夏が来る前に思い出して置け

2023年8月末、約30年ぶりに尾瀬地区に行って来ました。

理由は単純明快、お盆を過ぎると尾瀬方面の観光はシーズンを終え、新宿発の夜行バスが往復7600円ほどと大変にお安くなるのを発見したから(10月の紅葉の時期になるど再度シーズン入り。その後積雪で終了)。さらに幸か不幸か夜勤体制がしばらく続いていたので、朝に帰宅して睡眠、夜中に起きてバスに乗り尾瀬まで行ける、という点もあり。歳を取って脆弱かつ貧弱となった拙僧でも、睡眠不足無しの日帰り行程であの「尾瀬沼」に挑戦できるのです(長距離縦走とかを別にするなら首都圏からの登山は寝ないで夜に出発、早朝から山に入って日帰りか、朝に出発し夕方までに山小屋に入り一泊二日が一般的)。

ちなみに「尾瀬ヶ原」に比べると「尾瀬沼」ははるかに到達の難度が高く、首都圏から便利な交通経路で向かうと、2000m級の尾根縦走のような登山経路となります。楽をしようと思うと福島か新潟まで北上して南下する経路しかなく、首都圏からでは到達が困難です(夏場のみ運行の東武電鉄夜行という特殊な経路があるが運行日が限られる)。

それでも15年以上、まともな登山から遠ざかっている身には、ちょっとしたリハビリとして最適かもしれぬ、とその筋では最強最悪で知られる「大清水経路」で尾瀬沼を目指す事にしたのでした。




出典  国土地理院地図のツールにより作成 


尾瀬地区は三県に跨る微妙な位置にあります。代表的な交通路の幾つかは栃木県側から入るため、長らくと言うか実は今回訪問するまで群馬、福島、栃木の三県に跨るのだと思っておりましたが間違い。正しくは栃木の代りに新潟県が入ります。

都心部からの直線距離は約150q前後ですが、これは群馬側から入る南経路の場合。尾瀬沼により楽に入れる新潟&福島からの北経路を使うなら、軽く200qを超える移動距離となります。このため首都圏から出る高速バスは前橋から沼田に抜け、そこから片品村に入って南側の登山道に向かうのが一般的です。今回利用したバスもこの経路です。

ただし尾瀬と言っても尾瀬沼と尾瀬ヶ原は全く別の地区になるので、注意が要ります。なぜかあまり説明されることがありませんが、この辺りを最初に見て置きましょう。ちなみに私が若いころに二度訪問したのは尾瀬ヶ原の方で、尾瀬沼は今回が初めてとなります。

首都圏から行く場合、南の群馬県の片品村から入る事になります。そこから尾瀬ヶ原に入る鳩待峠と尾瀬沼に入る大清水に分かれるのです。両者に向かう道は片品村の戸倉地区(標高約1000m)で分岐します。ただし尾瀬ヶ原に向かう経路としては富士見下から入る、というのもあるのですが高低差が大きい難易度の高い道のため、普通は利用されないのでここでは省きます(鳩待峠経由の4倍時間がかかる。ただし筆者は一度この経路で尾瀬ヶ原に入った。ちなみに途中の富士見峠から尾瀬沼にも向かえるが軽く6時間超えの行程となるため使われる事はほとんど無い)。


出典  国土地理院地図のツールにより作成 

毎度お世話になっております国土地理院様の立体地図のお力を拝借し現地の地形を確認しておきましょう。

大雑把に言って西の至仏(しぶつ)山の麓にあるのが大湿原の尾瀬ヶ原、東の燧ケ岳(ひうちがたけ)の麓にあるのが尾瀬沼です(標高1600mを超える場所にある天然の湖沼として日本最大)。両者は直前距離で3q離れている上に、その間には峠道しかなく移動には2時間近く掛かります。すなわち本来なら完全に別の地区なんですが、なぜかどちらも尾瀬の名で一まとめに扱われています。理由は全く持って謎であり、個人的には新宿と渋谷、キタとナンバ、札幌と小樽、福岡と北九州を同じ街と主張するくらい無茶だと思うんですけどね。

通常、尾瀬と聞いて誰もが思い浮かべるのが尾瀬ヶ原の湿原の方でしょう。というか尾瀬と言えばほぼ湿原がセットで頭に浮かぶと思います。ただし会津と沼田を結ぶ街道がすぐ横を通っていた(すなわち人跡未踏の土地ではそもそも無い)尾瀬沼の方が元々はよく知られており、尾瀬の保護活動もこちらから始まっています。極めて標高が高い尾瀬沼は落差を付けて発電する水力発電に適した土地として目を付けられ、1916(大正5)年ごろから群馬県側(南岸部)の土地の買収が始まったのです(南岸は私有地だった。福島側の北岸は当時も国有林)。当然、水力発電ダムの建設が予定されており(当初は尾瀬沼側、後に尾瀬ヶ原一帯にも。この辺りの解説は両者を混同してるのが多いので注意)、それに反対する運動が日本の自然保護運動の始まりとなっています。ちなみに関東大震災、戦争、そして反対運動によってダム建設は延期され続け最終的に廃案になりますが、実は今でも一部にそのころ造られた人造物が残っています。完全に手つかずの自然、という訳ではないのです、尾瀬。ちなみにその水力発電用に買収された私有地を引き継いだのが東京電力(TEPCO)でした。このため尾瀬一帯、尾瀬ヶ原を含めた群馬県側の土地は国有地ではなく、現在も東京電力の私有地となっています(実際はその遥かに南、片品村近くまでの広大な土地が東京電力の土地)。

通常、誰もが尾瀬と聞いて思い浮かべる湿原と木道は尾瀬ヶ原であり、尾瀬の象徴とも言える至仏山が見えるのも尾瀬ヶ原からのみです。「尾瀬、尾瀬、湿原で遭難しちゃったんでお金振り込んで」といった尾瀬尾瀬サギに使われるのも尾瀬ヶ原が一般的でしょう。さらに南からの経路だと鳩待峠までバスで入れ(自家用車は不可)、ここから尾瀬ヶ原までは直線距離で2.8qほど、標高差も無いに等しいので(むしろ湿原の西側は高度が低いため途中から下り道になる)一時間もあれば湿原に入れます。まあ尾瀬ヶ原を一周しようとか思うとまた話は別なんですが、とりあえず入るのは簡単です。

対して尾瀬沼の登山口である大清水登山口は御覧のように遥か手前、直線距離でも4.5km、実際の歩行距離は約6q近く、しかも沼に入る前に峠を一つ越えます。こちらは当然、沼より標高が高い1760mのため、登山口からの標高差は580mとそこそこの難易度の行程になるのです。その上で沼を一周すると約6qあり、移動距離で18q、高低差でほぼ600mという日帰り登山としてはそれなりの難易度になります。ただし大清水から一ノ瀬までは低公害車バスが運営されているのですが、夜明け前に入るような人間はこれを使えませぬ。

私の山登り屋としての全盛期は30代前半で八ヶ岳の硫黄から権現までの日帰り縦走、北岳の日帰り登山(当時は広河原まで自家用車で入れたので)とか無茶をやっていたのですが、その当時でもちょっと考えちゃったろうな、という経路ではあります。このため多く人は普通、尾瀬ヶ原に向かう事になるわけです。その結果、尾瀬といえば湿原、という印象がより世間で強まるのでした。そこをあえて沼に向かうのが今回の旅なわけです。

ただし、ここまでキツイのは南側経路だけで、北側、福島の沼山峠から尾瀬沼に入る場合は鳩待峠と並ぶお気軽ハイキングコースになります。ただ、この経路を使うには新潟側は魚沼、福島では白河近くまで北上する必要があり、首都圏方面からは簡単に入るのは難しい、という問題点があるのです(先にも触れた東武鉄道の夜行列車ツアーがあるにはあるが)。

といった感じが必要な基礎知識です。ではさっそく行って見ましょうか。

NEXT