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![]() メルセデス・ベンツ 300SL クーペ(Mercedes-Benz 300SL Coupe)、1955年型。ダイムラー・ベンツ社(現メルセデス・ベンツグループ)の車体コードだとW198型。 後のベンツSLシリーズの始祖となった車で、世界で最初にキャブレターを捨て、ガソリン直噴エンジンを搭載した車でもあります。第二次大戦期におけるダイムラー・ベンツの航空機エンジン、DB600系エンジンのガソリン直噴技術の歴史を考えるとちょっと感慨深い部分がありますね、この辺り。ちなみに直列6気筒、3000ccエンジンで215psという高性能なものでした。 余談ながらSLシリーズのSL、ドイツ語の超軽量、Super Leichtの略ですが、昔はSport Leicht、軽量スポーツの略だとされてました。なんで変わったの?と思って調べて見たら、2017年に古い社内資料で前者が正しいとする記述が発見されたらしいのです。ただし詳細は不明。 個人的にこれぞGTカーと思っている車の一つで、その異様なガルウィングドアも含めて美しい車だなあ、と思います。ベンツは自分に自信がない、ダサいオッさんが金の力でイキッて乗る車、という印象しか無いんですが、これとSLRマクラーレンだけは美しいと思いますね。ただしこのガルウィング・ドアは製造が大変だったようで、1957年からはオープンカー、いわゆるロードスター型に変更されてしまいます(こちらは1963年で生産中止。ちなみに同時に発売されていたより安価なオープンスポーツカー、190SLロードスターの人気がアメリカでは高く、それに合わせた説もあり)。このロードスター型は構造設計から異なった部分が多く、正直、カッコ悪いので個人的には初代300SLとは別物だと思っております(一部で有名なF-86D戦闘機と一緒に写っている宣伝写真はロードスターの方でいろんな意味でカッコ悪い)。 このクーペ型の300SLは1400台の製造のみに留まり(ただし後期型のロードスター型も1858台だけだが)、これまたよく手に入れたな、という車の一つです。ただしこれまた現存数は多く、確認されているだけで1000台以上が生き残っていると見られていますから、これも熱烈なオーナーが多かったのでしょう。 ちなみにダイムラー・ベンツ社の高級販売ブランドがメルセデス・ベンツとなります(現在はダイムラー・ベンツの名は消えメルセデス・ベンツグループになってしまったが)。トヨタのレクサスみたいなもんですね。極初期(1899年ごろ)のディーラーの一人がダイムラーという名がダサくて売れないとして使用していた名称がメルセデスだったのです。ちなみにそのディーラーの娘の名前で、すなわち女性名でした。これがウケたらしく、ダイムラー・ベンツが正式に商標として取得、ダサいダイムラーの名を外して販売するようになったのでした。 まあ、日本語だと花子・トヨタ、貞子・ホンダといった名称、より正確に言えばちょっとゲルマン系らしからぬ名なので、豊田万梨亜、本田樹里みたいな感じのブランド名です。正気かね君たちと思いますけどね。 ![]() うーん、カッコいい。将来、アンドロ梅田星人が地球に攻めてきた場合、地球防衛軍の戦闘用車両として、これとマツダの初代コスモスポーツのコンビしかあるまい、と長年考えております。負ける気がしねえ。 この車の開発についてはいろんな「伝説」があり過ぎてややこしいのですが、ざっと見て置きましょう。まずは、このガルウィングとならざるを得ない車体構造、ドアの場所なんて無い、剛性優先でガッチリ組まれた鋼管フレームのボディを持つ車がありました。それがダイムラー・ベンツ社による戦後初のレース用車、300SLプロトタイプ、車体コードW194型でした。これが1952年に開発され、レースに投入されると同年のル・マン24時間でワンツーフィニッシュを決め、他のレースでも圧倒的な成績を残します。 これに注目したのがアメリカでメルセデス・ベンツのディーラーをやっていたホフマン(Hoffman)という人物でした。彼がこのレーシングカー、300SLを市販車に落とし込んで販売する事を提案します。アメリカを重要な市場と見ていた同社がこれを受け入れる形で、市販型の300SL、車体コードW198が誕生する事になったのでした。当然、市販車の中身は大幅に造り変えらていますが、300SLの名はそのまま引き継いだのです。 このため、そのデビューは1954年のニューヨーク モーターショーの会場が選ばれ、さらに生産された300SLの内、かなりの数がアメリカに送られたようです(初期発注で1000台、最終的に生産数の80%がアメリカで売られたと言われている)。 なので300SLの名を持つレーシングカーと量産車があるんですが、事実上、別の車ですから要注意。メルセデスベンツ車体コードではレーシングカーがW194、量産車がW198と明確に区分されているのですけども。ちなみにレーシングカーの方を300SLプロトタイプと呼ぶこともあるようです。プロトタイプ(原型)では無いと思うんですけどね。 ![]() 後ろから見てもカッコいい。1950年代の狂気のアメ車のデザインの中でこれが1000台以上売れたなら、アメリカ人にも冷静な感覚を持つ人が残っていたんだなあ、と感慨深いものがあり(笑)。 ちなみにこの手の車にしては大きなトランクがケツにあるように見えますが、あの場所にはスペアタイヤがデーンと入っていたはずで、やはり実用性はほとんど無い車でしょう。 といった感じで今回はここまで。 |