1942年中に就役したアメリカの新型空母は
12月31日(笑)にようやく就役したUSSエセックスのみで、
それまでは正規空母はもちろん、軽空母も1隻も就役していません。
そのUSSエセックスも、訓練を終えて太平洋に出てくるのは1943年5月です。
(ただし大量生産空母こと護衛空母(CVE)が42年4月から完成しはじめるが
あまりの速度の遅さ(18ノット)に艦隊配備はあきらめられ、
半数がイギリスに対潜空母としてプレゼントされ、残りは輸送艦などに使われた。
これも多くは大西洋、ドイツ側にまわされている。
その後、これに目をつけた海兵隊が、上陸支援火力に利用する事になる)

そもそもアメリカ海軍が物量で勝負してくるのは
エセックス級空母就役ラッシュが始まり、
アイオワ級が次々と就航し、新型機のU4UやF6Fが
大量配備されつつあった1943年後半〜1944年初頭からです。

その前の段階、ガダルカナルの戦い以降、
日本軍は既に制空権から制海権まで、そのほとんどを失いつつありました。
なので、アメリカの物量で戦争に負けた、と思ったら大間違いで、
実はその前の段階で、ほぼ決着はついていたんですよ。
戦略でも完敗していた、と言わざるを得ません。

話を戻します。
開戦から約2ヶ月経った1942年2月の段階の
アメリカ海軍の可動空母を見ると、サラトガの脱落によって、
USSレキシントン、USSレンジャー、USSワスプ、USSヨークタウン、
USSエンタープライズ、USSホーネットの6隻だけになったわけです。

この中でUSSレンジャーとUSSワスプはイギリスの支援で大西洋に居たため、
当時太平洋艦隊が持っていた可動空母は4隻のみ、という事になります。
(アメリカの最初の空母USSラングレイも現役だったがさすがに戦力にならず、
輸送空母として使われてる途中で撃沈された。
開戦前に完成していた商船改造の護衛空母USSロングアイランドもあったが、
これもあまりに速度が遅く、実戦には投入されず)

なので4月に行なわれたドゥーリトルの東京空襲は、
アメリカ太平洋艦隊の持つ全空母の半分にあたる2隻の空母、
USSエンタープライズとUSSホーネットを投入した大バクチだったのです。
あれは、アメリカ人好みの作戦ではありますね。

この時、日本の空母戦力はまだ無傷ですから、
大型空母だけで赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴の4隻、
中型空母が飛龍、蒼龍、の2隻、さらに小型空母は龍譲と瑞鳳の2隻がありました。
(最古参の鳳翔はアメリカのUSSラングレイ同様、戦力になってない。
同じく商船改造空母の大鷹は低速の輸送用空母だったので除外)

その後、5月のサンゴ海海戦でUSSレキシントンが撃沈され、
さらにUSSヨークタウンが中破級の損傷を受けます。
となると、太平洋艦隊の可動空母は、ドゥーリトル空襲から戻って来た
USSホーネットとUSSエンタープライズのわずか2隻のみとなってしまったわけです。
そんなところにもたらされたのが、日本の主力空母機動部隊が、
上陸部隊をつれてミッドウェイ島に向ったという情報でした。

この時期にUSSワスプの太平洋回航が決定されますが間に合うはずもなく、
この結果、たった2隻の正規空母だけでアメリカは圧倒的と言うほかない、
日本海軍の機動部隊をミッドウェイで迎え撃つ事になります。
(USSレンジャーは装備が貧弱で激戦の太平洋投入は最後までなされず)
繰り返しますが、日本の空母部隊は、サンゴ海海戦で小型空母 瑞鳳が
撃沈されたものの、中型空母以上は上で見た数が全て健在です。

さすがに、それはあまりにも自殺行為である、ということで、
サンゴ海海戦で損傷したUSSヨークタウンを真珠湾の海軍工廠のドッグに入れると、
航行に必要な最低限の部分のみの修理箇所を洗い出しにかかります。
この結果、3ヶ月かかると見られた修理を
最低限の修復に収める、という条件で3日で修復してしまい、
これをミッドウェイ海戦に送り出すのに成功するのです。

この奇跡とも言われた修理は、そうでもしなきゃやってられん、
というアメリカ海軍の必死の行動によるものだったんですね。
それでもたったの3隻の空母が、圧倒的な日本海軍機動部隊に
立ち向かう事になったわけです。
絶望的、といっていい状況でしょう。

ただ残念な事に、私は歴史に詳しくないのでよくわかりませんが、
これだけの戦力差があったのですから、
ミッドウェイ海戦から1942年の年末まで、戦術、戦略両面で、
日本海軍の圧勝だったと思われます。

おそらく、ハワイあたりまで占領しちゃって、
南極のペンギン地帯くらいまで帝国海軍は脚を伸ばしてるんじゃないでしょうか。
そのうち、ここら辺の戦いがどうなったのか、歴史を調べてみたいところです。



さて、脱線終了、ハッチを抜けて次の間へと向いましょう。


NEXT