橋を渡ってから京橋口を振り返ると、ライトアップで真っ赤になっておりました。ライトアップはいいのですが、これはやり過ぎじゃないですかねえ…。



そこからは、ほぼ全周が残っている中堀沿いに進みます。右手の真っ暗闇な空間が中堀。途中、やたらと自転車に乗った若者とすれ違い、駅とかは別方向なのになんで?と思っていたら、この先のお城の敷地内に滋賀大学があったのでした。



中堀の一部がライトアップされてました。ここも石垣は低くなっています。
攻め込んで来た対岸、こちら側とほぼ同じ高さであり、防御陣地としてはお粗末の一言でしょう。大阪城や江戸城は「こんなの忍び込むの無理でニンジャ」ってな位の高い石垣が本丸周辺には林立しているのに。
家臣の井伊家の城とは言え、事実上、徳川の重要な城だった彦根城(京都方面から関ケ原経由で江戸に向かう街道筋を抑えてる)が、ここまで軽い構造なのはなんで、と思わなくもなく。

正直、この程度の防備なら、俺でも忍び込んで、藩主の顔に落書きできそうでニンジャ、と思ってしまう所。



その先のお城の一角にあるのが国立滋賀大学。ちなみに大津に教育学部が、ここ彦根に経済学部とデータサイエンス学部があるそうな。…データサイエンスって情報科学と何が違うの?馬鹿なの?
手前に見えてるライトアップされた建物、雰囲気あるなと思ったら1923(大正13)年の建築で、国の登録有形文化財となっている講堂なのだそうな。

ついでに滋賀県の国立大学ではもう一つ、滋賀医科大学があります。…これ、なんで滋賀大学の医学部じゃなくて、わざわざ別の大学にしたのかも良く判らず…。ついにで言えば、同じ滋賀大学でも、この彦根キャンパスと大津キャンパスは50q近い距離があり、なんでそこまで離れた場所に…という気も。なにか地元の地域的なしがらみ、とかでしょうかね。



滋賀大学の所で再び中堀を渡って内堀地区へ。この先も90度カーブとなってましたから、門の跡でしょう。帰宅後に確認したら、船町口という門跡のようです。そしてここにも道路が当然のように通ってる。さらにこの先にも学校らしい施設があったので、てっきり滋賀大学の一部かと思ったら、こちらは地元の中学校でした。いいなあ、こんな中学に通える皆さん、と思う。

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