運河都市、やはり変な建物だなあ、と思う。右にある灯篭は1900(明治33)年建立のもので、元々はあの住吉神社にあったそうな。



でもって中洲地区の南端部、すなわち上流側で博多川は堰で閉じられていました。理由は不明。恐らく途中まで例の遊歩道があるので危険な水位にならないように、という調整用だと思いますが。ちなみに堰の上に見える歩道橋は夢回廊橋と名づけられてました…フフフ、もう慣れてきたよ、この辺りの命名感覚。



その堰の横の水たまりの中で大きな魚が泳いでました。鯉ではないので、汽水域に入って来た海の魚だと思いますが…。これずっと閉じ込められたままのように見えますが、現在は干潮なので潮が上がれば出て行けるのだと思われます。



中洲最南端部。左側へと分離するのが博多川。結構古くからこれを分離する構造があったようです。博多川側は川底が見えてしまっていますが、渇水では無く単純に干潮によるものです。



では改めて中洲西岸を北上して見ましょう。目の前で反転中の遊覧船は例のガンダム生首乗り場の物だと思われます。

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