さて、最初はダムと滝への散策を踏み台に過ぎぬわい、くらいに考えていた布引のハーブ園ですが、どうも予想以上に凄いバブルの遺産らしいと知り、ちょっと狼狽中。全体は南北に長細く、全長で600m程なんですが、高低差もあって歩くとかなりの時間が掛りそう。
とりあえず現地の案内図で見ても結構な面積と施設があるのが判るかと思います。

ちなみに帰宅後に確認したら、元々は1960年に開発されたゴルフ場跡地で、それを神戸市が引き取ってバブル末期に公園として整備した場所でした。ただし一度経営的に破綻して、現在の民間運営に切り替わり現在に至ります。

でもって園内を歩き回ってこの急斜面にゴルフ場を造ったやつは底抜けの馬鹿じゃないの、と思いました(笑)。
あまりにも狂ってる、と思って調べてみたら、無理な造成が祟って1967年7月の豪雨で地滑りを引き起こしてました。さらにそれが西の谷間をつたって土石流となって地元の集落を襲い、21名もの死者を出しているのです。こうなるともう、殺人ゴルフ場ですね。

当然、ゴルフ場はそのまま閉鎖、1980年代に神戸市による再開発が始まるまで、荒地として放棄されていたようです。その間、一帯は地滑り災害から立ち直れず、長年、ほぼハゲ山でした。ちなみに航空写真などで確認できる範囲では、壊滅した市ケ原の集落は、未だに放棄されたままになってるようです。
それでいて、これほどの死者を出した人災ながらこの災害に関する資料は驚くほど少なく、何か胡散臭いものも感じるのですが、ここではそれ以上は踏み込みませぬ。



■国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスより必要部分を切り抜いて引用(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1


例によって国土地理院の航空写真にお世話になってもうちょっと詳しく見て置きましょう。水害から7年後の1974年と、ハーブ園が開園後、改修前の2009年の写真。右下に見えてるのが新幹線の新神戸駅で、その左上み見えてるのが例の日本最古のコンクリートダムがある布引貯水池。その布引貯水池の北側の奥に、死者21名を出した市ケ原の集落がありました。

2009年の写真で、布引貯水池の北東部に広がる点線で囲んだ一帯が現在の布引ハーブ園です。
とりあえず左の写真、水害から7年経った1974年の段階でも一帯はほぼ禿山だったことが判り、この無茶な立地に造られたゴルフ場が、いかに凄まじい被害を一帯に与えたかが判ります。そういった大規模自然破壊の記憶が残る場所にあるのがこの施設でもあるのです。

さて、話を戻しましょう。
訪問前は、その名からただの農園だろうと思っていたら、とんでもない話であり、本気も本気な建物が並ぶ見事な公園だったのです。うーむ、本来は速攻で通り抜けてしまう予定だったのですが、これはちょっと見ていった方がいい感じか、と思い直します。



ロープウェイの終着駅の横にあるここが展望広場、左手に見えてるのがレストハウスとレストランの入った本棟。
その棟の横にある時計塔は下が通り抜けられ、奥の中庭に繋がってます。しかも建物もかなり本格的なもので複雑に組み合わせられた立体的な構造を持ちます。こういった入り組んだ建物の構造が大好きな人間にはかなり魅惑的。

うーん、どうにもいい感じだぞ。



ここからは展望広場の名の通り、神戸市内が見えるのですが、手前に樹木が多く眺望は微妙なところ。ただしここでも桜が見事でした。



時計塔の下の通路を抜けて、中庭に出てみましょう。いやはや、ホントに美しいというレベルの建物ですね、これ。…好きかも。

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