国土地理院地図に情報を追加して作成



さて、ようやくという感じで福岡旅行記は三日目に入ります。

前日が主に山間の盆地での活動だった以上、この日は当然、海を始めとする水上の戦いになるのは幼稚園児でも判る理屈でしょう。まずは博多湾入り口の島、あらゆる歴史の舞台ともなった志賀島(しかのしま)を目指します。理由は単純明快、福岡駅からバスで15分の距離にあるフェリーターミナルから市営の格安料金フェリーが運行されていたから。上記の地図で一見すると遠回りしているように見えるのは、北朝鮮の潜水艦よる雷撃を警戒したからでは無く、市営フェリーの航路だからです。

ちなみに志賀島は万葉集にすでにその名が登場、天平8(736)年の遣新羅使の歌の中に既にその名が見えます。志賀は既に旅行記では何度も触れているように、白髪、滋賀、などと同じく大陸系渡来人、志賀漢人の一族を指す名です。渡来人集団は少なくとも五世紀には日本に入っていたと思われ、もしかするとここがその最初の拠点では無いか、と個人的には思っております。ちなみに志賀漢人と言うか渡来系の多くは中国大陸から来たとし、漢人は漢の霊帝の末裔などと自称していましたし、秦(畑、羽田)氏に至っては元祖皇帝、秦の始皇帝の末裔を自称してました。ただし実態はほとんどが朝鮮半島の出身だったと思われます(ちなみに滋賀(志賀)県一帯に住んでいたから志賀漢人ではなく、彼らが移り住んだ地だから志賀(滋賀)である)。

ちなみに漢王朝の末裔を称する志賀氏の名を持つこの島で、漢王朝の名がある金印が見つかっている、という点はちょっと興味深い点です。まあ、あまりに謎が多くて真贋論争が未だに続いてる国宝「漢委奴国王」金印ですが、個人的には「自称漢王朝の末裔である志賀氏が造ったパチモン」の可能性も考えた方がいいと思っています。これがホントに漢から日本に贈られたとする証拠は現在に至るまで何も無いですからね。

といった感じで、さっそく行って見ましょうか。

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