■レツゴー男体山

2024年6月14日、梅雨入り直前の晴れ間を狙って日光の象徴である男体山に登って来ました。

昨年、約15年ぶりに登山らしい登山として大清水経由の尾瀬沼行きを決行し、まだなんとか行けそうだ、と確認した上での挑戦です。ちなみに利根川より東の日本国土内で標高2500mを越えるのは日光白根山だけですが(ついでに長良川から西に2000m以上の山は無い)、男体山は2486mあり事実上2500m級と言っていい山になります。ちなみに2003年までは2484mとされていたのですが、国土地理院の再調査で最高地点が変更されて2m高くなった山だったりします。

首都圏方面からだと高速道路、鉄道、どちらでも便利な経路があるため人気の高い山ですが、筆者は未だ登った事が無かったのです。関東平野の北東部ではいろんな場所から見える象徴的な山であり、当然、古くから山岳信仰の対象でした。ちなみにこの山岳信仰のおかげで北海道以外の主な山は登頂が成されてしまっていて、日本に未踏峰が全く残らなかった原因となっています(新田次郎さんの小説「点の記」にあるように剣岳は最後まで未踏峰と思われていたが結局、これも違った。全盛期の修験道の登山技術は現代にはほぼ伝わって無いがかなりのレベルにあったと思われる)。

これまでの旅行記で何度か触れたように、日光はそもそも男体山の別名である二荒山の「にこう」であり、この山への信仰に深く関係した地域でした。後に周辺の太郎山、女峯山(にょほうさん)と合わせ、いわゆる日光一家(男体山を父、女峯山を母、太郎山を長男とする)が信仰の対象になり、これを祭ったのが日光市内および宇都宮にそれぞれ存在する二荒山神社となります。

ちなみに男体山一帯はオレの境内、と日光の二荒山神社は宣言していますが、実際に土地の登記がなされているのは中禅寺湖畔の中宮一帯と男体山の山頂部、あとは志津小屋周辺だけのはず(他はほぼ国有林&一部民間の所有地)。

でもって男体山には北回りと南回りの登山経路があり、今回は北側からの経路を利用しての登山となりました。この辺りを最初にちょっと確認して置きましょう。



国土地理院地図に情報を追記

男体山の爆発で川が堰止められて産まれたのが中善寺湖で、その湖畔にある二荒山神社中宮の境内から登るのが南登山道。対して戦場ヶ原から東に向かう林道で梵字飯場跡の広場まで車で入ってグルっと回り込むのが北側の登山道。

南側、中宮からの登山路の方が一般的なのですが、神社側の規則によって朝6時前には登山道に入れないため問題外とし、今回は北回りの登山路から入りました。途中から遮光物の無い日晒しの経路となる高山の山登りでは日の出から3時間以内に撤収に入らないと地獄を見ますし、気温が上がるほど霧と雲で視界が遮られる可能性が高くなるからです。

ただし倍近い歩行距離になるんですが、夏至直前でも夜明け前に山に入れる事、標高差的には約150m、30階建ての高層ビル級の差があるため疲労度では大差あるまい、と判断したからです。ちなみに中宮からの登山道だと神社に入山料1000円を収める必要があります。

ついでに空中写真で見ると、男体山の火口部から北西に流れ出て固まった巨大な溶岩流が見て取れると思います。この巨大な火山が川を堰き止め、中禅寺湖から戦場ヶ原、さらには湯ノ湖につらなる一帯の景観を生み出したわけです。



中禅寺湖畔から見ると男体山はピラミッド型の火山のように見えますが、湖畔側から見えているのは7合目辺りの山腹までで、山頂はさらに奥にあってここからは見えません。



横から見るとかなり長細い山なのが判ります。男体山の河口は北西部が吹き飛んでいる上に全体が森の中に埋もれてしまって判りにくいのですが、この北側から見える山頂一帯がほぼ噴火口の跡となります。火口側から見るのは初めてだったのですが、かなり巨大だなあ、という印象。計ってみたら直径でほぼ1q前後ありました。富士山の火口が600m前後ですから、やはりデカいといっていいでしょう。

北側の登山道はこの噴火口跡の東端に向かい、そこから火口跡西側にある最高地点を目指す事になります。ちょうど写真で左端に見えている少し高い場所辺りまで、ここから向かうわけです。結構あるな、と思ったんですが、結構あるなどころではない、全行程7時間半の想像以上にしんどい登山となりました…

といった感じでさっそく行って見ましょうか。

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