とりあえずミナミの心臓部ともいえる道頓堀地区から北上、心斎橋地区まで歩いてみましょう。距離にして約700mほど、東京だと都庁からJR新宿駅までとほぼ同じ距離です。 この両者を繋ぐ戎(えびす)橋筋と心斎橋筋のアーケード街がこの一帯の商業地帯の中軸をなします。ちなみに途中で戎橋筋から心斎橋筋に切り替わるんですが、普通に歩いてると気が付かないし、事実上、一続きのアーケード街と思っていいので、気にしなくて可。仙台旅行記で、どこか大阪に似ている、と書いたのはこういった辺りですね。ちなみに、このすぐ西側を大阪の大動脈、御堂筋通りが走っております。 さらにちなみに大阪は原則として南北に走る通りが「筋」、東西に通るのが「通(とおり)」ですが、こういった命名方式は大阪と、隣の神戸の街のみの特徴になっています。なので以前の会社の同僚で、大阪出身の男が都内の昭和通りが南北に走ってるとは思わず道に迷い、これは昭和筋にせよ、と主張したのを聞いたことがありまする。 だったら360度一周しちゃう明治通りはどうするのよ、とは私も大人なので聞きませんでした。 間もなく心斎橋に。ここのパルコは健在でした。千葉、宇都宮で消滅したのを見てきたので、なんとなくホッとする。まあ仙台でも元気にやってるのを見てきたんですけどね。 ちなみにここに至るまで聞こえてきた周囲の会話の8割が関西弁でした。当たり前といえば当たり前ですが、昨年の仙台で皆が標準語なのに驚いた後なので、ちょっと新鮮です。 その横にあるのが大阪の老舗、大丸百貨店の心斎橋店。 首都圏の人間は大丸と聞いてもピンと来ないし、せいぜい東京駅の殺風景な方にある百貨店、位の印象しかないですが、関西では老舗中の老舗の名門店であり、その事実上の本店がこの心斎橋店です(ずっと本店だと思っていたのだがサイトで確認したら本店という存在は無いらしい)。 ちなみに「店」を「てん」ではなく「みせ」と呼ばせるのも関西と特徴だと思ってたんですが、どうもこれ大丸だけ? 心斎橋に出ました。その名の通り、以前はここに川が流れ、橋があったのですが現在は橋だけ残って川は生め建てられてしまいました。通りの真ん中に橋のような構造が見られますが、後に復元されたもので、往時のものではありませぬ。 この一帯はミナミの中でもやや高級な一帯で、東京で言えば表参道あたりが近い雰囲気だと思います。まあ、もうちょっと庶民的ですけどね。 かつて心斎橋が架かっていた長堀川は埋め立てられて長堀通になってしまい、現在はその地下にクリスタ長堀という売れない漫画家みたいな名前の地下施設が出来ています。ただしこの地下街、他の大阪の地下街と異なり、どことも接続してない独立した存在となっており、以前に訪問した時は閑古鳥の営巣地となっていました。 その後どうなったのか確かめるため、11年ぶりに潜ってみますか。 |