さて、ペロ君、今回のオマケはこれだ。

「さいですか」




「ええと、日露戦争時の連合艦隊指揮官である東郷平八郎さんがお忍びで浮船に来ていた、という事?」

そう書いてあるね。

「興味深い話じゃん。やはり艦隊泊地に向いてると思われてたんだ」

事実ならね。

「…はい?」

明治38年5月ってまさに日本海海戦が発生した時だぜ。27日に始まって28日にはほぼ決着が付いてた。

「その前に来たんじゃないの?」

この年の2月には連合艦隊主力は韓国の鎮海湾に入ってバルチック艦隊を待ち受ける状態になっていたはずだ。そして以後は訓練に次ぐ訓練だった。さらに4月に入るとバルチック艦隊がベトナムのバンフォン湾で謎の停滞をやっており、日本側はいつこれが動くかで常に警戒態勢に入ってたんだよ。当然、その総司令官である東郷平八郎は動けない。実際、私が知る限り、東郷平八郎が五月に入ってから鎮海湾に居た連合艦隊旗艦である三笠から動いた記録は無い。

「つまり?」

可能性は三つだね。まず、この石碑に出て来るラッキョのお婆ちゃんか、地元の校長が嘘をついている。もう一つは誰か東郷平八郎の名をかたって地元の人間を騙した悪意ある日本海軍の関係者が居る。そして最後に東郷平八郎は忍術が使えて、誰にも気づかれず三笠を抜け出してここまで遊びに来てた。

「あれま」

といった感じで、今回はここまでだ。

「あれま」

例の西表ヤマネコの碑と合わせて、この地を訪問する皆さんはご注意よ、という事だね。

「あれま」


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