そしてドンドン奥に進みます。というか、また迷ってます、はい(笑)。 おお、鶴橋本通りの看板は健在なり。日光が当たらない場所にあるせいか、ぜんぜん退色しませんね、赤いテッペンハゲの鶴さん。 その先はまたシャッターが閉まってる一帯が広がりますが、こちらは平日の朝6時から12時までだけ開いてる鮮魚市場だから。 鶴橋のアーケード商店街からそのまま繋がってる市場で、結構広い一帯を占めています。前回は時間外、今回は日曜という事で、まだここは一度も営業中の状態を見たことがありませぬ。一回くらいは見てみたいと思ってるんですが。 そこから赤ハゲの鶴の看板近くまで戻ると、唐突に時計が壁に掛ってました。しかもちゃんと可動中。お、そろそろお昼ですね。 ではそろそろ昼ごはんに…という事で、最初に出た焼肉街に引き返そうとしてるんですが、はい、また迷ってます(笑)…。 アメ横で鍛えられた私ですが、関東のアーケード街なんて束になっても鶴橋に敵いませんから、ここでは素人以下の存在です。でもってその途中で生地や衣料品を扱ってるお店を見かける。 右手のお店には朝鮮系の民族衣装が置いてあり、なるほどコリアタウンだと思う。そしてこの一角だけ見るとソウルの東大門市場&南大門市場と錯覚しそうです。韓国の人に大阪が人気なのはこういった面もあるんでしょうかね、 ちなみにかつて東京でコリアタウンといえば、上野の昭和通りの向こう側(韓国系)、そして三河島駅の周辺(北朝鮮系)だったんですが、今では完全に新大久保に中心が移ってしまいました。というか、上野の焼肉屋街は、事実上、滅び去りつつあります。 ヤクザ屋さん、米軍、警察、愚連隊、そして終戦で日本に残されてしまった朝鮮系の皆さんのアメ横における壮絶な死闘は、日本の犯罪史上でももっとも過酷なものだったと私は見てるのですが、愚連隊もヤクザも朝鮮系の皆さんも、どちらも記録を取るような人たちではなく、生き証人の皆さんがほぼ死に絶えてしまった今では、確認のしようがありません(さらに、そこに巻き込まれる形で東京大空襲後の戦災孤児達の悲劇が産まれるのだ)。 この辺り、米軍が記録を残してる可能性もありますが、そのためだけに公文書館の資料を探し回る気力は無いので、この話はここまで。 |