■ボストン上陸戦
さて、何とかボストンの“サブウェイ”のキップを買ってホームに向うと、
早くも電車が来ておりました。
あわてて階段を下りて乗り込む。
ボストンも市街地を出ると地下鉄は地上を走るようです。
ここから市街に出るには狭い海峡部を抜けるのですが、
そこを通過する段階から地下にもぐる事になります。
あっさりと2駅先の水族館(Aquarium)駅に到着。
駅はやや暗めで屋根は低く、
さらに直接照明、つまりむき出しの蛍光灯が壁についてます。
だからどうした、と思うかもしれませんが、
後でワシントンD.C.の地下鉄が登場したら、この光景を思い出してください。
同じ東海岸の駅なのに、あまりの違いに驚くと思います。
ちなみに帰国後に知ったのですが、アメリカで最初に地下鉄が作られたのは、
このボストン市なんだとか。
ボストンは都市としてはアメリカ最古のものと考えてよく、
近郊のケンブリッジ市(イギリスのケンブリッジにちなむ)には、
アメリカ最初の大学、ハーバード大があったりしますから、
とにかくアメリカで最初、というのが多いのかもしれません。
さて、ようやく地上に出て、ボストン本格デビューです。
で、ここまでそれほど感じてなかったのですが、
街中、海沿いの地区に出て、その寒さにビックリする。
東京はまだ30度近い気温の日が続いていたので、
半そでで来てしまったのですが、
後で空港の表示で見たら気温はなんと14度。
しまった、ワシントンD.C.の気温は出発直前まで確認して、
東京と3〜4度しか違わない、と安心しきっていましたが、
ボストンはうっかり見逃しておりました…。
緯度で言ったら、札幌並みに北の町なんですよね、ここ。
まあガマンできない、といった寒さではありませんから、
なんとかなるでしょう。
ちなみに、現地でもこの日は9月としては比較的寒い日だったらしく、
人によって半そでだったり(この写真のおじいちゃん)
ジャケットをはおっていたり(その横の奥さん)と比較的、
皆さんの服装はバラバラでした。
おかげて、かつてイギリス ダックスフォードで、
全員がジャンパー、ジャケット、セーター着用の中、
一人Tシャツ姿で怪しさ爆発の東洋人となってしまった時のような
最悪の悲劇は避けれました…。
さて、21世紀の海外旅行は
インターネットによって事前の情報収集もバッチリ。
ここからのルートは散々、グーグルのストリートビューで再生、確認済み、
ふははは、 もはや勝ったも同然、
ここで南を振り替えるとガラス張りの巨大ビルが…
…ないじゃん!
…しまった、ボストンなんざ田舎町だろう、と甘く見て、
地下鉄に複数の出口があるとは予想してなかった!
今回はこんなんばっかやないの!
ノルマンディー上陸戦の時、先行して降下した空挺部隊が、
作戦前に現地情報を元にさんざんシミュレーションをやったのに、
当日はグライダーがバラバラに散らばってしまい、
事前の訓練が全くに役に立たないままドロナワ式に戦ったのって、
こういう気分だったのかなあ、と思ったり。
ちなみにノルマンディー上陸作戦で先行突入した降下部隊、
101空挺と、82空挺を率いていた
2人の指揮官は、後、両者ともアメリカ陸軍参謀総長になりました。
82の指揮官が朝鮮半島の奇跡ことリッジウェイ、
101の指揮官がケネディの誘いで後に政治に深く関わるテイラーです。
ちなみに101と82はアメリカ陸軍のエリート精鋭部隊ですが、
このノルマンディが事実上のデビュー戦でした。
そこから後の湾岸戦争の高速機動戦に至る歴史が始まってます。
などといった脱線はさておき、さて、どうしよう…。
が、問題はあっさり解決、反対側をみると、空がスコンと開いてる。
あ、こりゃこっちが海だ、という事で、最初の目的地、
フェリー乗り場を探しに行くぜ。
この段階でお昼の12時前、残りはあと3時間半ザマス。
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