日本橋川が、もっとも皇居に接近する辺り、竹橋の毎日新聞社横で、見た驚愕の構造物。あれ、江戸城の石垣と同じ排水溝ですぜ。となると、この辺り、江戸期の石垣を残してる?えええええええええ、驚愕の事実ですな。この一帯も地上からは見えないので初めて知りました。

実際、よく見ると積まれた石は各藩の紋所というか、これは我が藩のモノ印が入ったいわゆる刻印石です。…日本橋川に当時の石垣が残ってるとは初めて知りましたよ…。まあ当時はお濠ですから(明治期に掘削して神田川につなげた)、当然と言えば当然なんですが。



その先で一橋を潜る。ここも本来は見附門のある場所だったのですが、現状は例によって震災後、1924(大正14)年に架けられた橋のみが残ってます。ちなみに今では小平にある一橋大学は、その名の通り、元々はここにありました。これも震災をきっかけに郊外に移転したのです。



一橋を超えると、西側の内堀、武道館のある北の丸公園に沿うように日本橋川は北へと向かい始めます。そしてこの辺りから、少し川幅が広くなるようです。



途中で自転車が沈んでました。現在は引潮なので(都心の川は干潮の影響を強く受ける)、姿を表したもの。なんでこんな都心ど真ん中の川に自転車が…と思ったんですが、すぅさん曰く、日本の川ではよく見るそうな。盗難車で見つからないように乗り捨てて行ったものでは、との事。なるほど。悪質な連中はいつでもどこにでも居るんだよねえ…。



この辺りから、上を走るのは首都高5号線、竹橋から池袋方面に向かう路線となります。間もなく九段下で、左に見えてる建物が千代田区役所。つまりこの向こうに内堀があり、その奥には武道館があるわけです。でもってこの辺りから、急激に架かってる橋が安っぽくなります(笑)。

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