ちなみに館内は撮影禁止だったので、いきなり展望台の上に飛びます。とりあえず良い眺め。



右手の丘陵が館山湾の北側に位置する大房岬。その奥の陸地は東京湾の対岸、すなわち非神聖神奈川県。ちょうど入港して来た船の辺りを見ると、手前と奥で海の色が全然違うのが判るかと。というか、航跡の部分、色が変わっているからこれ、水深が原因じゃ無さそうだな。



南側に見えてる広い土地は海上自衛隊の館山基地で対潜ヘリ部隊が駐屯しています。この館山基地は元々、海軍の航空基地があった場所なんですが結構謎が多く、終戦直後に米軍が上陸、直接接収した後、特に利用した形跡がありませぬ。少なくとも1946(昭和21)年2月までには米軍は撤収してしまったと思われます(ちなみに米陸軍の看板部隊、第一騎兵師団の一部が駐屯していた)。その後、1953(昭和28)年7月に海上自衛隊基地になるまでは一帯は民間に払い下げれて畑になっていたという話もあり、必ずしも歴史と伝統のある基地、というワケではないようです。ついでに個人的にはあんな海の側で作物育つの、何を作っていたの、というのが館山基地で一番気になる点です(笑)。

海軍時代の館山基地は関東大震災で隆起した海岸を利用して滑走路にしたと言われてます。中央に見えてる緑地が今も残る沖ノ島、右手に僅かに見えてる緑地が、震災と基地の埋め立てて完全に陸地に取り込まれてしまった高野島の一帯です。今でもちょっと高台になってます。さらに海軍が造った巨大地下壕、赤山地下壕が館山市内に残っているんですが2024年3月の段階では一部の内壁が剥離して見学禁止になっておりました。すなわち今回は訪問できず。ついでに位置的に大島が見えそうに思われますが、市内中心部の南側に丘陵地帯があるのでここからは見えませぬ。

以下脱線。館山基地と並ぶ首都圏海上自衛の空の玄関、下総基地について。
千葉県はこの館山基地だけでなく日本人の誰もが知らない航空基地、下総基地もあるので、空飛ぶ海上自衛隊基地のメッカなんですが、この下総基地は千葉県人でも知らん奴が多かったりする不遇の施設です。筆者はGoogle Mapで千葉県北西部に巨大滑走路があるのを発見して驚いた人間を最低でも三人知っております(全員関東出身と言うか一人は千葉県人で松戸在住)。そのくらい誰も知らないのが海上自衛隊の航空基地、下総基地なのです。参考までに東京北東部、北千住とか小岩一帯から最短距離にある2000m滑走路は羽田ではなくこの基地。言うまでも無く神聖千葉県黒ネズミ王国から陸路で最短距離にあるのもここザマス。海路でなら羽田の方が近いのですが、あの国のアヒル水兵は戦力的に極めて怪しいので、おそらく陸路で航空機を求めるはずです。よってもしあの王国に何かあった場合、白手袋を着用した反乱軍は恐らく真っ先に下総基地を抑えに行くでしょう。そういった意味で最前線基地でもあります。常在戦場、がんばれ下総基地。レツゴー下総基地。黒鼠どもの弱点は後ろのチャックだぞ。




てな感じでいい眺めに満足した後、撤退に入ります。



ではさらば館山城。

NEXT