さて、ペロ君、今回のお題は九州国立博物館の感性についてだ。

「さいですか」

その建物の異様な巨大さと様々な無駄はウンザリだったが、この博物館の皆さんの感性は底抜けにステキだった。具体例その一がこれ。




「ポスター?」

そう、九州国立博物館の公式ポスターだ。ちなみに例の謎の入り口構造物に貼ってあった。当然、皆さん動けない人達で、その無念さから、ならばオレが代わりに行ってやろう、見ておれ九州国立博物館、という気になるな。

「まあその点は個人差があるだろうが、こういったセンスはいいね。全部銅像?」

だね。左端は筆者は未だ見ぬ札幌のクラーク博士像、真ん中はこれ、パリのロダン美術館の考える人像だろう。右端は二宮尊徳の総本山、静岡県掛川市の大日本報徳社の二宮金次郎像だろうな。まあ日本どころか世界中の銅像さんが来たい博物館なわけだ。



さらには博物館内部からの誘いも。

「…いや右端、どう見ても人の血に飢えた妖刀のセリフだろう」

それ言ったら真ん中は一休さんにトンチ勝負で負けた無念を晴らしたい虎だぜ。

「おっしゃってる意味がわかりません」

左端は天使が居るところから、典型的な西洋の聖母像だと思うが、イエスを見つめるママのマリアは後光が指してるのに、左から覗き込むパパのヨセフは単に生え際にピンチを迎えてるオッサンという描写なんだよね。頭が光るならむしろこっちだろうに。

「何の話をしている」

基本的に西欧の宗教画におけるヨセフの扱いってこんな感じなのよ。彼だって息子は可愛かっただろうに、ママに比べてパパの扱いは低いんだよ。気の毒に。

「さいですか」



でもって九州国立博物館の展示案合、先にも見たように問題だらけなんだけど、その一部はちょっと楽しい表現があって好きなのよ。

「あ、ホントだ」



こういった感じに。でもってちょっと気になったのはこの辺りの記述が漢から唐にかけての中国時代の展示品という点だ。

「それが?」

東京にある東洋文庫、ここはその名の通り東洋の文献を中心に多くの展示があるんだけど、そこの解説のセンスとよく似てるのよ。

「同じ人?」

かもしれないし、あるいは唐以前の中国史の研究者ってこういったステキセンスの持ち主が多いのかもしれん。

「あれま」

といった感じで今回はここまでだ。

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