でもって内部展示は、まあ、その、という感じなので飛ばしてゆきますよ(笑)。
21世紀の令和になって甫庵太閤記で秀吉を紹介ってのはさすがにどうよ、と思いますが…



この狭い階段も、段々楽しくなってきますぜ。



これはちょっと楽しかった大阪夏の陣屏風図の立体化。
屏風図に見える武者と足軽を片っ端から人形で再現したモノです。ただし全部やったら死人が出るレベルなので、花形の真田幸村隊と松平忠直隊の一部のみですが。

この手の屏風、合戦図などは戦闘から百年後に、戦争とは無縁の絵描きさんが適当に描くことが多く、史料価値はゼロと見ていいのが普通です。長篠の戦いなんて、その最たるものですね。
ところが、この夏の陣の合戦図だけはほぼ同時期に描かれた、しかも合戦に参加した黒田家の発注による、とされるので一定の信用が置ける貴重なものです。既に戦国期とは言い難いですが、それでも呑気な江戸期に想像だけで描かれたものよりはよく出来てます。

でもって今回、改めて見て気づいたのは、騎馬武者は騎馬武者、足軽は足軽で固まって描かれてる事が多く、あれま、じゃあ主従の連携はどうなってたのよ、という点。背中に旗指物しょってるのは徒歩でも武者だとしても、騎馬武者の周りの御付きの足軽が少なすぎるような。それとも騎馬の馬回り衆がやたらと居たのか。

ちなみに屏風図の現物をこの大阪城天守閣が持ってるはずなんですが、展示はこれだけでした。これはちょっと残念なり。



大阪冬の陣の図。こりゃ勝てねえ、という大阪城。
先に展望台から見たように北は湿地と川なので、南と西から攻めるのは織田信長以来の伝統ですな。特に南の天王寺周辺は光秀と信長のラブラブ奇跡の再会の舞台になった場所でもありまする。



でもって夏の陣。こりゃ負ける気がしねえ、という丸裸の大阪城。それでも南側から攻めたのか。

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