その先にも橋と門跡があり。これが本丸地区で一番北にある黒門とそこに繋がる黒門橋ですね。この先はかつてはもう琵琶湖でした(厳密には琵琶湖からは砂州で分離している松原内湖と呼ばれる水域で、城の周辺は半湿地帯のような場所だったらしい)。よって現在の一帯は、全て埋め立てられたもので、往時の面影はありませぬ。



お城の横の埋め立て地区は金亀公園という運動公園になってるのですが、そこにあった謎の建物。入ってみると売店を名乗る自販機コーナーでした。建物の規模からして、以前はほんとに売店だったんじゃないかな、と思います。



金亀公園のサッカーグランドでは、少年チームが練習中でした。

停まっている車は送り迎えの家族の人たちのもので、フェンスの手前では保護者の皆さんと思しき集団がじっとグランドを見つめてました。夜間照明の施設を利用し、周囲がここまで熱心ということは、ただの少年サッカーチームではなく、プロの下部組織とか?と思うも良く判らず。

そもそも総勢20人もの人間が右往左往しながら無抵抗のボールを蹴りまわして大騒ぎしてる様は文明人の振る舞いとは思い難く、唯一、ボールの味方かと思われたキーパーも、これを優しく受け止めてくれた直後に全力で蹴り飛ばす、という残酷さ。ここまで救いも文化的な要素もない競技に個人的にはあまり興味が無いのです。



その横にはお濠のように残された内湖の一部とお城の石垣が、かなり荒れるがままに放置されてました。
これはこれで味があって好き。この石垣の向こうが、先に見た庭園、玄宮園であり、ここがかつて湖面に突き出ていたお城の先端部となります。すなわち、今私が立ってるこちら側は、かつては内湖だった地域です。


 
ククク、俺の中に眠るニンジャの血が騒ぐぜ、ってな感じに良い雰囲気の場所です。ただし、やはり石垣が低すぎる気が。こっち側は湖面ですが、おそらく周囲は砂州だったはずで、ワーッときて一気に登ってしまえば、攻略はチョー楽勝に見えます。

ここは1603年ごろ、家康存命中&そもそも大阪夏冬の陣の前の建築のはずで、もう少し城塞的な構造かなと思ったんですが。どうもお濠と城壁周りに関してはショボいな、という印象。

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