とりあえず護国神社の横を抜けて行くと、すぐ中堀があり、ずっと向こうまで白壁が続ています。すげえな、これと思う。
彦根城は江戸期に建てられた城ですが、同じ琵琶湖岸にある秀吉の長浜城、光秀の坂本城、そして信長の安土城と同じように湖水を上手く利用した堅牢な水上の城でした。現在は例によって埋め垂れられてしまって、完全に陸の城になっちゃいましたけど。

このためかつては北と東は湖面に接しており、外堀と中堀の北東側は湖になっていて存在しませんでした。現在残って居るこの中堀の北東側が妙な構造になっている(後で登場)のはそのためで、あの一帯は埋め立てられてしまう前は湖面だったのです。

ちなみに外堀はほとんど埋め立てられ、先に見たように水が抜かれた状態、あるいは用水路として一部が残って居るのみとなっています。


 
その中堀の向こうに見えて来たのが、かつての二の丸に繋がっていた出入口の一つ、佐和口。丹羽長秀、そして石田三成の居城だった佐和山城があった方向(関ケ原合戦後、信長が造った街道の東にあった佐和山城を取り壊し、この場所に新たに建てられたのが彦根城)だからこの名前でしょうか。当然、左右の多聞櫓の間に門があったのですが、現在は失われています。

でもって驚いた事に、一般道路がこの門跡を通過していて、車がガンガン走ってるのです。江戸城跡も道路だらけですが、遺構の城壁の間を通り抜けて行く道はさすがにありません。全国的に見てもほとんど無いのでは?これは軽い衝撃でした。というか、誰も止めなかったのかと思いました。



そして近づいたら、突然ライトアップがスタート、真っ赤に染まる城壁に浮かび上がる井伊家の橘家紋。うおおお、ゴッサムシティのバットシグナルみたい、すげえ演出だぜ、と驚く。



しばらくすると色が変わる。うおおおお、すげえ演出、信号機みたいと思う。手前のライトは道路を通過する自動車です。



多聞櫓に近づいて見る。地面に置かれた照明がいい味出してます。そして予想以上に巨大でした。

ただしこの右側の櫓は実は戦後、1960(昭和30)年に再建された鉄筋コンクリート製の建物だったりします。江戸期に建てられた需要文化財は向かって左側のみなのです。ちなみに昭和の時代の復元建築は正直、ロクなものが無いという印象なんですが、これは良くて来ていて、翌日、明るいところで見ても復元建築とは気が付きませんでした(中に入れたので、それで初めて鉄筋コンクリートじゃねえか、と知った)。ただしよく見ると壁に開いてる鉄砲狭間がちょっと変なのと、左側にある三角の狭間がこちらには無いなどで、注意深い人なら何か変だと気が付くかも。

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