■そしてベトナムへ



さて、いよいよ自由の代償の展示も終盤戦、次はベトナム戦争です。

入り口には当時のTVが積み上げられ、
ベトナム戦争のニュースを流し続けてます。
…ああ、こういった余計な演出感、
ベトナム世代の人じゃないかなあ、この展示を造ったの(笑)。

ちなみに、この戦争も説明が難しいものになります。
何の必要があってアメリカが東南アジアの片隅で、
20年近くに渡って6万人近いアメリカ兵を命と引き換えに
わざわさ負け戦をやったのか、
と聞かれれば、合理的な説明は不可能です。

世界に広がる共産主義国家の恐怖を感じ、ここで食い止めようとした、
なんていうノーテンキな説明を
本気で信じてるのは一部マスコミ関係者のみで、
自分の頭で考える力があるなら、
昭和の中学生でもそんな説明には騙されんでしょう。

そもそもベトナムから先は海なんですから(笑)、
放っておいても、共産主義国家の拡張はここで止まるんですよ。
世界の外れと言っていいこの地域で、一つや二つ、
共産主義国家ができたところで、世界はもちろん、
アメリカにもほとんど影響はなかったでしょう。

とにかく自分だけは文化人だと思ってるダメ人間集団、
フランス人が戦前のベトナム、ラオス、カンボジアといったインドシナ半島地域を
植民地としたため、これを政治的にメチャクチャにしてしまいます。
さらに日本が太平洋戦争中に実質占領する事で、
輪をかけてワケがわからん状況にしちゃうのです。

そして大戦後、フランスがご主人様顔でノコノコ戻って来るのですが、
中国などの影響もあって徐々に
現地の共産主義政府が徐々に主導権を握り、
そして1950年代に入ると、見事にフランスを追い出してしまいます。
ここまでは、まあわかる(笑)。

が、フランスの跡を継いでこの地域に乗り込んできたのが、なぜかアメリカでした。
共産党国家の設立を認めない、というのが彼らの大義名分でしたが、
本来、上の説明の通り、歴史的にも地勢的にも、
なんの関係もない国なのに…。

おそらく、ここら辺りの動きは、政治的発言力が欲しかったCIAと
とにかくお金が欲しかった軍事産業の都合でしょう。

この時代はまだダレスがCIAを通じて実力を維持しており、
そしてアイゼンハワーのバラ撒きによって金の味を覚えた
軍と軍事産業にとって、戦争は空気のように必要な要素でした。
どちらも海外での戦争を求めていたわけです。

両者のつながりは、SR-71ブラックバードの運営、
そした使い道が無かったスカタン戦闘機F-104を
ダレスが自分の支配下にある国々に売り飛ばしたのを見れば、
簡単に理解できます。
(あのダメ戦闘機を売りつけられたのは主に第二次大戦の枢軸国であり、
各国の与党の金の流れを追いかけてみればダレスの影響力がわかる)

この点、ベトナムはアメリカ市民の目に直接触れない遠い国であり、
それでいてソ連との全面戦争への拡大は考えにくい
理想的な戦場であり、これへの介入は彼らに多大な利益をもたらします。
ただし、連中でも20年も続くとは考えていなかったでしょうし、
そもそもダレスはその過程で失脚しちゃうのです。

そして、その後の流れの中でケネディ兄弟は死ぬ事になり、ジョンソンは暴走し、
ニクソンは腐った大統領制に自らトドメを刺して
ホワイトハウスを去る事になるわけです。

そんなアメリカの狂気に巻き込まれたベトナムこそいい迷惑で、
この余計な戦争に関しては、あらゆる言い訳は成立しません。
アメリカに全面的に非がある、と考えて、全く問題ないでしょう。

そういう戦争です。



かなり広い展示なんですが、ベトナム戦争を象徴するヘリコプター、
ベル UH-1がデーンと中央に置かれてしまってるため、
この展示、情報量は大したことなかったりします。
まあ、アメリカとしてもあまり触れたくない歴史なんでしょうね。

この機体は実際にベトナムに送り込まれていたものだそうで、
アメリカに帰国後も、1995年まで現役で使われていたそうな。



ベトナム戦争でややこしいのは、南ベトナムもアメリカ軍も、
必ずしも北ベトナムと直接戦争していたわけではない点でしょう。

連中が戦ったのは、主に南ベトナム内の反政府勢力、
南ベトナム共和国臨時革命政府の方でした。
(Provisional Revolutionary Government of the Republic of South Vietnam)

が、この政府は北ベトナムからの支援によって運営されていたため、
兵器はもちろん、食料などまで北ベトナム側から運びこまれる事になります。
それらが運ばれたのが、、いわゆるホー・チ・ミン・トレイルと呼ばれる
輸送ルートだったわけです。

ホー・チ・ミン トレイル(Ho chi minh Trail)をあえて日本語にするなら
ホー・チ・ミンの獣道、という感じで、道なき道を走破する
北ベトナム軍の移動ルートらしい呼び名となってます。

ただし、特定の道路を指すものではなく、彼らが使用した多くの
輸送路をまとめてこう呼ぶようです。

で、そんな革命臨時政府側の兵士、いわゆるベトコンの皆さんが
利用していた輸送手段がこういった自転車だったそうな。
ちなみに横の板は荷物を積むためなんでしょうが、
ホイールの中の木の板は、重さで潰れないようにする補強でしょうか。

ついでに、一本棒の豪快なハンドルにも注目ですが、
当然のごとく、前後輪とも、ブレーキが見当たりませぬ…。



で、お次はヴェトナム戦争後、
世界平和のために活躍するアメリカ軍という展示。
いわゆる平和維持活動などを紹介してました。



1989年に破壊されたベルリンの壁の一部がありにけり。
現在のドイツの首都、
ベルリンにあった東西分断の壁、冷戦の象徴でもあるこれが
1989年に破壊された事で、あれよあれよと冷戦は終結に向ってしまうわけです。

これはアメリカ空軍博物館にもありましたから、
どうもアメリカ軍、崩壊時にワッセワッセと
大量にアメリカに持ち帰ったんでしょうか…。


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